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「公務員として働くって? 美恵がか? 高校を出てすぐに?」
「ええ、そうなんです。もう大学なんか行かないって。それどころかこの家には居場所がないからすぐにでも出て行きたいって言うんですよ。あなたからも何か言ってやってくださいな」
リビングでテレビを見ていると隣の部屋から両親の会話が聞こえてきた。
「そうか、大学に行かずに働く、か。まぁ、それはそれでひとつの道なんじゃないか?」
「あなた! 何言ってるんですか」
「大学に行きさえすればいいってもんじゃあない」
父が賛成してくれるとは思ってもみなかった。私は少し驚いて両親の会話に耳をそばだてる。しかし二人の声は急に小さくなり、ほとんど聞き取れなくなってしまった。
「でも……えぇ、まぁそうかもしれないけど……」
そんな母の言葉が途切れ途切れに聞こえてくる。これ以上盗み聞きするのは諦め、私は自室に戻ろうとリビングから出た。
(父さんが賛成してくれるとは思わなかったな)
私の意志を尊重してくれてるのか、それとも私のことなんてどうでもいいから放っておけという意味なのか。
「あ、お姉ちゃん」
自分の思考に深く沈み込んでいた私は突然話かけられ驚いて視線を彷徨わせる。
「美愛……」
小さな妹は学習ノートを片手に媚びたような笑いを口元に貼り付けて私を見上げていた。私はそんな妹を無表情に見つめ返す。
「あのね、お姉ちゃん、美愛の宿題……」
「自分でやりなさい」
美愛の言葉を最後まで聞くことなく私は自室へと向かった。また泣き出すかと思ったが背後からは泣き声も金切り声も聞こえてこない。部屋に戻りしばらくすると扉をノックする音がした。
「美恵、ちょっといいか」
父だ。今日は素直に扉を開く。さっきの父の言葉が気になっていた。
「母さんから聞いたよ。高校を出たら公務員として働きたいってな」
私は無言で頷く。
「本当に大学には行かなくていいのか?」
「うん、別に勉強したいことがあるわけじゃないし」
そうか、と父は頷いた。
「母さんは大学は出ておいた方がいいと言ってずいぶん反対しているが、父さんは働くのも悪くないと思うんだ。今は大学に行くのが当たり前みたいになっているがそもそも勉強したいこともないのに皆が行くからって大学に行くのは反対だ。美恵が公務員として仕事がしたいっていうなら父さんは応援するよ。頑張りなさい」
父の温かい言葉と笑顔は冷えて固まった私の心をほんの少し溶かしてくれた。
「うん、頑張るよ。……ありがと」
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