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嘘みたいな待ちぼうけ
「今朝、私の下駄箱に斯様な手紙があった。実に可愛らしい便箋と封筒でな」
男は憮然とした面持ちで、友人の机へそれを無機質に投げた。友人は自習の手を止めて、手に取る。
『お話ししたいことがございます。旧校舎裏庭で十七時にお待ちしております』
友人は思わず吹き出した。高校二年、春休みの補習で教室に集まった同級生の視線を受ける。二人の男は顔を近付けてこそこそと内緒話のように話し始めた。
「お前もラブレターなどを貰うのだな」
「いい男の魅力は隠し切れない、ということだ」
「どうでもいい男だろう、お前は。しかし疑問が残るな」
「なに?」
「肝心の差出人が書いていないではないか」
男は猫柄の便箋と封筒を手に取り、元々細いその目を更に皿のように細める。眼鏡をかけ直し、しらみ潰しに目を通した。
「確かに。差出人がわからんな」
「それに、今日は四月一日だ。エイプリルフールだと疑うことをお勧めするね」
「何をいうか。恋人ができる可能性を棄てるなど、私には出来かねる。それに、名前を書き忘れるなどとんだおっちょこちょいで可愛らしいではないか」
友人はやれやれと肩を竦めながら、男の話を聞き流す。
「そうかそうか。まあ、君の好きにするがいいさ」
「すまんな、大人の階段を先に登ることになりそうだ」
「踊り場止まりにならないことを祈っているよ」
──
補習後、十六時半、旧校舎裏庭。男は一人、待人を空想していた。
「名前を書き忘れるとは、とんだおっちょこちょいであるな。付き合い始めたらしっかりと私が支えてあげなければ」
「同級だろうか。先輩、あるいは後輩か? いや待て、教師という可能性もあるではないか。まさか、新卒の、保健室の……」
「しかし可愛らしい便箋だ。センスに人柄と外見が滲み出ているに違いない。仔猫のように愛くるしい女子とみた」
妄想は熾烈を極めていた。約束の時間など、とうに過ぎ去っていることに気付かない程に。
空想に耽る男の前に、人影が現れた。仔猫のように愛くるしい女子でも、新卒の保健医でもない、学ランを見に纏った男の友人であった。
「よう、待人は来たかい?」
「何だお前か。待人来ず、だ」
友人はくつくつといやらしい笑みを浮かべて、言った。
「そうだろうな、その手紙を書いたのは俺なのだから」
「自分の名前を書き忘れるおっちょこちょいだからな。日にちを間違えたのかもしれない」
「いや、だから。四月馬鹿のドッキリで」
「考えてみれば、手紙には日付が書いていないじゃないか。機会の損失は恋人の損失だ。明日から毎日此処で待たなければ」
「話を聞け」
「ええい、やかましい。貴様の言うことなど信じられるか。どうせ四月馬鹿の嘘だろう」
友人は目を丸くした。そして悟った。男は恋に盲目であると。男は、まだ見ぬ差出人に恋をしてしまっているのだ。よって、友人が話す、男にとって都合の悪い現実を見ることができないでいるのである。
二人は下校を始めた。男は友人に、まだ見ぬ差出人の可愛らしさとデートプランを延々と語り続けるのであった。
──
「本当に今日も待っているのだな」
「当たり前だ」
翌日の十六時半。やはり男は待っていた。ぼろぼろの学習机にノートを広げて、男は待っていた。
「しかし、なぜ学習机に着席しているのだ。何をしている」
「正確な日付がわからない以上、長期戦を覚悟せねばなるまい。だから、証明しようと思ってな」
友人は、男の話すことがよく理解できないでいた。男に説明を求める。
「差出人をXとする。そして、それを変数として正体を導き出すのだ。昨日の手紙の文字や文章、便箋を前提条件にすれば充分に導出は可能だと考える。私は、私を好いている女子の存在を見事に証明して見せよう」
「そんなものかね」
「私の数学の成績は全国模試十番以内だ。みくびるなよ? さて、X=女子であるので……」
男はガリガリと証明を始めた。机に齧り付くかのように覆い被さり、その目の血走りは狂気さえ友人に感じさせた。
──
「ゴールデンウィークだぞ? 今日も待っているのか」
「当たり前だ。証明も進んだぞ。後輩女子の可能性はないと証明できた。俺は歳上に甘えたい欲求があるから都合の良いことだ」
「そ、そうか。頑張ってくれ」
「雨の日も、風の日も、だな」
「合羽もあるし問題はない」
「ほら、差し入れの冷たいお茶だ。熱中症には気を付けろよ」
「これは助かる。願わくばコーラが飲みたい」
「次はそうするよ」
「寒くないのか? そろそろ雪が降り出すらしいぞ」
「寒いな。だが独り身の間だけだ。きっともうすぐ、人肌の温もりを私は手に入れる」
──
もはや、友人にとっても男の様子を見に行くことは日々のルーチンであった。男が毎日、存在しない差出人を待ちぼうける様を見守る。友人もそれを欠かしたことなど一日たりともなかったのである。
そして、季節は再び春を、三月を迎えた。男が待ちぼうけを初めて、実に一年弱の時間が流れていた。
「Q.E.D.」
男は、机に突っ伏した。三割の疲労、二割の達成感、そして、五割の絶望を胸に倒れ込んだ。
「どうした」
「証明が終わったのだ」
「それは、よかった、のか?」
男は顔を上げる。目の下にはクマ、頬は痩けた。この一年で視力もだいぶ落ちて、眼鏡のレンズは瓶底のように分厚くなっていた。
「解なし、だ。差出人の女子など存在しなかった」
「最初から俺はそう言っていたのだが」
「俺の一年は何だったのだ。存在しない女子に想いを馳せて、空想の中で百度以上の逢瀬を重ねたというに。彼女はどこにいってしまったというのだ」
男の目尻には涙まで浮かぶ。かさかさと乾燥した彼の肌を流れ落ち、その後はさながら道化師の仮面のようであった。
友人は、男の証明ノートに目を通し、顎に手を当てて思案していた。そして、躊躇いながら口を開いた。
「前提条件の仮定を間違えている。X=女子。これをX ≠女子にして解き直せ」
「なに?」
「求める解ではないかも知れないが、君を想う人の存在を証明できるかもしれない」
友人は男にノートを渡す。男は不可思議な顔を見せるが、再びペンを手に取り机に向かい始めた。
「証明できたら、嘘のネタバラしをしてやるよ」
友人はそう呟いた。男の耳にはまだ届かないのか、その手は止まることがなかった。
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