勿忘草

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黙って店内の絵を見回していると 「初めまして。この画廊を営んでいる石井と申します」 と、優しそうな男性が名刺を手渡して来た。 私が疑問の視線で相手を見ると 「この展示会は、私が無理にお願いしたんですよ。 尚也君もご両親も、この絵を人に見せるのを嫌がっていましたからね……」 そう言うと 「尚也君に出会ったのは、私の妻が尚也君の入っていた施設で働いていてね。 絵が上手い子がいるんだけど、人に絵を見せるのを嫌がるんだと話していた。 私も忙しくて中々会いに行けず、やっと実際に会いに行った時にはもう……。 言葉があまり話せなかったんです」 と続けた。 そして 「彼が亡くなったと聞いて、施設で捨ててくれと残された絵があまりにも素晴らしくてね。 小さな個展で良いから、飾らせて欲しいとお願いしたんですよ」 その人はそう言うと 「彼はずっと、誰にも知られずに静かに人生を終わらせたいと言っていたと言うけど、 私には嘘に感じたんですよ」 と呟き 「だって、きみの周りに咲いている花は、全て勿忘草だったから」 石井さんの言葉を聞いて、私はその場に泣き崩れた。 私に残した最後の言葉は、尚也が病気を知って残した最初で最後の嘘だった。 どんな気持ちで、「忘れて」と告げたんだろう。 嫌でも記憶を消されてしまう尚也にとって、尚也が吐いた嘘の重さに私は切なくなった。 尚也は、どんな気持ちであの手紙を残したんだろう。 どんな思いで、この絵を描いていたのだろう。 今となっては、答えは出ないけど……。 それでも、絵から溢れる想いは正直だった。 『みちる、愛しているよ』 もう言葉は交わせないけど、尚也の本当の想いは、確かに此処に残されていた。 【完】
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