愛らしい鎧

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新学期。 それは、皆が新たな場所へと向かう季節。 みんな新たな鎧を身にまとい、新たな戦場へと足を踏み入れる。   でも、身に着けた鎧が……もし、本当の自分になってしまうとしたら。 あなたは一体、どうしますか?   * ピピピピッ 朝、七時。 頭の上で、けたたましくなるそれを、手をめいっぱい伸ばして止めた。 (うるせぇ) 俺は朝が苦手だ。 特に、朝起きるのが苦手だ。 睡眠を妨害される感覚もいやだし、なにより、明日の余韻を味わうことなく現実世界に召喚される感覚が堪らなく嫌だ。 それが嫌だから、俺は会社員になるのをやめた。 ただ、親には、絶対就職しろ……と言われている。 だから、少なくとも来年には働くことになるだろう。 「ふぅ」 だからせめて、それまではゆっくりしよう……と。 お気に入りのコーヒーをつぎ、ソファーに腰かけた。 * 「今日は、飲み会かぁ」 スマホの予定を確認しながら、珈琲を啜る。 大学の同期との飲み会ということもあり、就職していない自分は、多少気後れしてしまっている自分もいた。 「頑張ろ」 緊張をほぐすために、わざとうなじを掻きむしる。 そして、目の前にあったテレビをなんとなくつけた。 『特集です。遊園地の着ぐるみが、今熱い!?その件について調査します!!』 目の前には愛らしいウサギのぬいぐるみとレポーターが映し出されている。 ふと、視線を感じ、画面をみると。画面越しに、ウサギがこちらを見ていた。 「え、マジ?」 気のせいだろうか? 怖くなって、画面を横目にちらりと見る。 すると、既に画面は別の場所を映しており、あのウサギは消えていた。 「はぁぁぁ、よかった」 その瞬間に、軽くこわばっていた体の力が抜ける。 そして、同時に気のせいだろう、と自分を励ましている自分がいた。 「気のせい、気のせい」 そんなとき、電話の着信がなって思わず、びくりと身体が反応してしまう。 「はっ、誰だよ!!」 恐る恐る電話に出ると、後輩だった。 声の主があのウサギではない、とわかった瞬間に深く息を吐いた。 「はぁ、よかった」 「……?どういうことですか?」 思わずでた言葉に、後輩が首を傾げたように言ってくる。 俺は、それを誤魔化し、今日の予定を聞いた。 「わかった。ありがとう」 そういって、電話を切ると、俺は支度をし始めた。 ショルダーバックを肩から下げる。 そして、扉を閉めた。 * そして、暖簾をくぐった。 居酒屋とあって、中は相変わらず騒がしくて騒々しい。 店の中は既に大勢の人で埋め尽くされていたから、俺はゴミのように密集している人たちを上手く避けながら、店の一番奥にある集合場所へと向かっていた。 「久しぶり!」 そう声をかけると、見知ったメンバーがこちらを向いて、手を振り返してくれた。今は四月だから、卒業式にあったとき以来だった。 最後にあってから、一ヶ月も経っていないのに皆大人になったように見えた。 それは、この中にいる大半のメンバーがスーツを着ているからだろう。 みんな仕事帰り、といった感じで新しい仕事のことについて話していた。 俺は、靴を脱ぎながら、早速コンプレックスを感じ始めていた。 あぁ、もう皆大学の頃とは違うんだなぁ…… そう思いながら席に着いた。 けれど、俺は特別落ち込んだわけでも、焦ったわけでもない。 どちらかというと、寂寥にも似た感覚を覚えただけで。 別にそれ以外はどうとか、そういうわけじゃなかった。 * 「礼人~」 席に着くと、目の前から話しかけられる。 声のする方を確認すると、見知った金髪の男がいた。 「怜雄じゃん、久しぶり」 奴は幼馴染の池田怜雄。 中学の頃からの腐れ縁で、超陽キャだ。 奴をひとことで表すならば、バカだけどいいやつ。 ゆえに、誰とでも仲が良い 「ちょっと~」 俺が、早速届いた酒を飲もうとしていると、じっ、とジト目でみてきた。 「馬鹿ってなに?」 どうやら言葉に出ていたらしい。 俺は、気のせい、と笑いながら誤魔化した。 「ふーん、そう」 それに対し、彼はそれ以上言ってくることはなかった。 * 会も中盤になり、みんなお酒が進んできたころだった。 その場にいるメンバーの大半が、新しく入った会社の話や、仕事の話で盛り上がり始めた頃。 いち早く俺はその話題に入れないと踏み、こっそり窓際に移動した。 そして俺は、端から、話題の中心にいる人たちを眺めていた。 そして、その中に怜雄の姿もあった。 俺はぼんやりそれを見ながら、焼酎を煽っていた。 怜雄も就職したのかな? メンバーに笑いかけて、話に入っていく様子からはそう見えた。 あいつが、就職かぁ…… どこで働くんだろうな そんなことを考えていたときだった。 なにか、質問を投げかけられた怜雄の顔がみるみるうちに焦った顔になり、 手を振って何かを誤魔化し、その輪から離れていくのが見えた。 そして、どうやって見つけたのか、端にいる俺の方まで来て。 「一緒に呑もう!」 そう言って、いつもより高いテンションで、俺に言ったのだった。 * それからときは経ち…… お開きの時間になった。 「また、会おうね」 「おう」 俺はみんなに手を振る中、いつも元気な怜雄は、話しかけられた人にのみ返事をし、いそいそと店をあとにしていた。 思えば、そのときから怜雄は変だった。 *   居酒屋からの帰り道。 俺は、怜雄と一緒に家路をともにしていた。 「……」 「……」   中学からの付き合いなので、十年以上。  お互い今更喋ることもなく、無言で足を進めていた。   古い民家が立ち並ぶ中、互いの足音だけが響いていた。 川のせせらぎが聞こえる。それは、他の何よりもはっきりしていて、それ以外に音なんて聞こえないくらいだった。無理もない。二人して終電逃していたのだから。   店から、着実に歩みを進めて来て……   今、何時だろう?   はたと思い立って、俺は時刻を確認する為に、鞄からスマホを取り出そうとした。 そんな矢先だった。   「新しい自分って、なんだろうね」   突如、斜め上から降ってきた声。 あまりにもいきなりだったもんだから、俺は驚いてその場に尻もちをついてしまった。   「え、どしたの?いきなり」   彼の柄にもないような言葉に、驚くとともに。 