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第五話 アイ・オープナー
マスターは常連からの懇願を受け入れる形で、バーシオンの営業時間を変更した。
その代わりに、不定休の宣言を出した。営業時間は、昼から終電の1時間前にした。裏の客には、朝方に来てもらうことにしている。
男が、閉店直後にバーシオンを訪れた。
いつものカウンターの入口近くの席に座った。
「マスター。大丈夫?」
注文をするのではなく、マスターの体調を気遣う。
バーシオンで、バーテンダーとして働いて、昼には軽めのカクテルが飲めランチが食べられるバーだと”隠れ家的”な魅力に溢れた店だとタウン誌に紹介された。マスターは拒否したのだが、上からの依頼で掲載を承諾した。
夕方からは落ち着いたバーの姿に戻るのだが、昼は少しだけ雰囲気が違う客が来ることが多い。
マスターも、何時までもこの流れが続くとは思っていない。一過性のことだと考えている。上では、マスターの素性を隠しきれるのか確認を行っている。今回は、そのテストに使われている。
「あぁ。いつものでいいか?」
男は、椅子に座ったが注文をしてこない。
「うん。お願い」
マスターは、手慣れた手つきで、ジン・バックを作る。
仕事の話がない時には、男は、ジン・バックを一杯飲んで帰ることが多い。
男が注文をしなかったので、マスターはジン・バックを作って男の前に置いた。
「ジン・バックです」
「ありがとう。そうだ!マスター」
マスターは、店の中に客が残っていないのを確認してから頷いた。
「なんだ?」
男が話を始めないので、マスターが催促をおこなった。男は、少しだけ困った顔をして、頷いただけだ。言い難い事があったのだろう。マスターの顔色を窺っている。
「うん」
男は、ジン・バックに口をつける。
自分を落ち着かせる効果はないが、マスターに告げなくてはならないことがあるのは事実だ。
「どうした?」
営業中に使ったカクテルグラスを磨いて曇りがないことを確認して、棚に並べていく、閉店後の掃除を本来なら始めるのだが、男が来たので洗い物から始めている。
「うん。上が少しだけ揉めていて、暫くは動けそうにない」
男は、申し訳ない気持ちで、伝えたかったことの1割だがマスターに告げた。本来なら、動けなくなる理由を含めて説明をしなければならないのだが、言い難い事が多いために、重要なことだけを告げるにとどめた。
「わかった」
マスターは、男に背を向けながら、一言だけ告げる。
「え?」
責められると考えていた男は拍子抜けした声を発してマスターの背中を眺める。
「なんだ?動けないのだろう?俺に何ができる?待っていればいいのだろう?」
マスターは言葉の意味が伝わっていないのだと考えて、男に説明をする。
「そうだけど・・・。マスターからの依頼も・・・」
「大丈夫だ。それに、急いでいない」
「うん」
男は、ジン・バックを飲み干してから席を立つ。財布を取り刺して、1万円札を1枚カウンターにおいた。
「マスター。チェック」
「必要ない」
男は、カウンターに置いた1万円をそのままにして店を出る。
マスターは、カウンターの1万円札を取り上げて、裏に張ってある付箋紙を見つめる。
「はぁ・・・。面倒だ」
言葉とは裏腹に、マスターの表情は面倒ではなく、感謝している時の表情をしている。
マスターは、スマホを持って店から出た。
買出しにでも行くときの用に見える。
バーシオンは、買出しの必要がない。
上が揉めていても末端は関係がない。組織として動いている限りは、制限がかけられる場所は限られている。
マスターは、スマホで知り合いに連絡をした。
了承の返事がもらえたので、今日は営業を中止して、待っていることにした。
昼前に、バーシオンに一組の男女が客の装いで訪れた。
「安城」
「森田さん。急な日時変更で申し訳ない」
「いいよ。嫁の紹介だから、俺が足を運ぶのは当然だろう?何か飲ませてくれるのだろう?」
「もちろんです。奥方も、どうぞお座りください」
