アラベスク第一番

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「…………はい」 「ミズキちゃん? ごめんね、忙しい時に。今少しだけいい?」  落ち着いた大人の女性の声に、「はい」と繰り返すことしかできない。どうして今、このタイミングで。最後にお会いしたのはいつだっけ。そうだ。日本を発つ直前に開かれた選手激励パーティー。水川友花は私に、「楽しみにしているわね」と言ったのだ。  ぐるぐると混乱する私を置き去りにして、水川友花が電話の向こうで微笑んだ気がした。 「ミズキちゃんのレイバックスピン、まるで花がひらくように綺麗だった。それだけを伝えたくて」  フィギュアスケートは鑑賞を目的とした芸術ではない。氷上のスポーツだ。スポーツと言うからには技を競う。その最たるものがジャンプ。かつて、誰にも飛べないジャンプを軽々と決め、金メダルを総舐めにした水川友花の独壇場を阻止しようと、フィギュアスケートの採点基準が変更になったとまことしやかに囁かれている。採点から弾かれた彼女が、唯一とれなかった金メダル。それが、オリンピックの舞台。  フィギュアスケートは芸術ではない、スポーツであることを世界に気づかせた彼女は、ジャンプ以外の演技で人並み以上の評価を得られないまま、表舞台から去ってしまった。ジャンプ以外が劣っていたわけでは決してない。ジャンプを批判できなかったから、ジャンプ以外を批判するしかなかった。だから、水川友花は高難易度のジャンプを求められ続け、そして現役復帰は絶望的なほどの怪我を負った。  ジャンプの申し子とさえ言われた水川友花が、ジャンプ以外を褒めるためにわざわざ国際電話を。目の前が暗くなる。私は、日本中が期待していたトリプルアクセルを失敗した。私は、水川友花にはなれなかった。
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