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4. 冒険者体験
好きなことも得意なこともない。勉強にしろ運動にしろ、周りと比べて抜きん出てよく出来るものがなかった。
けどそれでよかったのだ。なんの問題もなかったのだから。
異世界に来るまでは。
「リザさん〜、無茶ですって!」
訴えたが、リザさんは聞き入れなかった。
「さあ、もう一度!」
と、28メートル先の的を指す。
ここは【アーベントイア】の裏庭。
おれはいつも店と生活に使わせてもらっている屋根裏の往復しかしないため、訪れることがなかったが、裏庭は冒険者たちの訓練所となっている。
おれは冒険者ではない。あくまで従業員だ。
しかし、先日の失態で状況が変わった。
「見積もりを出している段階では、ノーマンとマルタの二人パーティで考えていました。ノーマンがゴブリンを足止めし、マルタの詠唱時間を稼ぐという作戦です」
しかし、とリザさんはそこで言葉を区切る。
「我々の偵察がハイゴブリンたちにバレたことで状況が変わりました。ハイゴブリンの指を習性を考えると一週間以内に彼らは襲撃してくることでしょう。つまり、ノーマンのスキルを一定値まで上げる時間が無くなってしまったのです。そこで」
びしりとリザさんがおれを指差した。
「ショウ、貴方の協力が必要になりました。なんでも構いません。貴方が身につけているスキルを教えてください」
教えてください、といわれたところで、冒頭で述べた通り、何もないのだ。
けれど、なにもないという回答は許されない雰囲気だった。ああ、社会人とはなんと厳しいものなのだろう。
おれは懸命に考えてひねり出した結果、高校時代に一年間だけやった弓道の経験を打ち明けた。
一年間、と言ったが、ほとんど幽霊部員だったため経験と言えるほどのことはなにもしていない。なにかしら部活に入らなければならなくて、致し方なく入ったのだ。見学で見た時にちょっとかっこいいなと思ったからなのだが、結局思っただけで身にはならなかった。
「というわけで、おれにできることなんてなにも……」
と答えようとした次の瞬間には、弓道具の一式が俺の前に揃えられていた。
てっきりこの世界には洋弓しかないと思っていたのに、一部の種族は和弓を使用するらしい。
「道具はこれで問題ないですね?」
といわれてしまえば、観念するしかない。
おれは胸あてをつけ、ゆがけを手に装着した。
何年振りだろう。なんだかんだで動きは体に染み付いていた。矢をつがえ、的をめがけて構える。
十分に引いた弦を離すと、矢は的の数十センチ上に刺さった。的にはかすりもしない。
やっぱりな、と思いながらおれは構えを解く。
「……無理なんですよ、おれには」
と自嘲気味に笑うと、リザさんのきょとんとした顔にぶつかった。
「なにが無理なんですか?」
「なにって……的にかすりもしてないじゃないですか。そんなおれがノーマンやマルタをサポートするなんて……」
リザさんはおれの言葉を少し考える仕草を見せた後、
「ショウ。貴方は弓の扱い方をすでに身につけています。的に当たりこそしませんでしたが、見当違いな方向へ矢を射ったわけではありません。そうですね?」
「まあ……」
おれの答えに十分だと彼女は頷く。
「今から貴方を世界一のアーチャーにすると言ったら、嘘になるでしょう。絶対に無理だとは言いませんが、それ相応の努力が必要だと思います。ですが、私がいま貴方に求めているのは、前線で戦うことになるノーマンのサポートです。何百と向かってくるハイゴブリンの足止めなのです」
リザさんの言葉は今回の依頼だけに向けられたものではないように思えた。
訓練メニューは、まず基礎的な体力作り。これにはノーマンも加わった。
「ショウ、よろしくな!」
さわやかに笑いかけられ、戸惑いながらも伸ばされた手を握る。ノーマンはこちらが不安になる程、爽やかな男だった。
彼は害獣を追い払うのに斧を用いていて、訓練の一環である素振り中は斧に見立てた模造品を振るっていた。
訓練後、リザさんはさらに戦闘に特化したアックスをノーマンに渡していた。これだけでノーマンの攻撃力は格段に上がる。武器まで提供するのか、と驚いていると、「ご心配なく。経費で落とすので」と返された。
ノーマンの課題は、このアックスを使いこなすことだった。筋トレにくわえ、素振りと、スコープによって撮影されたハイゴブリンの戦闘時の動きをホノグラムで映し出し、シミュレーション訓練を重ねる。
一方おれはというと、まずとにかく八〇射程毎日引いた。三割程度的中するようになったところで、的中する時とそうでない時の射形のちがいを比べ、できる限り安定したフォームで引けるように特訓を重ねいった。
未だかつてないほど真剣に取り組んでいたと思う。部活でだってこんなに熱心に練習しなかったというのに。
リザさんが見ていない間にさぼってしまおうかという悪い考えに囚われそうになることもあったが、そういう時に限って、ノーマンかマルタがいるのだった。
「ショウ、巻き込んでしまって本当にすまない」
と真剣に謝られても、
「いや、ノーマンにとって死活問題なわけだし気にするなよ」
という気休めの言葉しか返せない。
マルタも少しでも詠唱時間を短縮できるようにと、訓練所の片隅でブツブツと呪文書を読んでいた。相変わらずオドオドした様子で会話らしい会話には至らない日々が続いていたが、ある日ノーマンとおれがそろって筋トレをしていると、彼女はにこにことこちらを見つめてきた。
「どうしてそんなに嬉しそうなんだ?」