またいつもの冗談だろうな、と思いおどけたような口調で聞き返す。   けれど、返事がなかったから大丈夫かと不安になり、まじまじと下から怜雄を見た。   「いや、さ、気まぐれだよ」   彼は、いつにもない表情をしてた。 普段は、ひょうきんで、笑顔を絶やさなくて、何も悩みなんてなさそうにみえた……そんな奴が。すごく、深刻な表情で、こう、なにか一点を見つめるみたいにしていた。   「いや、気まぐれって……お前」   俺が、心底困った感を露わにして聞き返すと、彼はハッとした表情をして、すぐに笑顔に戻る。そして、忘れてくれと自分に言ってきた。 「え、でも……」 「いいんだ」 俺が口ごもると、彼は落ち着いた口調でそう言う。 そんな彼には、さっきまでの面影はもうなくなっていた。 諦めたように口を開く。 そんな彼に物悲しさとかはなかった。 「ずっと悩んでた」 「それが今、決まったんだ」 だから、いいんだ、と。 淡々とそう話す彼に、俺は何も言えなかった。 「そっか、頑張れよ……」 正直腑に落ちていなかった。 けれど、彼がすがすがしい顔をしていたから。 俺はそういって、送り出す他なかったんだ。 「ありがとう、がんばる」 そういう彼は、いつも通り満面の笑みだった。 だから、そのとき不安だった感情も、いつのまにか剥がれ落ちていて。 俺は、彼が落ちていくことに気が付けなかった。 * ________数か月後 『さくら遊園地』 見上げた先には、でかでかと電飾で彩られた文字。 「きたー、久しぶりやな」 「そうだね」 俺は、大学の同期メンバーと一緒に遊園地に来ていた。 何故、ここになったかはわからない。 粗方、女子メンバーが行きたいとでもいったんだろう。 前方ではしゃいでいる集団を横目に、俺はその後ろを少し遅れてついていくことにした。 「よっし、俺あれ乗る!」 「ずるーい、私も乗る!」 遊園地なんて久しぶりだったから、ちゃんと楽しめるか不安だったが、メンバーがそんな感じで楽しそうにしていると、自分もなんだかわくわくしてきていた。 (たまには、いいな) ジェットコースターに、メリーゴーランド。 眼下に広がるその光景は華やかで、どれも現実を忘れて浮かれてしまうそうになる。 園内にかかっている音楽もプラスして、気分も盛り上がってきていた。 「よし、みんな各自乗りたいもの言ってくれ」 リーダー格の男の言う声で、仲いい人同士一斉に話始めた。 俺はというと、珍しく怜雄が欠席だった為、近くにいた奴と話し始めた。 「これいいんじゃないか?」 「ん、じゃ俺もそれにしよっかな」 怜雄が、この同期会自体休むことは珍しかった。 いつもみんなと仲がよくて、なんならいつも中心で暴れているような奴だ。 これなくて残念だな、と思いつつ。 みんなと遊び始めてからは、そんなこと忘れて楽しんでいた。 そして、昼ご飯も食べ終わったころ。 「解散、かいさーん」 男の合図で、各自自由行動になった。 仲がいいやつがいるやつは、みんな一斉に捌けていく。 俺は、というと特段一緒に行動したいやつもいなかったので、園内のベンチに座って、 ひたすらスマホを見て時間を潰していた。 特にやりたいことはない。 ただ、敵を倒し、報酬をゲットして。 それを繰り返していた……そんな矢先だった。 (っ……なんだ!?) なにかとてつもない視線のようなものを感じて、後ろを振り向く。 しかし、何も見当たらず、もと向いていた向きに戻る。 (なんなんだ、この違和感……!!) しかし、違和感は消えない。 それどころか、増していっているような気がする。 そう……例えるなら、誰か得体のしれない何かが、ずっと自分を殺す機会を狙っているような……そんな感じだった。 静寂のなかにまとわりつく、確かな違和感に。 ごく微動ながらも、足が小刻みに震えているのがわかる。 (誰だよ……!!) すごく気持ち悪い。 意識と無意識の狭間に、体を無理矢理ねじ込まれたような感覚に、正直恐怖を通り越して吐き気すら覚えてしまいそうだった。 目で見れるすべての範囲のものを見逃さないように、そんなふうに眼球が動く。 それでも違和感の正体は見つからなかった。 (どうしたらいい!?) 何かが確実に自分を狙っている。 それがわからないのが、もどかしくてイライラする。 どうしたらいいのか、わからなかった。 俺は、もう無理だと思った。 この、原因不明の恐怖に惑わされるのは、もううんざりだった。 汗で張り付いた前髪を搔き上げて、足早に席を立つ。 そして、誰にも見えなそうな人ごみに紛れようとした。 ちょうど、そんなときだった。 視界の端に、あの着ぐるみがうつる。 「っ……」 それは、あのときテレビで見た、あの着ぐるみだった。 「……ぁ……ぁ」 言葉を発せなくなった俺とは対照的に、着ぐるみは無機質なその顔で俺を見てきた。 (怖えぇ……なんなの、これ!?) 静かだった心臓が、急に暴れだす。 目に見えているそれがまるで、異物だと言わんばかりに、体全体からざぁっ、と。 汗が滝のように流れ出すのがわかった。 (落ち着け俺、落ち着け。相手はただのきぐるみじゃねぇか) そう自分に言い聞かせるものの、落ち着けるはずもない。 俺は、この状況から逃れたくて、俺を直視する着ぐるみから、即座に視線を外し、 人ごみに消えようとした。 そのとき…… 『また来てね』 そう、ハッキリと聞こえたのだ。 もう一度見ると、着ぐるみは影も形もなくなっていた。 * 「おまたせ~」 その直後みんなが戻ってきた。 時計を見ると、もう午後三時を回っていた。 「どうしたの?そんなに汗かいて」 「大丈夫、なんでもない」 戻ってきたメンバーのうちの一人が俺の様子に気づいて声を掛けてくる。 それを、俺は大丈夫と言ってあしらった。 ……つもりだった。 しかし、なんともまぁ女子という生き物には敵わないらしい。 他の女子の間にも俺の話が広まったのか。 顔色が悪い、とか。 帰った方がいいよ、とか言われ。 あれよ、あれよと言う間に帰ることが決まったのだった。 「次会うときは、体調に気をつけて来いよ~」 「お大事にね~」 みんなから、揃って手を振られながらその場を去る。 なかなか、こんな経験もないので振り返しておいた。 「さぁ、帰るか」 正直、もうこの遊園地にいたくなかったので、帰ることになったのは正直ありがたかった。