女性は、森田と呼ばれる男性の隣に座る。
「何か、お飲みになりますか?」
「主人から・・・」
「そうですね。お二人の出会いのお話は聞いております。銅ですか?その”運命の出会い”に相応しいカクテルがあります。少々癖があるカクテルなのですが、お飲みになりませんか?」
「え?・・・」
「マスター。頼むよ。そうだ。トイレは外だったよね?」
「はい。店を出て、左手です」
「ありがとう。マスター。アイ・オープナーを二杯。お願いして大丈夫?」
「承りました」
「君は、マスターの妙技を見ているといい」
「はい」
マスターは、ドアから出ていく森田を睨んでいる。
よく冷やしたシェイカーを取り出して、キンキンに冷やしたホワイトラムを取り出して、女性に見えるようにカウンターの上に置いた、同じように、アプサン、オレンジキュラソー、アマレットを取り出す。卵を二つ冷蔵庫から取り出して、シェイカーに材料を入れていく、卵は卵黄だけをシェイカーに入れる。
普段のカクテルよりも、力強く長い時間をかけて一つの液体になるようにシェイクする。
氷が液体を一つにまとめていく
女性は、マスターの手つきを喰い付くように見ている。
森田が戻ってきた。
「マスター」
森田は、耳を軽く撫でる仕草をする。
それから、口元に手を持っていった。
「ありがとう」
マスターは、カクテルグラスに、シェイカーから液体を注ぐ。
「アイ・オープナーです。癖が強いので、チェイサーとして炭酸水を用意します」
氷を満たしたグラスに強めの炭酸水を注いで、森田と女性の前に置いた。
二人は、カクテルグラスを軽く合わせてから、液体を流し込んだ。
飲みなれている森田は大丈夫なようだが、女性は液体を飲み込んだ後で、炭酸水を流し込んだ。
「”運命の出会い”はいかがでしたか?アイ・オープナーの名前は伊達ではなかったと思います」
女性は、少しだけケホケホとせき込みながら頷いている。
それでも、全ての液体を飲んだ。
「癖がありますが、慣れると美味しく感じるのが不思議です」
「マスターの腕もあるだろうな」
「ありがとうございます」
「マスター。明日まで待ってくれ」
「わかった」
森田と女性は、店を後にした。
会話だけを切り取ると、結婚の報告に来た夫婦の為に店を開けてマスターは待っていた。
カクテルを一杯おごった。
森田は、店から出る時に、急に来ることになったために、返礼品を持ってきていなかったから、後日もってくると言っている。
マスターは、翌日も店を開けなかった。
昼過ぎに、森田と常連の男が店にやってきた。
「マスター。クリーンだよ」
「助かる。それで?」
「ブツは、これだね。組織犯罪対策課がよく使うタイプだよ。多分、もう少しだけ違う場所だとは思う。帰って解析してから報告するよ」
「わかった。おい、それで、この店が盗聴されているのは、上が絡んでいるのか?」
「うーん。上というよりも、上に喧嘩を売った奴らだね。多分、官僚の勉強会を組織している奴らだと思う」
「任せていいのだな?」
「もちろん。上も、これで動けると思う。森田さんも、悪かったね。無茶なお願いをして・・・」
「まったくだ。嫁が、本当にこの店を気に入って・・・。家で、正座させられて怒られた」
「ははは。マスター。常連が増えそうだよ」
「ありがたい。森田。奥方は、知っているのか?」
「あぁそれは大丈夫。森田さんよりも長い人だよ。今川さんに近い人だね」
「そうか、それならよかった。ねぇマスター。寝起きで目が開かないから、アイ・オープナーを作ってよ」
「悪いな。今日は、卵がない。それに、俺は”運命の出会い”は・・・」
「はい。はい。そうだね。森田さん。後は、お願いして大丈夫?」
「任せてください。報告は、いつもの方法でお渡しします」
珍しく、マスターもカウンターを出てきて、自分が好きなウィスキーのボトルを持って座った。
男と森田の前と、自分とカウンターの端にグラスを置いて、ウィスキーを注いだ。
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