とノーマンが尋ねると、言葉をかけられると思っていなかったようでマルタはびくりと肩を震わせた。それから、
「あ、アタシ……ダークエルフだから。冒険者だけど。リザさん以外とパーティ組んだことなくて、だから、その、ごめんなさい……嬉しくて」
消え入りそうな声で言われ、おれとノーマンは顔を見合わせた。
先に口を開いたのはノーマンだ。
「……正直、おれのような田舎者にとってダークエルフはおとぎ話の悪役で、だからまあ、良い印象持ってなかったけど……」
ノーマンの言葉にしゅんとマルタが俯く。慌てて、なんて話の切り出し方をするんだ、とおれが肘でどつくと、
「あ、悪い! その、うまく言えないけど、おれたちが知らなかっただけだったんだってことが分かったんだよ。今のおれにとってあんたはとても頼もしい仲間だ」
「というより、マルタ頼りな作戦だからな。ほんと、詠唱頼むよ」
ノーマンにのっかる形でおれも言葉をかけた。マルタはにっこりと眩しいほどの笑顔を見せてくれた。
こうして特訓を通しておれたちは仲を深めていったのだった。
リザさんからおれたち三人が呼び出されたのは訓練を始めてちょうど二週間経った頃。
「ハイゴブリンに動きが見られました。三人にはこれから現地に向かっていただきます」
とリザさんからの指示が入った。
いよいよだ。おれは緊張をごまかすように両の手を握りしめる。
リザさんはおれに転送機を差し出し、
「前回、ゴブリンの巣の近くを記憶しておきました。赤のボタンを押せば飛べます。ちょうど程よい高台となっていたので、ショウはそこに位置を取っておくと良いでしょう」
と言った。
ではあとは手筈通りに、と指示するリザさんに、ふとした疑問が湧く。
「リザさんは一緒に来ないんですか!?」
おれの問いにリザさんはあっさりと頷く。
「ええ。作戦はすでに伝えておりますし、いつまでもツェツィーリアに店の運営を任せるわけにはいきませんから」
もっともな言い分なのだが、リザさんがいるのといないのとでは圧倒的に安心感がちがう。
ノーマンもマルタも不安そうだ。が、リザさんの決意は固かった。
飛んできたのは、ゴブリンの住まう洞窟の入り口が直線距離にして十数メートル離れたところにある高台だった。
見晴らしがよく、洞窟の入り口がよく見える。
洞窟の中が騒がしい。このあいだのような浮かれた声ではなく、殺気に満ちたピリピリとした様子だ。
リザさんの言う通り、まさにハイゴブリンはいま、村を襲うべく出撃するところだった。
マルタに合図を送る。彼女は頷いて答えたのち、高台を降りて、舞を始めた。
ノーマンも降り立ち、マルタをかばうように前へ出た。
洞窟の入り口から三列ほどに隊列を組んだハイゴブリンがどっと現れる。
俺はゴブリン目掛けて矢を射った。命中率は相変わらず三割から四割程度。だが、おれが射止め損ねた残りをノーマンが一気に斧でなぎ払っていく。
マルタの詠唱時間は十分ほどに縮まっていた。
なんとか、キングがこちらに迫るまでに魔法を発動してもらわなければ、こちらの命はない。
どうしてこんな命がけのことをしなければならないんだ、と思う。なにになるわけでもないのに。しかし、そこでリザさんの言葉を思い出した。
「ショウ。一度でいいからなにかに真剣に打ち込んでみなさい。なんとなくでは見えないものが見えるかもしれませんよ」
言われてみれば、おれは今までなんとなくでしか生きてこなかった。真剣に打ち込んだことのあるものなどひとつもない。だけど短い間とはいえ、今回の特訓だけは真面目に取り組んだのだ。絶対に失敗したくない。そんな強い思いを抱いたのははじめてだった。
数十射ほどした頃。洞窟からひときわ大きなゴブリンが出てきた。ひとめでわかる。こいつがトップだ。
キングと呼ばれるのにふさわしく、堂々した歩みでこちらに向かって突き進んできた。通常のゴブリンの五倍はあろうかという大きさだ。的が大きいので俺の射った矢はキングに向かって飛んだが、しっかりと刺さることなく落ちてしまった。
このままではまずい。全滅する……そう思ったところで、マルタの周囲が眩く光った。この光には見覚えがある。魔法の発動の合図だ。
はたしてマルタの魔法は無事に発動し、その場にいたハイゴブリンを殲滅した。相変わらず規格外の威力だ。
しばらく焼け野原となった光景を眺めていたが、まもなくフライングビークルのプロペラの音が聞こえてきて、リザさんが迎えにきてくれたことが分かった。
リスタル村で報酬を受け取り、ノーマンと別れたあと、おれはリザさんに聞いてみた。
「リザさんって、めちゃくちゃ強いのに、どうして直接自分で討伐を行なわないんですか?」
リザさんはわずかに考えたあと、
「……私は向いていないですから。冒険者ギルドの支配人が性に合っているんです」
と困ったように微笑んだ。ついでリザさんも、
「ショウはパーティに加わってみて、どうでした?」
と聞いてきた。
リザさんが言うように、とりあえずおれなりに真剣に取り組んでみたつもりだ。
はじめての経験。なにかに真面目に取り組むということはもちろん、異世界に転生した際にメジャーな冒険も。まさかこんな形で経験することになるとは思わなかった。
なにもかも新鮮だったことはまちがいない。しかしその結果思ったことは。
「いやあ、おれにはやっぱり、冒険者ギルド支配人の助手が一番性に合ってるみたいです」
そんなわけでおれは、いつか元の世界に帰れる日が来るのを願って、異世界の派遣会社、【アーベントイア】で今日も働いている。
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