後ろを振り返ると、またあの姿を思い出しそうなので、足早に前だけを向いて歩いた。 目の前にはすでに、もう沈もうとしている夕日が見える。 俺は、その光を正面に、ただただ出口までの道を急いだ。 「……」 少しも後ろを振り返らずにひたすら歩く。 そして、出口が見えて来て、一気に走ってゲートを潜り抜けたところで力尽きた。 「はぁ、はぁ」 もう、ウサギは追いかけてこれないだろう。 安心感と疲労感とそんなものがまぜこぜになったような感情が一気に襲ってくる。 そして、もうここには近づかないと誓った。 「疲れた。早く家かえろう」 もうここからは帰るだけだ。 自分にそう言い聞かせ、帰りのバス停めがけて歩き始めた。 今日はすごい日だったなぁと心の中で思いながら。 頭の中ではもう、今日の夕飯について考え始めていた。 そんな彼の後ろで…… ゲートギリギリのところに、黒い影がひとつこちらをみていた。 * その日、家に帰ると、アイツがいた。 「やっほ」 あろうことか怜雄が家の前で待ち伏せしていたのだ。 この間のこともあったから、俺は少し気を遣って話しかけた。 「おぉ、久しぶり。どう?最近は」 「全然、むしろ絶好調って感じ」 すると、奴はそう言って笑う。 その笑みに、今度こそ嘘はなさそうで、なんだかホッとした。 「よかった」 そういうと奴も少し笑う。 「ごめん、心配かけて」 「もう全然大丈夫だから」 「みたいだね」 彼のそんな様子を見て、俺はそう言った。 そんな俺に、彼は満面の笑みで答えた。 「心配しててくれたのね、そりゃどーも」 ヘラヘラ言って笑う彼に、心配したんだぞと笑う。 それに、怜雄がごめんといって笑う。 それから、この間の空気は嘘だったかのように、二人して話し込んだ。 そして、しばらく会っていなかった間の話や、昔話で盛り上がった。 * そして、いつしかのことだった。 「最近、バイト始めたんだよね」 怜雄がそんなことを言い出した。 始めてから、毎日が楽しくて充実している。 彼は、しきりにそのことだけを俺に話してきた。 「毎日、本当に充実してるんだ。最高だよ」 嬉しそうにそういう彼に、心からよかったと思った。 この間の飲み会のときは、すごく落ち込んでいたようにみえたから。 「よかった」 そういうと、笑ってうんと頷く。 俺は嬉しくて、その流れでどんなバイトしているのかを聞いた。 『着ぐるみのバイト』 刹那、彼の眼光が一瞬するどくなったような気がして、ビビる。 直後、もう一度みると彼の顔は普通に戻っていた。 「あぁ、そうなんだ」 俺は、急に喉が渇いた気がして、せわしなく鞄を漁った。 あまりに焦ったものだから、やっと取り出せたペットボトルが、手から滑り落ちて、ゴロゴロと地面に転がった。 「ちょっと、焦りすぎ」 それを、笑って怜雄が拾う。 俺は、お礼を言って、そくさとそれを拾った。 「今日は帰るわ」 俺はそう言って帰ろうとする。 すると、怜雄はまたね~と手を振った。 『じゃあ、また今度』 別れ際、お互いの声が重なる。 俺は扉を閉めて部屋へ帰った。 そして、主人公がいなくなった月の下では。 『また来てね』 真っ暗な夜の歩道に、人間の影が一体。 ぴょんぴょんと跳ねている姿が見えた。 * あれから暫くたった。 あの日以降、あの奇妙なウサギはみていない。 「夢、だったのか?」 それにしても、やけにリアルな夢だったなと思った。 だって、あいつは確実に、自分を見ていたから。 まっすぐに、俺を見つめていた。 「っ、はぁ……寒気する」 頭の中に浮かんだ映像に、思わず身震いしてしまう。 今考えても、実際にみたことが信じられないくらいだった。 あの映像を思い出そうとすると、無意識に頭の奥がズキズキとしてくる。 加えて気分まで悪くなってきそうだったから、考えるのをやめた。 「ふぅ……嫌な夢だったな」 そう、あれは嫌な夢だ。 今年はほとんど家から出ていなかったし、きっとストレスが溜まっていたんだろう。 (そうに違いない) 俺は、自分にそう言い聞かせて、席をたった。 愛用の腕時計をみると、もうお昼も近かったので、昼食をとることにした。 ご飯を食べて、のんびりテレビをみて。 夕方まで好きなバトロワゲームでもやっていれば忘れるだろう。 そう考えながら、俺は台所に向かった。 今家には、レトルトのカレーライスがあったはず。 更にもう一品食べたいな、と思った俺は戸棚を漁った。 すると、いつだかに買ったスープはるさめが出てきたので、 今日のお昼はカレーとスープ春雨にすることにした。 食事にしてはとてもアンバランスだったが、栄養価的には問題ないだろう。 俺は、そう鷹を括り、軽い昼食づくりに取り掛かった。 * 昼食も作り終わり、俺はテーブルの前に腰かけていた。 そんな俺は、スマホ片手に、スプーンを持って器用にカレーに食らいつく。 「うめっ」 そして、全ての目の前には24インチくらいのテレビ。 なんとなく付けているそれには、お昼のワイドショーらしきものが流れていた。 (あぁ、世間ではこうやって時間が流れているんだな) そう考えると、俺ってすごく贅沢な時間を過ごしているような気がする。 何者にも縛られず、自分が生きたいように生きる。世間様からみれば、外道とか、クズとかそれ以外にも言われるに足らない想像は、いくらでも思いついた。 でも、それでもいい。 俺は、今の自分の生活に満足している。 そう思いながら、平日の真昼間の正午過ぎから、酎ハイの500ml缶片手に、スープはるさめをひたすら啜っていた。 そう、この日はいつにもまして優雅な午後だったはずだった。 フリーターという特権を活かし、存分に生活を謳歌している……はずだった。 * それが、どこから崩れたんだろう。 いつの間にか、俺の部屋は真っ暗になっていた。 電気もついておらず、唯一のベランダとの間仕切りも、隙間ひとつないくらい、ぴしりと閉め切られていた。 お陰で昼にも関わらず、部屋は真っ暗。 光ひとつ入ってこない部屋の中で、テレビの青白い光だけが不規則に点滅している。 俺は、というと。 酒缶片手に、独りテレビに釘付けになっていた。 不規則な光の集合体が生み出す、その小さな枠の向こう側。 俺は、それをみた瞬間に、手を止めた。 「……っ」 ガタン コロコロ 掴んでいた筈の缶は、あっけなく床に転がっていく。 