1.姉

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「ただいま」  扉を開くと美愛が待ち構えていたかのように一目散に走ってきた。何か言いたげな様子でもじもじしながら上目遣いで私を見る。 (この子……。自分が可愛いと自覚してこんな仕草してるんだ、こうすれば大人はみんな自分の言うことを聞いてくれるとわかってる)  不意に私はそう思った。この子は今までも私を利用していただけ。心の中では不細工な姉と馬鹿にしていたんだ。そんな思いが溢れた。香織と話して和らいでいた心が一気に冷えていく。人の愛情というのはこんな風にして突然失われるんだというのは自分自身とても衝撃的なことだった。私は靴も脱がずに暗い目で妹を見下ろした。すると奥からパタパタとスリッパの音をさせ母が出てくる。 「さ、美愛ちゃん、お姉ちゃんに言うことがあるんでしょ?」  母は美愛の肩に両手を置き、私に向かって押し出した。美愛は意を決したように口を開く。 「あのね、お姉ちゃん、あのね、美愛のピアノの発表会、来てください! 昨日はごめんなさいでした。お姉ちゃんは美愛の大事なお姉ちゃんです!」  母は顔を真っ赤にして勇気を振り絞り私に謝罪する美愛と無表情な私とを交互に見ている。 「美愛ちゃん」  私はとびっきりの笑顔を浮かべ妹の名を呼んだ。母と美愛に安堵の表情が広がる。これで仲直り、そう思ったのだろう。 「絶対に嫌よ。私なんかが行ったりしたら可愛い美愛ちゃんに不細工がうつっちゃうかもしれないもの」  そう言い捨てて靴を脱ぎ自室へと向かう。後ろから美愛の泣き声が聞こえてきた。 (ああ、うるさいったらありゃしない)  母も金切り声をあげる。美愛と母さんの声はよく似てるな、とこの時初めて気付いた。 「ちょっと、お姉ちゃん! そんな言い方ないでしょ。美愛謝ってるじゃない!」  私は振り向きもせずに答える。 「大丈夫よ、美愛は可愛いままだから、私みたいな顔になんかならないから、」  しばらく部屋をノックする音が響いていたが私はヘッドホンをつけ大音量の音楽を流して聞こえないようにした。私の部屋の扉は引き戸で中からつっかえ棒をすれば無理矢理開けられる心配はない。幸い父は今夜出張中で不在だ。  翌朝、美愛と母はずっと何か言いたげにしていたけれど私はとりつく島を与えなかった。夜になり出張から戻った父は既に事情を聞いているようですぐに私の自室に来て話しかけてくる。 「美恵、ちょっと話がある」 「私はないわ。おやすみなさい」 「いいから扉を開けなさい。開けないなら無理やり開けるぞ」  ガタガタと扉を開けようとする音が聞こえる。 「つっかえ棒してあるから開かないってば。用があるならそこで言ってよね!」  父は大きくため息をつくとその場で話を始めた。 「美恵、お母さんから話は聞いたよ。確かに美愛は心ないことを言ったかもしれない。でもあの子はまだ子供なんだ。許してやりなさい」 「はぁ? 子供だったら何言ってもいいわけ?」  父はたじろいだ様子で黙り込む。私が親にこんな口の利きかたをするのは初めてだ。 「もういいよ、放っておいて。私が不細工なのは事実なんだし」 「美恵、そんな風に拗ねるのはやめなさい。お前は不細工なんかじゃない」  思わず私は嗤ってしまう。何を言ってるのだろう、今更。 「何がおかしいんだ。美恵だって十分可愛いじゃないか。それに美恵は……とてもいい声をしてる。いつも歌で褒められてるじゃないか」 「声? 声ですって? そんなの何の慰めにもなりゃしないじゃない。じゃあ父さんは私にずっと歌ってろとでも言うわけ? 私は馬鹿みたいに歌いながら歩けばいいの? ららら~ららら~ってね」 「茶化すのは止めなさい。お前が思う以上にその声を羨ましいと思い人は多いんだ。声は化粧じゃごまかせないし整形することもできないんだぞ」  父の頓珍漢な慰めに私は閉口する。 「はいはい、もういいわより。顔のどこにも褒めるところがないから声を褒めてるだけでしょ。そんなの全然嬉しくない! もういい、私に構わないで!」 「美恵、いい加減にしなさい。そんなことしていても何にもならないぞ」 「うるさい、うるさい、うるさい! もう行ってよ!」  聞く耳持たない私に呆れ果てたのかしばらくして父が立ち去る気配があった。
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