序章  あるいは一万円タイムリープ未決事件

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序章  あるいは一万円タイムリープ未決事件

 その日、探偵は甘くて苦くて渋くてしょっぱいコーヒーを飲んでいた。  一つ30,000円の缶コーヒーだ。  ほんの息抜きで入ったパチンコ屋で全ての予定が狂った。  友人は常々私にこう言う。 「一万円使っても儲からなかったんだろ? なんでさらに多く金銭を投入するのかさっぱり意味がわからない。常軌を逸している。お金捨てたいのか?」  その時は回転数とか試行回数とか色々説明を試みたが、今の自分は確かに常軌を逸している。 「またもやし炒めで命をつなぐか……」  自由気ままな自営業であるが金銭に余裕などない。しかし自慢ではないが、ギャンブルで借金を作ったことはない。  そんなときふと探偵業を始めてからずっと悩まされて、いや、ある意味助けられてきた事件を思い出す。  その名を「一万円タイムリープ未決事件」という。  事件の概要はこうだ。  ギャラや臨時収入が入ったりすると一度全額口座から下ろして財布に入れる習慣が探偵にはある。現金を実感したいとか働きぶりを実感したいというわけではなく、たんに支払いがあるため口座に留め置く時間すら惜しいというのが本音だ。  それなりの金額であるから慎重に慎重に福沢諭吉の枚数を数える。たとえ公共料金であっても不渡りはまずい。健全経営の探偵屋がもっとうだからだ。  すると最初に数えた金額と最後に数えた金額が必ず一万円少なくなるのだ。  焦ってもう一度数えると合っているような気がする。  しかしさらに数えるとやっぱり一万円が足りない。  真冬でも汗がだくだくとながれ悪寒がとまらない。  テーブルの下や絨毯の上をくまなく探しても現れない。  一万円が消えているのだ。  通帳から下ろした金額の間違いかも知れないと残高を確認するもそんな奇跡は起こっていなかった。  最初一週間は塞ぎこんだ。  水面にたゆたうオフィーリアの代わりに、川に流されていく一万円札の夢を何度もみた。  これだけならばただの勘違いや不幸な事件で終わりだが続きがある。  禍福は糾える縄の如し。  不幸だけに気をとられて、真の幸福を見逃すことがもっともいけない。  亡くなった父の言葉だ。  明くる日。  携帯電話の支払いをしようとコンビニに出かけたときだ。  ATMでお金を下ろそうと財布を広げたとき、あるはずのない一万円札が目に飛び込んできた。  さっきまで財布の札入れは空だった。間違いない。  それを確認したからこそ今ATMの前に立っている。  探偵の頭脳は目まぐるしく働き一つの答えを導き出した。 「これはあのギャラを下ろしたときの不足分だ!」  今、あの場所からこの諭吉はタイムリープしてきたのだ!  コンビニの片隅でこの世の真理を発見した喜びに探偵は打ち震えた。  それが事実ならば、よく考えなくともプラスマイナス0である。  儲かっていない。  なのにこの沸き起こる歓喜の衝動はなんだ?  しかし目の前にある一万円以上に説得力のあるものがこの世には存在しなかったのである。  そして一万円が戻るとき必ず副産物が憑いてくる。  どうしてか依頼が舞い込む。  電話がなった。  特別契約をしている蘭圭堂というタロット占いの主人からだった。 「神原さん今いいですか?」 電話越しに蘭圭堂の主人笹川蘭圭が陽気に話し始める。 「ああ今最高に気分がいいよ蘭ちゃん。それと事件なら警察へ。推理なら小説へ。」 いつもの常套句に蘭圭堂は含み笑いをする。 「ふふ、じゃあ神原さんは何してくれるの?」 「それはタロットのお導き次第かな。」 やったぜ、お株を奪ってやった。 「じゃあ事務所でまってますよ。」 忘れずに携帯代をレジで支払い蘭圭堂に向かった。  岩手県は一関市。  中東北の要所にして北東北の玄関口。  人口はわずか十数万人だが、面積だけはやたらに広い。  現在の一関市は2005年平成の大合併で7市町村が対等合併で出来た3代目である。   なお豆知識であるが、一関市の遊水池区間にある東北新幹線の鉄道橋は日本で1番永い鉄道橋で、世界的にも上位に入るとのことだ。  一関という地名の由来は諸説あるが、何れも関所に由来する。  こんな田舎町にある探偵事務所も大概だが、タロット占いも需給にあっていないように思うが、私達がそれなりに暮らしているのをみると、人の闇に都会も田舎もないのかもしれない。  (つづく)
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