アラベスク第一番

3/7
前へ
/7ページ
次へ
「大丈夫に決まっているでしょう。伊達に二十年もスケートやってない。逆境なんていつものことよ。そのためのメンタルトレーニングだし。アンジェラの言いつけ通り、メディアもSNSも見てないよ。どうせ、ろくなことを言われていないのは知ってる」  早口の英語で捲し立てる。廊下に立っていたグラマラス体形の女性コーチは、呆気にとられたように目を見張って――目元に険を滲ませた。 「ミズキ。自棄になるのはやめなさい」 「は? なってないよ。打ち合わせの時間に遅れたから怒ってるの? だったら、ごめん。心配ない。少しうとうとしていただけ」 「落ち着いて。まだ明日があるじゃない」  私は落ち着いている。そう言い返そうとして、口は別の言葉を叫んでいた。 「明日なんてない!」  アンジェラの青い瞳に映る私は、血走った眼をしていた。不細工だ。全然綺麗じゃない。綺麗じゃない私が、氷の舞台で輝ける明日は来るのか?  アンジェラが瞬きをする。不細工な私が、青褪めた目蓋に隠される。瞳を開いたアンジェラは、手にしていたスマートフォンを突き出した。 「電話よ。日本から」 「え?」 「ユカ・ミズカワがあなたと話したいって」  聞き間違いかと思った。だが、尋ね返す前に、アンジェラはスマートフォンを私の手に押しつけてしまった。「調整ルームで待ってる」そう言い残して、あっさりと背を向ける。  一人廊下に取り残された私は、手の中に残った冷たい電子機器をぼんやりと見下ろした。画面は通話中のまま。与えられた部屋に戻ると、スマートフォンをのろのろと耳に当てる。
/7ページ

最初のコメントを投稿しよう!

9人が本棚に入れています
本棚に追加