アラベスク第一番

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 思い出しただけで吐きそうだ。昨年に故障した右足首の状態がよくない。現地の食事が合わない。選手村のベッドが固くて腰が痛い。いつもは右足から会場入りするのに、今日に限って左足から入ってしまった。  反省点を挙げていたら夜が明けてしまう。夜が明けて、朝になって、それで? そう、フリープログラム。現実的に考えて金メダルは無理。でも、まだかろうじて表彰台なら臨めるか? 今は反省より戦略。挫けている暇はない。私は、日本人の期待を一身に背負っている。背負うことが義務づけられている。  頭ではわかっているのに、身体が動かない。早くコーチの元へ行かなきゃ。明日の打ち合わせを。脳みそが指令を出しているはずなのに、シーツに押しつけた頭はぴくりとも持ち上がらない。  目蓋を閉じると、無明の闇が広がっていた。明日の打ち合わせ。明日こそは失敗できない。例え足がちぎれても、二本のトリプルアクセルは成功させてみせる。それから、演技後半の三連続コンビネーション。明日を失敗する私に、日本に帰る資格はない。  あ、ダメだ。と思った時にはもう遅かった。無明の闇がゆるゆると喉元を締め上げる。足が動かない。闇に押さえつけられて、硬いベッドの底に沈んでしまう。  かろうじてこちら側に踏み留まれたのは、ノックの音に目を見開いたから。 「ミズキ? 大丈夫? 起きてる?」  コーチの声に、張り詰めた息を吐く。私がなかなか打ち合わせに来ないから、心配して迎えに来たのだろう。  硬いベッドから這い上がると、ドアを勢いよく開いた。
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