力を入れることを放棄した腕は、だらんと垂れ下がってしまう。 「っ……おい、どういうことだよ」 そして、無意識にテレビを掴んでしまう。 それは、自らが画面に近づいても変わらなかった。 俺の見間違いなんかじゃなかった。 俺の視線の先、まっすぐの位置。 その場所に、今日もアイツは鎮座していた。 しかし、それは『使用不可』という紙を貼り付けられて…… 堂々と画面に映し出されていた。 いつも鋭いアイツの目が。 今日は酷く濁っているような気がした。 * 平日の昼下がり。 時刻は午前一時過ぎ。 外では、穏やかな時間が流れているのであろう。 だけど、俺はもうそんな気分にはなれなかった。 原因はさっき聞いてしまった、衝撃的なニュースのせいだった。 「あぁ……あははは」 普段から冴えている頭が、鈍って上手く作用してくれないのも。 あれから、体がどっと重くなって、脂汗が止まらないのも。 全部あの光景を見てしまったからだろう。 こないだまで、まるで人間の心を持ち、人を勇気づけていた着ぐるみが…… ゴミ捨て場という、悪臭と人生の錆にまみれた凄惨な現場でバラされていくあの現場。 それは、まさに殺人、といっても差し障りはないくらい、凄惨で居心地の悪い場所だった。 そして、それは解説しているアナウンサーの言葉でより強固なものになった。 それは、にわかには信じられない事実の連続だった。 ………… 第一に、今回扱われていたあの着ぐるみ。 あれは、人の陽の部分の感情を吸い取り、それをエネルギーとして動く物体だったそうだ。そして、最近それは個人向けにも販売されていたらしい。 それは本来、遊園地などのアミューズメント産業などを扱う営利団体に販売されていたものらしかった。そして、買う側も、売る側もこの仕組みを知ったうえで、売買がなされていたので、この着ぐるみが一般市場に渡ることはなかったらしい。 こんなやばいやばいものを扱っているのがバレれば、もちろん会社は刑事責任に問われ、会社は即倒産。しかもヤバいのが、当時の遊園地のほぼ大半が、この着ぐるみを使い運営を行っていたため、バレてしまえばこの産業自体が潰れることになる。 そんな実態から、着ぐるみを着て、熱中症で死亡したとされる人々や、 着ぐるみの業務中に体調を崩し、アルバイトがしょっちゅう変わるという事実は、本人の管理不足とされてきた。でもそれは、大半がこの着ぐるみの構造の問題だったのだ。 それを会社は隠し続け、最近この事実が明らかになった。 疑問なのは、何故会社が多くの体調不良者を出してまで、この着ぐるみを使い続けたのか……そのことなのだが。 話は、70年近く前に遡る。 * 日本の遊園地が、1910~1930年の間に多く作られた、というのは有名な話だ。 しかし、1945年に終戦を迎え、遊園地を運営していくにあたり、莫大な予算が必要になった。 もちろん、当時はそんなお金などあるわけもなく。 最小限のお金で事業をまわさなければならなくなってしまった。 そんなときだった。 名前も知らない怪しい会社が、自ら遊園地の運営に名乗りを上げたらしい。 当時の経営陣は、なんとしてでもお金が必要だった為、そうとう怪しい会社ではあったがその会社に縋るしか、経営を続ける道はなかった。 渋々、その会社に資金援助を受けることになったわけだが…… その会社こそが、あの着ぐるみを作った会社だった。 もちろん、その会社が携わる以上、その着ぐるみが使われるのは当然のことだ。 こうして、その怪しげな着ぐるみは、少しずつ姿を変えながら全国に広まっていった。 しばらくして、日本が復興してきた頃、この会社は運営に携わらなくなったが、 その会社に感謝した上層部は代々この着ぐるみを使い続けた。 もちろん、それから70年近くたっているので、上層部も大きく変わっている。上層部の中では、本当に一握りの人間しか、この真実をしらないものも多かった。 その事実がより着ぐるみの使用を長引かせ、この真実の発見を遅らせた……と言っても過言ではないらしい。 * 俺は、この事実を知って、驚きを隠せなかった。 そのニュースが終わり、別の報道に移ってからも、あまりの衝撃にしばらくその場で呆然としていた。 そして、暫らくして、やっと正気に戻った頃。 俺は、ある人物のことを思い出し、背筋が伸びた。 「怜雄っ!!」 そういえば、あいつは言っていた。 最近、着ぐるみのバイトを見つけた……と。 俺は、そのことを淡々と話す怜雄の姿を思い出した。 そのときに覚えた違和感と、報道の内容が合わさって、なんとなく今あいつに起こっていることの想像がついた。 (まずい、このままじゃあいつは死ぬ) 俺は、そのときそう思った。 もう、時間がない。 俺は、おもむろにスマホを取り出し、電話を掛ける。 そして、ジージーと呼び出し音がなったあと。 プツリ、と電話がかかった音がした。 「もしもしっ!!」 「……」 俺は、出てくれ……という一心で声を張り上げるも。 怜雄は、何も発しなかった。 「もしもし、何か話してくれ……!!」 「……」 「大丈夫だったのか!?」 「着ぐるみのこと、ニュースでみた!!」 大丈夫なら返事をしてくれ。 そう、多少詰め気味に言う。 そうすると、電話越しから息遣いが聞こえてきた。 だけど、それはいつもの明るい怜雄ではなかった。 「あぁ、あのことか……」 なんでもないように、怜雄は言う。 でも、その声のトーンにも、声色の低さにも、正直ゾッとしたものを感じざる得なかった。 「あのことか……って、お前……」 いつもとあまりに違う態度に、俺がぎょっとして聞き返す。 そんな俺に対し、彼は独り言を吐き出すように、そう言った。 「折角楽しんでたのにさ……、ホント余計なことしてくれたよね」 それは、政府に対してか。 それとも、散々騒ぎの火種を大きくしたマスコミへかはわからない。 でなかっだけど、俺は彼のその一言に、もう言葉が出なかった。 人は本当に衝撃的なことがあると、なにも言えなくなるというけれど、なるほど、そういうことかと改めてこのとき感じた。 「……」 「ほんっと、はた迷惑な話だよ~」 「あれがあってから、毎日ハッピーなのにさぁ」 「あの着ぐるみきるとさぁ……毎日やる気がみなぎってくんだよね」 「それでさ、子供たちも、大人たちも喜んでくれて……」 「すっげー、可愛がってくれて」 「めっちゃ、ハッピー」 「俺の居場所ってここなんだなって……そう思えたのに」 電話越しにいるせいで、彼の顔はみえない。 