1.姉

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 その日以来私と家族の間には決して埋めることのできない溝ができたように思う。表面上は今まで通りだが何かが違っていた。皆が私を腫れ物に触るようにして扱う。 (ああ、すっごく居心地悪い。もう早くこの家を出たい)  この一件以来私はそう考えるようになっていった。どうすれば家を出られるか、そんなことばかり考えた。遠くの大学に通うのもひとつだがどうやらそれは許してもらえそうにない。自宅から通える大学にしなさいと再三にわたり言われていたから。かと言って反対を押し切り遠くの大学に通うことにしても、奨学金だけでは生活費を賄えない。 (そうだ、別に進学にこだわることなんてないじゃない)  私はそう思いつき、こっそり公務員試験の勉強を始めることにした。高校を卒業したらすぐに公務員として働き、お金を貯めて家を出るのだ。それが一番の近道に思える。高校三年生になって最初の三者面談で私が高校を出て公務員になると宣言すると母は狼狽した。 「え、美恵ちゃん、大学行くでしょ? 高卒で働くなんてお母さん聞いてないわよ? 急にそんなこと言い出すなんてどうしちゃったの?」 「そりゃ聞いてないでしょうね。言ってないもの」 「言ってないものって美恵ちゃん……。ちゃんと大学には行きなさい。お母さんそんな勝手許しませんよ。第一お父さんだって……」  母の声のトーンが徐々に上がっていく。 「うるさいなぁ、いいでしょ私の人生なんだから私がどう決めたって!」  口論になりかけるのを見て慌てて先生が取りなした。 「まあまあお母さん、落ち着いてください。森崎もお母さんにそんな言い方するもんじゃないぞ。ちゃんと話しておかなかったのはよくなかったんじゃないか?」 「だって先生、どうせ話したって私の言うことなんか何も聞いてくれないんだもん」  頬を膨らませる私を見て先生は苦笑した。当時の担任は岩崎という中年男性で生徒の話もよく聞いてくれる人だった。高三の時の担任がこの先生で私は感謝している。 「美恵、こんな大事なこと親に相談なしで決めるなんてダメよ。ああ、どうしましょう。お父さんだって驚いてしまうわ」  おろおろする母を宥め岩崎先生は私の顔をじっと見て一言一言区切るように言った。 「なぁ、森崎、どうして大学に行かず公務員になろうと思った? 公務員になるなら大学を出てから、という手もあるだろう」  先生と母の視線が私に集まる。 「私、早く独立したいんです。自分の稼いだお金で生きていきたい。公務員なら長く働けるし、安定してるし。少しでも早く家を出たいんです。あそこに私の居場所なんてないもの」  そう言うと母が金切り声をあげた。 「美恵ちゃん! 居場所がないなんて、どうしてそんなこと言うの? お父さんもお母さんもそれに美愛だって、みんな美恵ちゃんのことが大好きなのに。なのにどうして独立したいなんて言うの? 何か不満があるなら言いなさい!」  私はうんざりして母の顔を無言で見返した。 「まぁ、お母さん、森崎もいろいろと考えているようです。今日のところはここまでにしておきましょう。私も彼女とよく話し合ってみますから」  こうして第一回目の三者面談は終了した。帰り道、電車の中で母はずっとぶつぶつ言っていたが私は聞いていなかった。どうしてこんなに騒ぐのだろう。私なんかいない方がいいだろうに。あぁ、高卒で働かせてるってのが世間体悪いのか。そんなことを考えていると電車がホームに着いた。 「美恵ちゃん、今夜お父さんともきちんと話すのよ」  母の言葉を無視しふと空を見上げる。真っ赤な夕日が私たちを照らしていた。この日の夕日を私は今でも覚えている。血の色みたいな真っ赤な夕日。 (家族なんてもういらない)  私は拳を握り締め電車に飛び乗った。
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