003 親友の恋人

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俺の名前はは雄二。 一昔前なら「しがないサラリーマン」と評されていただろう。しかし、時代は変わり、今は「正社員」という貴族階級だ。 派遣の人間が、明らかに自分より有能なのに雇い止めされていく中で、自分は会社に食らいついている。 今日は金曜日。いつもなら友人・同僚と飲みに行くのが常だった。しかし新型ウイルスはびこる昨今、外で飲むというのは難しい。生きる楽しみを奪われた気分だ。 くさっている俺に、古い友人の宏太からLINEが来た。「なあ、オンライン飲みどうだ?」 「オンライン飲み?ああ、最近よく聞くやつか。それも楽しそうだな。どうすればいい?」 名前は聞くが、流行に疎い俺には漠然としたイメージしかなかった。 「なんだ雄二。やっぱりお前はいつも流行から遅れているな。お前のスマホかパソコンにzoom入ってるか?それでできるぞ。」 「ああ、リモートワークがあってノートパソコン買ったんだよ。それに入ってる。カメラも付いてるぞ。」 「よし、決まりだ。じゃあコンビニで酒とつまみを買ってくるから、また1時間後な!」 「よし、買い物行くか。」つぶやいて立ち上がり、上着を手に取る。春が来たとはいえ、まだ夜は冷える。 ジャージにコートという奇妙な格好だが、コンビニくらいならこれでいいだろう。 「おーい、見えてるかぁ」 懐かしい顔が映り、スピーカーから宏太の声がする。 宏太がホスト、こちらがクライアントだ。 「映ってる映ってる。なんだ、ずいぶん太ったなお前。」 画面にはツヤツヤした顔の宏太が映っている。 「こうやって威厳を出してんだよ。お前こそ、老けたな!」 お互いに失礼極まりない挨拶を交わす。 こうして飲み会はスタートした。 宏太はカメラを調節してはいないらしい。くっきりと、部屋が映っている。 侘しいひとり暮らしの部屋が映っている…はずなのだが。 そこかしこに女の気配があることに気づいた。 開けっ放しのクローゼットに、ミルクティー色のコートがかかっている。宏太は身長180センチの大柄な男だ。明らかに丈が合っていない。 ワンピースもある。宏太に女装癖はなかった、はず。 「どうもこんばんは。」不意に、スピーカーから女の声がした。なるほど、カメラに映らない位置に移動しているのか。俺は納得した。 「ああ、どうもこちらこそこんばんは。」 俺は挨拶を返した。 すると、宏太が妙な顔をした。 「お前、誰に返事してんだ?」 「え、いや、お前の彼女さんだよ。カメラのないところにいるんだろ?」 「いや、まあ彼女はできたんたが…。今はいないぞ?」 奇妙な沈黙がながれた。さっきのは空耳か?それにしてはハッキリと聞こえたような…。 「悪い悪い、俺の聞き間違いみたいだ」 努めて明るい声で返した。 宏太はまだ煮え切らない顔をしている。 「どうしたんだよ。何か気になることでもあるのか?」 俺は言葉を続けた。 その時、宏太の後ろを影がよぎった。俺から見て、右から左へ。その影には長い髪があったように見えた。今度は見間違えていないはずだ。 「なんだ、やっぱりいるんじゃないか。恥ずかしがる歳でもないだろう、紹介しろよ。」 「お前の方からは何か見えているのか?」 奇妙な返事だ。何か?「おいおい、自分の恋人を何か扱いはないだろ。」笑顔が引きつってきた。 「いや、まあ何でもないんだ。それより、お前の方はどうなんだよ?」 急にこちらに話を振ってきた。 「いや、俺のほうは…。」 現在の会社に入ってから6年、彼女いない歴を更新し続けている。仕事に追われ、出会いをつくるチャンスもない。 まあ、酒の席なのだ。そんなことを愚痴りながら、お互い杯を重ねていった。 「そういえばお前は、学生の頃散々遊びまわってたな。」俺は学生時代を思い出していた。 宏太はモテる。少なくとも当時は。背が高くてすらっとしていた宏太はそれだけで目を引く。そのうえ喋りもうまい。女の噂は絶えなかった。 「ああ、学生の時はな。今はこんなに太っちまったし、モテないな。でも、女遊びってのもそんなに楽しいもんじゃないな。」 なにかあったのか、悟ったようなことを言っている。昔の宏太を知る自分としては違和感があった。 「何だよ、なんかあったのか?」 酒のせいもあって、俺は一歩踏込んで聞いてみた。 「実はな、俺のせいで人生狂わせちまった女がいてな…。いや、よそう。いくら酒が入っても、この話はしたくない。」 急に真面目な口調になる。意外ではあったが、これ以上雰囲気を壊すのは嫌だったので深入りはしなかった。 しかし俺には心当たりがあった。宏太と付き合った女の中にはもちろん俺の女友だちもいた。 そのうちの一人が、宏太に振られたショックで大学を辞めているのだ。その後のことは知らないが、風のうわさで実家に帰り、家から一歩も出ない暮らしをしていると聞いている。 宏太は俺の親友と言っても良いのだが、このときはさすがに縁を切ろうかとも思ったものだ。 1時間ほどでまた宏太の恋人の話に戻った。さっきとは一転して、ノロケ話だ。酒がまわってきたのだろう。 宏太はスマホ画面を見せてきた。そこにはあいつが言うところの「かわいい彼女」が写っているはずだった。 宏太が誰かと肩を組むような格好で写っている。右手でスマホを操って自撮りしたようだ。左手は曲げられている。しかし、本来肩を抱えられている人がいるべき空間には、真っ黒い影が立っていた。 「あー、あとこれとかな。」 宏太がスマホを触って別の画面を出してきた。今度は宏太が撮ったらしい写真だ。また、女性のような形の真っ黒い影が写っている。 「それからな…。」 また写真を出してきた。今度も自撮りだ。 奇妙なことに気づいた。この影の「宏太の彼女」は、両手をいつも宏太の首に巻きつけている。 「まだあるぞ。」さらに続けようとする。 俺は怖くなって遮った。「いや、もういいよ。お前の彼女自慢は十分だ。それよりだいぶ話もしたし、もうお開きにしよう。」「そうか?じゃあこれくらいにしようか。」宏太は明るい声で返し、飲み会は終わった。 冷や汗が止まらない。洗面台に向かう。酔ったら普通赤くなるだろうに、青ざめている俺がいた。 あれから一ヶ月。宏太が死んだと共通の友人から聞いた。それまでは健康そのもの、原因もわからないという。 しかし俺にはわかっている。あの影の女のせいだ。確信がある。あの影の手は、明らかに宏太の首を狙っていた。 それから、オンライン飲みにはまった俺はかつての友人に声をかけては飲んでいる。 気になることがある。何人かの友人に、お前にも女ができたか?と冷やかされるようになった。あちらには時折、女性の声が聞こえるらしい。 そのたびに俺は冷や汗をかいて打ち消している。 しかし、もうわかっている。あの影の女は、次の標的を決めたようだ。どうして俺に…。いや、宏太の親友だったからだろう。 観念した俺は、自撮りをしてみる。 カシャ。写った自分の隣には女の影。そしてその手は、俺の首にまとわりついているのだ。
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