だけど、何故か彼は今ものすごく悲しい表情をしているように見えて。 自然と、励ましたくなる。 (そんな、思いつめんな……) 大丈夫か、なにかあったなら聞くぞ。 彼になにか言葉を掛けようと、思考を次々に巡らせるもどの言葉も今の彼にとっては野暮でしかないような気がして。 でも、何も言わない、というのも自分には出来なかった。 だから、俺は何か言おうとした。 でも、それは未遂に終わった。 それは、何故か。 『だいじょ……』 「やめろぉぉぉぉ!!!!」 俺が話しかけようとした瞬間……彼が、叫んだからだった。 彼の声は凄まじく、俺は思わず受話器から耳を外した。 「怜雄」 俺は呆然としながら彼の名前を呼んだ。 だけど、もうあいつは俺の呼びかけに答えなかった。 そのまま、小さく呟いた。 『終わり』 『もう、終わりだ』 それは小さな、小さな声だった。 だけど、俺はもう、その声に抵抗する勇気は微塵も残ってなかった。 なにも言わないまま電話を切る。 静まりかえった自らの部屋は、あまりに重く、自らに重りとなってのしかかってきた。 明るかった怜雄は変わってしまった。 あのちんちくりんな、着ぐるみによって。 それが俺は許せなくて…… 玄関の扉を閉めた瞬間、押さえていた涙が溢れだした。 * それから怜雄とは、まったく連絡をとっていなかった。 当たり前だった。あの出来事により、半分修復不可能のような関係になってしまったのだったから。同期会も一緒だった。 「はーぁ」 だから、ということもあったが、せっかく自由のために、と選んだフリーター生活も、色がなくつまらないものになりつつあった。正直、あの日のことを思い出すのは辛かったから、俺は柄にもなく、就職情報誌などを読み漁るようになった。 正直、中学からの幼馴染との別れは辛かったが、職に就いて働けばそのうち忘れるだろうと思った。その日から、俺は職探しに奔走した。 * 『俺働くよ』 そう、俺が宣言すると、両親は自分のことのように喜んでくれた。 そして、それを彼らは応援してくれて、最近は親と食事に行く機会が増えた。 そればかりか、一時期冷え切っていた親子関係も修復し、今では一ヶ月に一回は自宅に顔を出すようにもなっていた。 「お前が就職するっていってくれるってなぁ」 「ほんと、一時はどうなることかと思ったわよ」 ある日の夕食。 今日は久しぶりに外食ではなく、実家で家族団欒で、テーブルを囲んでいた。 夕飯は、ハンバーグにお浸し、締めはフルーツ。 息子の久しぶりの帰省に張り切ったのか、俺の好きな料理ばかりが並ぶ。 「好きなだけ食べなさい」 最近ご機嫌な母に勧められ、久しぶりの実家の味にかぶりついていた。 「うまい、うまい」 俺がそう言ってガツガツと食べる姿に、母も、父も満足そうだった。 「それはよかった」 「まだまだあるわよ」 上機嫌の母に勧められるままに食べるうちに、いつしか腹は満たされ、 お腹がぽっこりとふくれ上がっていた。 (もう、食えねえ……) お腹をぽんぽんと叩いて、椅子に寄りかかる。 ごちそうさま、というと、台所の奥から食器片づけといてねと言われる。 俺は、それに従って食器を台所まで運んでいた。 複数枚の皿を、昔のウエイトレスさんのように重ねて積み上げる。 それぞれの皿の大きさが違うから、バランスをとるのが難しかった。 さらは、ときにぐらっ、と揺れ、俺はそれをもう片方の手で抑えることに必死だった。だから、突然親に話しかけられて、すぐに対応できなかった。 それに答えられたのは、皿を洗い、リビングに戻ってきた頃だった。 「で、なに?」 「あー、そのね」 話と言ってもたわいのないことばかりだった。 最近はどうしてるの?とか、ちゃんと生活しているのか?とか。 俺は心配させまい、とその度に頷き、そんな俺の様子に親は満足しているようだった。 だけど、 「怜雄くんはどうしてるの?今元気なの?」 怜雄の話になった途端、俺の心臓がばくり、と音を立てる。 目の裏にあの日の怜雄の姿が思い浮かび、その緊張を隠そうと、俺は拳を握りしめた。 「大丈夫、元気だよ」 あの姿が元気なわけがない。 俺はそれ以上聞かれたくなくて、思わず早口になる。 そんな俺の様子に気が付いたのか、母親はそれ以上は聞いてこなかった。 その代わり、そんな俺を気遣って風呂を勧めた。 久しぶりに帰って来て疲れてるでしょう?と有無を言わせず風呂に入らされた。 その優しさが、俺にとってはありがたかった。 * それから、親におやすみなさいといい、二階への階段を上がった。 俺は高校を卒業してから、東京に上京したから、約四年過ぎぶりくらいの自分の部屋だった。 入ってまず、部屋の電気をつける。 そして、持ってきた鞄をおろして、部屋全体を見渡した。 「……懐かしいな」 当たり前かもしれないが、そこはなにも変わっていなかった。 この家を出ていったあの日と同じものが、同じ場所に収まっていた。 中学のときにサッカーの大会で取ったトロフィー。 高校のとき、修学旅行でとった集合写真。 他にも思い出せば、懐かしいと感じる品々が所々に置かれていた。 (あぁ、なんか帰ってきてよかったな) 思い出せば、東京の大学に行くと言って親と揉めてから丸4年。 その間、一度も家に帰ってきたことはなかった。 今思えば、こうやって自分の部屋を少しも弄らずにいてくれたのも…… 両親の優しさかもしれない、と思うとほんの少しだが感謝の気持ちも芽生えた。薄暗い部屋の中だが、気持ち明るいような気がする。 そうやって、思い出を懐かしんでいたとき…… 目の端にとある手紙が見えた。 それは、中学の部活の大会が終わったあと、怜雄がくれた手紙だった。 俺は一瞬、見るのを躊躇って視線を外した、が。 何故か気になり、気づけばその手紙を手に取っていた。 俺は疲れた体を癒すべく、さっそくベットに寝転がって、封を開く。 以前に既に切られていた封は簡単に開き、中から便箋二枚と、当時俺が好きだったカードゲームのレアカードが2枚でてきた。 便箋をひらくと、いつもと変わらない文字で…… 『礼人へ』 俺の名前が書いてある。 俺はそれを、ゆっくりと読み進めることにした。 * 俺はその手紙を読み終わったあと、ベットに突っ伏して泣いていた。 その手紙には、昔と変わらない、怜雄の姿があった。 『今日まで、一緒に戦ってくれてありがとう』 最後の一行を読み終えたとき、今まで我慢していたものが堪えきれなくなって、自身の平たい顔を、端から、冷たい何かがつーっと伝っていくのがわかった。それは、いつもより塩辛く、絶望の色が混じっていた。 「ごめん、信じられなくて」 俺は、心からそう思った。 自分はなんてバカだったんだろう、と思った。 「すまない」 あの日は、あいつのあまりに衝撃的な態度に驚いてしまっていた。 それから、俺はあいつに近づく勇気すら持てなくなってしまっていた。 だけど、だけど違う…… 「あいつは、そんな奴じゃない」 いきなり変わってしまった彼を怖がり、今まで、行動出来なかった自分を悔やんだ。それに、彼はきっと、いきなり変わったわけじゃなかったんだろう。 本当は、あの4月の飲み会のときからずっと、悩んでいたし苦しんでいた。 もしかしたら、もっと前かもしれない。 (くっそ……どうして、もっと早く) 気が付けば、あの日からおかしかった。 なんとなく気づいていた筈なのに、気づかないふりをしていた自分に腹が立つ。 俺はすぐさま、スマホを取り出した。 最近、日に日にあのウサギの被害者は増えていっているらしい。 もう、一刻も猶予がない。 連絡欄から、怜雄の名前を探す。 そして、通話ボタンを押そうとした、ちょうどそのタイミングで、一件のLINEの通知が入った。名前は、怜雄。 「怜雄!!」 俺は、何事か、と急いでLINEを開く。 少し遅かったから、手遅れになるかもしれない。 そう思った俺は、すぐさまメッセージを見る。 すると、そこには短く、 『助けて』 そう、書かれていた。 (おい、マジかよ……!!) 身体中に緊張が走る。 骨がカチカチと鳴り、今まで静かだった静脈がバクバクとビートを刻みながら、体中の血を煮えたぎらせる。 (本当に、一刻の猶予もないってかよ……!!) 俺は、大げさに笑う手を押さえつけながら、なんとか通話ボタンを押す。 そして、ワンコール、ツーコールして、ようやく電話が繋がった。 * 電話が繋がると、向こうから啜り泣く声が聞こえた。 そして、ごめん……という怜雄の声が、彼自身の嗚咽に掻き消されながらも、僅かに聞こえる。俺は、もう喋るな、と言った。 それでも、怜雄は無理して話し続けるから。 俺は彼の話を一旦遮って、状況を聞こうとした。 今、どうなっているのか? そう聞くと、彼は掠れた声で笑いながらいった。 「俺、あいつに体乗っ取られそうなんだ」 その声は、おおよそ大丈夫そうじゃなかった。 悲しみや、悔しさや、諦めといった感情が詰まっているように見える。 どうにかならないのか? そう聞くと、怜雄はもう無理だ、と言った。 体のほとんどが、奴に浸食されており、もう施しようのない状態だと。 「ちょっと待ってろ、今行くから」 そう言われても、幼馴染がこんなに困っているのに放っておけない。 俺は、薄手のコートを着て、いつも持っているショルダーバックを肩から掛けると、自転車に飛び乗った。 電話の向こうからは、来ちゃだめ……と声がするが知ったことはない。 幸い実家から、彼の家までは近かったので、今までに出したことがないくらいのスピードで、細い路地を走る。 少し間違えば大事故にもなりかねなかったが、正直そんなことはどうでもよかった。中学のときからの幼馴染が助かれば、他はどうでもよかった。 (間に合えよ!!) 頼む、と生まれて初めて、ガチに近いほどの神頼みをしながら走る。 スピードの出し過ぎで、ときどき車輪が勢いよく、音をたててカラカラ回ったが、逆にそれが心地いいくらいだった。 ………… 「はぁ、はぁ」 急いだ甲斐あって、いつもよりずっと早く家に着くことができた。 『朝井荘』 と、書かれた看板を過ぎると、二階へと続く階段が現われる。 ボロボロに錆びた階段を、全速力で上ると、その度にギシギシと音がした。 「怜雄!!」 死ぬな、死なないでくれ。 その思いだけで、勢いで階段をのぼりきる。 最近運動不足の俺にとって、自転車と階段駆け上がりは、死に近い行為だったが、今はそれを感じさせないくらい集中していた。 階段をのぼりきるとすぐに、彼の部屋が見えてくる。 そのとき、部屋が奥じゃなくてよかった、と心底思いながら部屋の戸を叩いた。 「怜雄、いるか!!おい、返事しろ!!」 今は、日付も回って午前0時。 大体の家は寝静まっている。 (すみません……これも友達を助ける為なんです) 俺は、心の中で謝って、次の瞬間扉に手を掛けた。 どんどんどんどん 「怜雄、いたら返事してくれ」 「怜雄!!」 近所迷惑を承知で、扉を叩き続ける。 もうあの化け物に食われているかもしれない。 そんな考えが頭をよぎる度、俺は頭を振って忘れようとした。 (弱気になったら駄目だ) (今、あいつを助けられるのは俺しかいない) 俺は、自分にそう言い聞かせて、彼に向かって叫び続けた。 「おい、返事しろ!!おい!!」 そして、暫らくして…… ドスン と、部屋の中で、なにか大きいものが落ちたような音がすると。 何秒かして、静かに扉が開いた。 俺は、一瞬冷静になり、恐る恐る扉を開いた。 「……」 * そこにいたのは、怜雄……ではなく。 あの着ぐるみだった。 『やぁ、久しぶり』 怜雄を殴ったであろう奴は、陽気に握手を求めてくる。 俺は、差し出してきたその手を、全力で振り払った。 「なぁ、アンタ。あいつになにをした?」 こんな汚いウサギなんて、触りたくもない。 俺は、奴のことをものすごい力で睨むと、奴は何が面白いのか、ククッと笑った。 「いやぁ、いい子だったよ……彼は」 「養分としては、最高だった」 そして、そんなことを言い始めた。 その瞬間に、俺は怜雄がなにをされたか、なんとなくわかってしまった。 「て、てめぇ!!」 俺は怒りに任せて、咄嗟にやつの胸倉を掴んだ。 それを、奴は払いもせず、ケラケラと笑いながら俺を見ていた。 「そんなに大事だったんだ」 すごい素直だったもんね。 本当に扱いやすくて、よく言うことも聞いてくれたし…… そんなことを言ってくる、やつの人を小馬鹿にするような態度に心底腹が立っていた。 