第四章 リブート

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第八話 アメリカーノ  今日の繁華街はいつも以上に上付いた雰囲気が漂っていた。  祭りが終わって静寂が訪れることもなく、祭りの余韻を楽しむ者たちで、繁華街は賑わっていた。 「マスター」  男が、静かだった店の静寂を壊した。  店で静かにグラスを傾けていた者たちの視線が男を非難している。  男は、視線の抗議を無視して、勝手に指定席にしている席に座る。 「・・・」  マスターは、男の様子から冷えたおしぼりを差し出す。 「ありがとう。あれ?彼らは?」 「休み」 「そう・・・。彼らは大丈夫?」 「質問の意図がわからない。大丈夫だから雇っている」 「それが聞けたら十分だよ。そうだ、マスター。アメリカーノをお願い」 「わかった」  マスターは、カウンターに、カンパリとスイート・ベルモットを置いた。  グラスに大きめの氷を入れて、数回ステアする。  氷を取り出したグラスに今度は形を整えた氷を数個入れてから、カンパリとスイート・ベルモットを同量注いだ。  男に見えるような位置で、液体がしっかりと混ざるように、ステアする。  冷えた炭酸水でグラスを満たしてから、炭酸が抜けないように軽くステアして、レモン・ピールを添えて男の前に置いた。 「アメリカーノ」  男は、赤く奇麗な液体が入ったグラスを持ち上げて、ライトに翳す。 「マスター。明日は?」 「休みだ」 「明日。ひとりの女性が来ると思う。”注文ができない”と思うから、アメリカーノを出してほしい」 「・・・。わかった」 「彼らも同席させてほしい」 「・・・。わかった」  アメリカーノを喉に流し込んだ男は、懐から封筒を取り出して、カウンターにおいて立ち上がった。 「明日は、来られないけど、彼女が辿り着けたら相手をしてあげて、時間通りには来るとは思うけど、少しくらいの遅れなら許してあげて」 「わかった」  男は、依頼だけ告げて店から出て行った。  店の中に残っている人たちは、マスターの男の関係を知っている者たちだけだが、静かに二人のやり取りが終わるのを待っていた。  【バーシオン】には、いつもの静寂が帰ってきた。  話声は聞こえるが、闇に消えていくように聞こえなくなる。注文する声と、マスターが作るカクテルが奏でる音を聞きながら、闇を楽しむ者たちが集っている。  翌日、マスターは”貸し切り”の札を掲げて店を開けた。  注文はわかっている。  男から渡された封筒には、1cmの札束と資料が入っていた。  マスターは札束から3枚の1万円札を抜き取って、アルバイトとして来ている男に渡す。 「マスター?」 「リブートに届けてくれ」 「わかりました」  アルバイトの男は、マスターから無造作に渡された封筒を大切な物を扱うように受け取り、ロックがかかるカバンに入れる。マスターから鍵を受け取り、ロックをしてから鍵をマスターに返す。  開けるのには、リブートを回している弁護士が持つ鍵で開けることになる。 「マスター。封筒の中に、資料が入ったままでいいのか?」  どこか片言の日本語だが、しっかりと意図は伝わる。 「大丈夫だ。そのまま、美和に渡してほしい」 「わかりました」  アルバイトの男は、もう一人の男と話をしてから、店の奥に入っていった。裏口から外に出て、リブートに向かう。  残っている男は、マスターから指示されて、店のボトルを磨いている。  マスターがグラスを磨く手を止めた。  男も、ボトルを磨いている布を隠して、正面を向いた。  三秒後。  店の扉が開いた。 「あの・・・」  扉から顔を出したのは、まだ幼さが残る女性だ。  資料では、23歳だと書かれていた。 「どうぞ、カウンターにお座りください」  ボトルを磨いていた男が、女性をエスコートするようにカウンターに座らせる。 「あの・・・。私、こういう所・・・。初めてで・・・」 「大丈夫ですよ。バーは、お客様に楽しんでもらう場所です。お気になさらずに」 「ありがとうございます。それで・・・」 「うかがっております」  女性は、カウンターに座ってからも、周りが珍しいのだろう、キョロキョロと見ている。 