夢の館

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 しかしいくらも行かずに転がる壺は何者かの足で止められ、拾い上げられた。 「あーあもったいない。半分くらいになったかな? これは、すごい匂いがする……ゲホっ、むせるな。窓を開けようか。しばらくは香水なしで良さそうだ」  窓を開く音が聞こえてしばらくすると、床に這いつくばったソォソの視界に、つやつやと磨き上げられた靴が入りこんだ。  更にぐっと背中を押されて息ができない。生理的に流れる涙でぼやけたソォソの目に、しゃがみこんでこちらを覗きこむ男の顔が映った。 「ラットよ。そう痛めつけてあげるなよ。まだ子供みたいなもんじゃないか、可哀想だ」  『ラット』と呼ばれた影の男は言われた通りソォソの上からどいた。途端にソォソは、正常に戻ろうとする肺の動きと喉の痛みで激しく咳きこむ。 「うぇっ……げほっ、げえほっ……」  閉じられない口からよだれを垂らし止まらない涙に顔を汚しながら苦しむソォソに、謎の男はそっと膝をついて寄り添う。そして優しくその背を撫でた。 「大丈夫、ゆうっくり息を吐いて。慌てなくていいんだ……そう、上手だ」  やがて息が整いはじめたソォソの手をとると、慎重に立ち上がらせ、彼を部屋の中央の立派なソファに座らせた。 「さぁ、水を飲みなさい」  男はクリスタルの水差しを取り上げ、手づから注いだ液体を渡そうとする。まだ涙のにじむ目で男を見上げたソォソは、激しく頭を横に振って拒絶を示した。そしてまたぶり返した咳に体を揺らす。 「……げぇほっ、ごほっ……」 「ああ、だめだよ。大丈夫だからそんなに警戒しないで、ただの水だから。そんなんじゃ話もできない。まず落ち着いて」  さあ、と笑顔でコップを差し出されて、ソォソは顔を上げた。  すらりと背の高い男はまだ若い。ソォソには流行はまったくわからなかったが、身にまとう服がかなりの高級品なのはわかった。珍しく肩につかない長さに揃えた髪型をしていて、流した前髪の奥から柔らかな表情でソォソを見ている。男から感じるのは、敵意ではなく、ただ気遣いだけだった。  いくらかためらったが、きょろっと周囲をうかがったソォソは観念してそれを受け取った。注意深く匂いを嗅いで一口飲み込む。そしてしばらく何も起こらないのを確認してから、かすれた声で言った。 「……ありがとうございます」  男はその様子に満足したように笑うと、ふいに手を伸ばし、一つに括られたソォソの汚れて乱れた髪を撫でた。  びくっと体をこわばらせ、驚きに目を見開くソォソにお構いなく、男はソォソの顔にかかる髪をかきわけるとぐっと近づいて彼の顔を観察する。 「ああ、いいね、君は素直で好ましい。ほら、あどけないが整った顔をしている」 「なぁラット」と、部屋の隅に立ったままの影の男に声をかける。ラットは返事をしなかったが、続けて主がつぶやいた言葉が聞こえると小さく片方の眉を歪めた。 「男どもに好かれそうな顔だ」
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