1.姉

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 美愛が小学二年、私が高校二年の時だった。いつものように美愛の宿題をみてやろうと子供部屋の扉に手をかけると、中から母と美愛の言い争う声が聞こえてくる。私は思わず扉にかけていた手を離し耳をそばだてた。 「だーかーら、もうイヤなの。お父さんとお母さんだけで来てって!」 「どうして急にそんなこと言うの? 美愛のピアノの発表会はいつも家族みんなで行ってるじゃない」  すると美愛は床を踏み鳴らして大声をあげた。 「亜弥(あや)ちゃんが言ったの! 去年の発表会に来ていたあのオバサンみたいな人は誰? って。だから私言ったの。オバサンなんて来てないよ、来てたのはお父さんとお母さん、それにお姉ちゃんよって。そしたら亜弥ちゃんが……」  美愛は少し間をおいた。 「亜弥ちゃんがなんて?」  母が先を促す。すると美愛は意を決したようにこう言った。 「びっくりしたような顔で言ったの。じゃあ美愛ちゃんもそのうちあんな顔になっちゃうの? かわいそうって……。美愛やだよ! お姉ちゃんみたいな顔になるの、やだよ」  再び美愛がしゃくりあげる。私は心臓がキュッと縮こまるような嫌な感じがした。 「美愛! 何てこと言うの。お姉ちゃんいつも美愛に優しいでしょ? お姉ちゃんのこと好きでしょ?」  母が厳しい口調で(たしな)めると美愛は間髪入れずに答えた。 「お姉ちゃんは好き。でもあの顔になるのはいや。あの顔じゃお姫様になれないもん」  ため息をつきながら母は美愛を諭す。 「あのね、美愛。美愛ちゃんには美愛ちゃんの、お姉ちゃんにはお姉ちゃんの可愛さがあるの。お母さんにとっては二人とも大事なお姫様よ」  母のこの言葉を聞いて私はほんの少し救われた気がした。部屋に入ろうと再び扉に手をかける。だが、続いて発せられた母の言葉は私を凍り付かせるに十分だった。 「だからもうそんなこと言うのおよしなさい。お姉ちゃん傷つくよ。第一美愛ちゃんがお姉ちゃんみたいな顔になることなんてないから大丈夫」  私は何かで思い切り頭を殴られたような衝撃を受け、思わず扉に寄りかかった。ガタン、と扉が音を立てる。ゆっくりと扉が開かれ母が顔を出した。 「美恵ちゃん……」  母の後ろには蒼白になった妹の顔が見える。 「お姉ちゃん……」  私は慌てて階段を駆け上がり自分の部屋に閉じ籠った。夜になると父も私の様子を見に来たが返事をする気力もない。部屋の電気を消し寝たふりをしてやり過ごした。翌朝、いつもよりかなり早い時間に起き、シャワーを浴びようと泣きはらした顔で階下に降りるとリビングに母がいた。私の顔を見て立ち上がる。どうやら一睡もしていないようだ。 「美恵ちゃん」  声をかける母に、何事もなかったかのようにおはようと挨拶をして通り過ぎる。 「昨日のこと……」  おそるおそる話しかける母に私は一言、 「話したくない」  とだけ告げるとシャワーを浴びさっさと学校に向かった。
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