「お酒は飲めますか?」 「はい。あまり飲めませんが・・・」 「わかりました」  マスターは、頼まれていたように、アメリカーノを作る準備を始める。  女性の様子から、炭酸水をいつも使っている物よりも、炭酸が弱めの物に変えた。  カクテルを作るマスターの手元を女性は凝視するように見ている。  レモン・ピールを浮かべたグラスを、マスターが女性の前に置いた。 「アメリカーノです。炭酸は弱めにしてあります。ゆっくりお飲みください」  女性は、赤い液体で満たされたグラスを持ち上げた。 「綺麗・・・。マスター。このカクテルの名前をもう一度、教えてください」 「はい。アメリカーノ。カクテル言葉は、『届かぬ想い』です。イタリアで作られたカクテルです」 「へぇ・・・。アメリカーノという名前なのに、イタリア生まれなのね・・・。私みたい・・・」 「はい。使われているボトルも、イタリア産です」 「本当に・・・。私みたいなカクテル」  女性は、赤い液体を見つめながら呟くように言葉を発した。  そして、グラスに赤い唇を付けてから、グラスを傾ける。 「おいしい」 「ありがとうございます」 「マスター。話を聞いていただける?」 「もちろんです」  女性が語った話は、マスターたちは書類で知らされている内容だ。  違うのは、女性目線での感情が追加されていることだ。  女性の両親は、正規の手続きで日本に移民として認められた人物だ。  両親は、若いころに祖国を追われて、日本に流れ着いた。他の国では、両親のもともとの身分が邪魔をして、入国さえも拒否されてしまっている。日本での移民申請の難しさは世界でもトップクラスだ。彼女の両親は、正規の手続きで移民として認められた数少ない例だ。日本で日本語を覚えて、誰もやりたがらないような仕事も率先して行って、移民から日本に帰化した。  日本人として、会社を設立して小さいながらも生活が安定してきた時に、できた子供が彼女だ。  両親が40半ばをこえた時にできた子供だ。  子供は、祖国の血を色濃く受けていた。  彼女は、日本で産まれて日本で育った。  そんな彼女が恋する相手も日本人だ。  彼女の両親も彼を認めて、彼も彼女を受け入れた。  潮目が変わったのは、結婚の話をしはじめた時に、違法移民やオーバーステイの問題をマスコミが取り上げ始めてからだ。  彼は何も変わらずに彼女を支えている。  しかし、彼の周りの人間が、彼に”忠言”をしてくる。  彼は、とある企業の次男で、長男のスペアとして育てられた。  彼は彼女と駆け落ちしてもよいと言い出した。  祖国を逃げ出したことがある彼女の両親は、それは認めなかった。  彼女の長い話が終わった。  彼女と彼の想いは、彼の周りには届かない。彼女の両親には届いているが了承をもらえない。 「どうされますか?」 「え?」 「お二人で旅立つのなら、お手伝いができます」  女性は首を大きく横に振る。女性もわかっているのだろう。  マスターは、戸棚から紙を取り出して、彼女の前に置いた。 「え?」 「あなたのご両親からです。もう一枚は、彼のご両親からです」 「・・・」  女性は、恐る恐る差し出された紙を受け取り、内容を確認する。  小さな声で”嘘”とだけ呟いた。 「そして、彼からです」 「・・・」 「どうしますか?約束の時間には、まだ間に合いますよ?」 「・・・。ありがとう」 「私たちは、止まり木です。疲れた翼を休める場所です」 「ふふふ。優しいのね。私、行きます。想いは届いたのですね」 「どうでしょう。それを確認するのが、あなたの役割だと思いますよ?」 「そうですね」  女性は立ち上がって、財布を取り出す。  マスターは女性の動きを制止した。 「お代はいただいております。あと、彼の周りに居た者たちでよからぬことを企んでいた者たちは、彼のご両親にお伝えしました。”ご安心ください”と彼にお伝え願いますか?」 「わかりました。必ず伝えます」  女性は頭を深々と下げてから、急ぎ足で店から出ていく。  ドアを開けてから、振り返って、マスターと男に礼をしてから、ドアを閉めた。
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