「あぁ、大事だったよ」 そういうと、それは残念だったね……と腹に手を当てて、口を抑えながら、けらけらと全てがおかしそうに笑った。 その姿に俺は、もう限界だった。 頭の血管がプチン、と切れる音がしたのがわかった。 本来なら殺人は、間違いなくアウトだ。 だけど、こいつなら……怜雄をやったこいつなら。 本当に、心の底から……殺したいと思った。 「うるせぇ、黙れ」 「その声、マジで耳障りなんだわ」 「大事だったからこそな、お前は許せねぇんだわ」 俺は、光のないやつの一点を見つめ続けた。 正直、やつの表情からはなにも読めない。 表情が動かない、それより怖いことはない。 だけど、あいつを殺したやつだ。 それが、いくら愛らしい見た目だろうと、老若男女から人気だろうと。 俺の友達の人生を壊した奴は、許せねえ。 「殺す…ころす!!」 俺は、やつめがけて飛びかかった。 体の全身の力を乗せて、奴にとびかかる。 しかし…… 「残念でした~」 やつも考えていることは一緒だったらしい。 飛び込んでいった俺は、やつに、体全体を使い、ガッチリとホールドされてしまった。 「クッソ!!」 しかも、着ぐるみにしては信じられないくらいの力で、抑えつけてくる。 俺が奴から離れようと、必死にもがいたところで、奴の相手にはびくともしなかった。 (どこからこんな力出てくるんだよ……) こんなの、可愛らしい着ぐるみなんかじゃねぇ。 ただの殺人マシンじゃねぇか!! 俺は、ここまで来て、奴の本当の恐ろしさを思い知っていた。 (くっそ……どうすれば) 武器でも持ってくればよかったのかもしれないが、生憎急いで来たため、そんなものは持ち合わせていない。 素手以外に攻撃方法がなかったが、その手も奴のホールドにより、使えなくなってしまっていた。 (どうすればいい!?) このままでは、俺まで食われてしまうだろう。 段々と強くなる締め付けに、死を覚悟する。 「残念だったね」 「お友達を助けられなくて」 俺が必死に考え、もがいて、策を練っている間に…… 奴は俺に向かって、諦めろと言わんばかりの口調で責め立てた。 「君がもう少し早く来ていれば、お友達は助かってたのかもしれないのにね」 そう、言われたとき俺の中で、何かが切れた。 それは、怒りの導火線なんかじゃない。 もっと、別のなにかだった。 「確かにそうかもしれない」 俺は、そう思った。 今まであいつから逃げて、あいつの悩みから逃げて。 怖くて踏み込むことができなかったから。 怜雄は、死んでしまったんじゃないか……って。 「そうだよなぁ」 「怜雄、ごめんな」 そう思ったら、途端にどうでもよくなった。 今まで、このウサギに抵抗していたことや。 こいつを殺そうと思っていたこと。 全てが、どうでもよくなった。 「殺してくれ」 そうしたら、こいつも段々悪いやつに見えなくなってきて。 もしかしたら、こいついいやつなんじゃないか……?とすら思った。 見た目に関しては、すっげぇ可愛いし。 なんたって、老若男女問わず人気だからなぁ……こいつは。 俺が、完全に体の力を抜いて、そのときを待っていると。 申し訳なさそうに、やつは聞いてくる。 「本当に、いいのかい?」 わかっている癖に。 そんな言葉が、口をついて出ようとして、咄嗟に飲み込んだ。 「いいよ。殺せよ」 そう俺がいうと、やつは頷く。 そして、その瞬間から、俺を締め付けるやつの力は桁違いに強くなる。 「うわぁぁぁ」 何本の骨が折れたかわからない。 そもそも折れているかすらわからない。 だけど、全ての臓器が奴の圧により、一気にせり上がる感覚に吐きそうになる。 「あぁぁぁ」 痛い、痛い、痛い、痛い 今までに味わったことがない痛みを味わいながら、俺は死のうとしていた。 ちゃんと吸えていた筈の酸素が、鼻に入らず、寸前のところでどこか彼方の大気に溶け込んでいく。 俺はその様を、薄れゆく意識の中感じ取っていた。 短い人生だったけど、楽しかったな。 親にはいっぱい迷惑かけたけど、幸せになって欲しいな。 そして、 「怜雄、助けられなくてごめんな」 そう言った瞬間、涙が零れてきた。 自責の念と、彼との楽しかった思い出に挟まれながら、薄れゆく意識に身を任せる。そして、俺は本当に死ぬんだ。 最後は、そう実感しながら……目を閉じた。 * どぉぉぉん その瞬間、すさまじい音が辺りに響きわたる。 奴にがっちりホールドされていた俺は、あっと言う間に宙に放り出され、 錆びた階段の踊り場まで吹っ飛ばされていた。 「っ!!はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」 突如離された手に、体は自然と空気を求める。 俺は、喉を押さえながら、死ぬ気で酸素を吸い込んだ。 そして、数秒後呼吸が落ち着いた俺は辺りを見回す。 大体の自分の視界には、吹っ飛ばされた着ぐるみと、その周囲に散乱した衣類や、怜雄の私物。そして、扉の奥には……一人の男。 最初は、誰だろう、と思った。 しかし、近づけば近づくほどそれは彼に似てくる。 (もしかして!!) そして、期待は確信に変わった。 「怜雄!!」 俺が呼びかけると、彼が振り向く。 自然と揺れる金髪と、その笑みはまさに、今まで通りの彼だった。 「礼人!!」 怜雄はそう言って笑う。 (あぁ、よかった) その瞬間に、何にも代えがたいような安心感に襲われる。 あの怜雄じゃない……着ぐるみに変えられた彼じゃない。 少なくともその笑みは、俺がずっと知っている彼だった。 死んでいなかった。 まず、その事実に頭がついていかなくなる。 そして、気が付けばまた、涙を零していた。 「あぁ、よかった」 「生きてた」 てっきり、あのサイコ野郎に食われたとばかり思っていたから。 生きていたと知ったときの安心感は凄まじかった。 「うわ、ごめん」 そんな俺を心配して、駆け寄ってくる。 俺は、腕で涙を拭いて、そんな彼を手で制した。 「おかえり」 そう満面の笑みで言うと、怜雄もにっこり笑って言った。 「ただいま」 * それから、あの着ぐるみは二人で始末した。 どこにも弱点がないように見えた奴だったけど。 「ネガティブな感情に弱い気がする」 アルバイトしてたときの、怜雄の体感から、奴にネガティブな感情を送り続けた。すると、あんなに強かった力がみるみる弱くなっていった。 最初は俺らに必死に掴みかかっていたものの、次第にその力もなくなり。 最後は、空気のなくなった浮き輪みたいにペラペラになり、その場に倒れていった。 あんなに強かったやつの最後は、あまりにもあっけなくて…… やっぱり悪いことはするもんじゃないなって思った。 「これ、どうする?」 そして、文字通り、地面にへばりついたそいつを、どう処理するか二人で話し合った。その結果、誰かが拾って、また被害者が増えても困る、ということで政府の着ぐるみ専用の回収センターに着払いで送ることにした。 * 窓から見える陽は傾きつつある。 今日という日も、もう少しで終わりを迎えようとしていた。 あの日から数日経った夕方頃のことだった。 「はぁ、やっと終わったね」 全てが終わり、事後処理の方向性も決まったところでやっと一息ついた。 俺が、彼にそういうと、彼は申し訳なさそうな顔をしながら謝ってきた。 「ほんと、あのときはごめん!!」 彼はあのとき、電話口で大声を出し、挙句の果てに俺のことを拒絶してしまったことをすごく悔いているようだった。 「心配してくれていたのにごめん」 「俺、どうかしてた」 「うん」 彼がそう、下を向きながらポツポツと話す姿を見て。 自然と、もういいやと思った。 確かに沢山傷ついたけど、怜雄が生きてたからそれでいい。 だから、彼の肩に手を回して、言った。 「もういいよ」 それは、今回、彼が死ぬかと思うと本当に怖かったからで。 いつも一緒にいた彼がいなくなるって考えたら、正直そんなこと想像すら出来なかった。考えるだけで、嫌だった。 だから、これ以上望むものなんてない。 「怜雄が生きててよかった」 俺がそういうと、恐る恐る怜雄が顔をあげる。 俺は、そんな怜雄に満面の笑みで言った。 「帰ろうぜ」 そうしたら、怜雄も自然と笑顔になっていく。 「うん」 彼がそういうと、俺らは二人して走り出した。 知り合ったあの頃のように。 どちらが俺んちまで早いか、競争した。 気が付けば夜が明けていた。 そして、朝陽が昇って来ていた。 それを見ながら、俺らは二人して笑った。 そして、俺はそんな光景を、時間を、噛み締めながらしみじみと思った。 どんなにつらい夜でも、朝はやってくる……と。 * 後日 俺は、怜雄の家に来ていた。 それは、例のものを処分する為だった。 「全部、用意した?」 俺が怜雄にいうと、怜雄が頷く。 念の為、俺が確認をすると、返送用に必要な書類は全部整っていた。 「はぁ、マジでどうなることかと思った」 俺が、がっくりと肩を落とすと、怜雄が笑いながら謝ってくる。 それを横目に、こいつはこういう奴だったなぁと、半ば呆れ気味に荷物の整理をするのだった。そして、全部を箱に詰め終わった頃。 「怜雄、あれ持ってきてもらっていい?」 「わかった」 俺は、怜雄に例のぶつを取りに行くよういった。 * 実はあのあと、処分を決めた俺らは、てっきり段ボールに詰めて、行政に送り付ければいいとばかり思っていたのだが…… 「礼人!ごめん、足りないものあったっぽい!!」 返送予定日前日の夜中に、怜雄がそれに気づいて電話してきたのだ。 正直少し怒ってしまいそうだったが、彼の慌てぶりをみて、怒りと通り越して、呆れの感情が湧いてくるのがわかった。 「わかった」 俺はそれだけ言い、電話を切り。 予約して取り寄せ可能なものは、郵送で明日届くようにして。 それができないものは、二人で役所に取りにいった。 お陰で、梱包作業を始めるときには既に、二人してボロボロだった。 「ごめんね」 「あぁ、だいじょぶ」 そういって、うるうるした目で謝ってくる怜雄に、もうめんどくさくなって、返事も投げやりになる。 「とりあえず、作業するぞ」 俺がそういうと、怜雄は察したのかなにも言ってこなくなった。 それから、二人で黙々と作業した。 * そうして、暫らく経った頃だった。 怜雄が血相をかえて、戻ってきたのだ。 「ない……」 そして、小さな声で…… 『ない』とだけ呟いた。 「探したのか?」 俺は昨日から怜雄に振り回されていたので、ついイライラしてしまっていた。 そのせいか、無意識に口調が強くなってしまう。 そんな俺に、体を固まらせながらも怜雄は言う。 「帰ってきて、作業始める前はあったんだ」 「確かに、あそこに」 いそいで二人で、怜雄の部屋へと向かう。 そして、奴を閉じ込めていたクローゼットを思いっきり全開にした。 「ほら」 そこには、なにもなかった。 「動かしてないよな?」 そのとき、俺にはもう怒りなんてなかった。 ただ、縋るように、確かめるように問う。 動かした、と言って欲しかった。 けれど、彼は静かに首を振った。 当たり前といえば当たり前なのだ。 そこに例のものがあることを、俺は怜雄と同じタイミングで確認していた。 それ以降、二人はトイレすらいっていない。 そもそも、作業していた部屋から一歩も動いていなかった。 「マジかよ」 嫌な予感がする。 2人して顔を見合わせた。 そして、目があった瞬間、居たたまれなくなって逸らした。 「とりあえず、探そう」 どちらが言い出したかわからないが、互いに頷くと、何も言わずに外に出た。 そこから、二手に分かれて続けた。けれど、結局日没までに奴を探し出すことは出来なかった。 そして、そのまま。 例のぶつが見つかることはなかった。 * 「ママー。あのぬいぐるみ可愛い」 日没。とあるゴミ捨て場にて。 山盛りになったゴミの上に、ウサギの人形がちょこんと置いてあった。 通りかかった女の子は、欲しいと親にせがむ。 少し年季のはいった人形に、母親は汚くて嫌だなと感じたので、女の子にあの手この手を使い、人形から興味を引きはがそうとした。 しかし、女の子はすっかりその人形が気に入ってしまったらしい。 持って帰るといったきり、その場から動かなくなってしまった。 「もう、仕方ないわね」 渋々お母さんは持ち帰ることを許した。 その代わり、家に持ち帰って綺麗に洗ってちょうだいね。 そう言うと、女の子は嬉しそうに、はーいと返事をした。 その親子は幸せそうに、手を繋いで帰っていく。 そんな中、右手に握られた人形は、少しずつ大きくなっているのだった。
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