開花

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 この地方では一応名門として知られるY家の本家はそれなりの豪邸で、広い敷地には大きな庭もあった。庭木も立派なものが何本も植わっており、梅、桜、金木犀等の樹木が四季折々に色とりどりの花を咲かせ、心地よい香りを楽しませてくれていた。  その中にあって、今までずっと花を咲かせた事の無い一本の古木が植わっていた。当主の老人が若い頃に南国から持ち帰ったものだと言われていたが、誰もその樹木の名前も知らなかった。単に大きな葉をつけているだけで、地味なその木は人気がなく、家人が何度も切ろうとしたのだが、当主の老人が絶対に許さなかった。 「あの木には精霊が宿っておる。人の気持ちも分かるし、こちらに語り掛けてくることもある。心があるのだ。だから絶対に切ってはいかん」 ことあるごとに当主の老人はそう言っていたそうだ。  ある日、その老人に癌が見つかり、入院することになった。  その地では一流の大きな病院に入ることは出来たが、流石に高齢であり、もうあまり長くは生きられないだろうということは、本人も良く承知したいたようだ。 「わしももう長くないだろうな」  ベッドの中で天井を見上げながら呟く老人に向って、遺産目当てで俄かに見舞いに押し掛けるようになった親族達が「そんなことありませんよ、お祖父ちゃんにはまだまだ長生きしてもらわなきゃ」と口々に空々しい言葉をかける光景が毎日のように続いた。老人は相変わらず天井を見上げたまま、そんな言葉を聞き流していた。  ある日、枕辺に集まった親族に向って、老人が最後の願いを口にした。  自分が死んだら、遺灰の一部を庭にあるあの木の根元に散骨して欲しい。というものだった。  法律上、それで良いのかどうかは厳密には分からないところだったが、ほんの一部で良い、大半は骨壺の中に入れて普通に埋葬すればよいから、どうしてもそれだけはやってほしい……死に臨んだ老人のたっての願いでもあり、親族一同それには同意した。それを聞いて安心したのか、老人は三日後に息を引き取った。  葬儀も滞りなく、終了し、子供達は老人の依頼通り、遺灰の一部をあの地味な庭木の根元に撒いた。  それから一週間程経ったある日、あの地味な庭木の枝に一つの蕾が付いてるのを長男が見つけた。それから瞬く間に、枝という枝に蕾が芽吹き始め、それから十日ほど経ったある日、それらは一斉に開花した。真っ白い、見事な大輪の花が木を覆いつくすように咲き乱れる様は、まるで木全体が一体の白い生物のようでもあり、家人たちは少し不気味なものも感じた。何よりも、当主の遺灰を根元に撒いた木が突然開花したことから、「お祖父ちゃんがあの木の力を借りて帰って来たみたい」と、親族一同気味悪そうに眉を顰めあっていた。  それから二か月ほど後に、まず当主の妻が脳梗塞になり、二週間月ほど入院してから呆気なく死んだ。  その翌月には、長女が、自宅の寝室で首を吊っているのが発見された。遺書のようなものは全く見当たらなかったという。  その二週間後に、今度は次男が心筋梗塞で急逝した。  その翌月には、当主の跡を継いだ長男が、自家用車を運転中、大型トラックに衝突されて助手席の配偶者諸共即死した。 「お祖父ちゃんがみんなを連れて行ったんだ……」  残った親族は気味悪そうに噂しあったという…… 「そして、ここが、その話の舞台となった豪邸というわけですよ」  門の前に立った山川は、いかにも芝居がかった様子で私の顔を見た。彼とは、とある怪談会で知り合ったのだが、話を聴いているうちに、私の高校の後輩でもあることがわかり、それ以来頻繁に連絡をくれるようになり、時には話のネタを教えてくれることもあった。それは良いのだが、正直、前振りとなった先ほどの話を聴いた時は、何やら出来の良くない怪談といったところで、なんとも陳腐で低レベルな印象を持ったのだが、「所謂事故物件ではないのに、曰くつきとされている物件って興味をそそりませんか」という巧みな言葉に乗せられて、つい「じゃあ行くよ」と言ってしまった手前、結局ここまでくる羽目になってしまった。  門の前に立った彼が両手を延ばしてみせた瞬間、彼の左手の手首の辺りが包帯でぐるぐる巻きにされているのに気づいた。 「それ、どうしたの?」 「いえ、ちょっと、庭仕事の時に切っちゃいましてね。慣れないことするもんじゃないですね。じゃ、庭をお見せしましょう」  山川はいかにも勝手知ったるという調子で門を開けると遠慮なく入っていく。実は彼は例の老人の長男の長男であり、親世代が立て続けに亡くなってしまったので、まだ若いが当主の座を引き継ぐことになったらしい。 「これがその木です」  広い庭の隅の方に、確かに真っ白い花をさかせている古木があった。何という名前か知らないが、沢山の大輪の花が咲き誇る様は、確かに妙に不気味な印象があった。 「不思議なことに、これらの花は全然枯れないのです。開花したまま、もう何か月もこの状態で咲き続けているんですよ」 「まさか」  そんな植物聞いたこと無い……だが、目の前の輝くばかりに真っ白な花びらを見ていると、衰えとか寿命というものと全く無縁の、何やら別次元の存在を見ているような不思議な感覚を覚える。花の一つ一つに心が有って、黙ってこちらを見下ろしているような気持ちがする。 「あの木には精霊が宿っておる。心があるのだ」  何やら花が人間の顔のようにも見えてくる。無数の顔を見つめられているような気がして、私は思わず身震いして下の方に視線を向けた。  すると、その木の根元になにか小さな物体があるのに気づいた。つい花に気を取られて上ばかり見ていたが、確かに根元の方に何か人工的な物体がある。よく見ると、それはある種の祠のようだった。小さいながらも、ちゃんと屋根と門構えもあり、建造物のような体裁をしているのだが、それは日本風の祠とは似ても似つかないもので、異国情緒と言えば聞こえが良いが、異様な感じを与える代物だった。 「気付かれましたか?御覧のとおり、それはある種の祠、というか祭壇なのです。日本では馴染がないかもしれませんが、この木の故郷である南洋のある国の、それも一部の地域にのみ見受けられる様式なんです」  いつの間にか私の後ろに立った山川が得々と説明を始めた。 「精霊の宿る木……神の木……その前に祭壇を設え、貢物を捧げ、祈りを捧げる……極めて普遍的な、ある意味普通とも言える宗教儀礼です」  祭壇の前に小さなガラス瓶のようなものが立っている。中味は何やらどす黒い液体のようなもので満たされているのがわかる。 「最初に一連のお話を聴かれた時に、いかにも陳腐な話だなあと、思われたでしょ?いえ、お顔に出てましたよ、あははははは。いえ、いいんです。私自身もそう思ったんですから。でも、陳腐な話には陳腐なやり方が合うってことでしょうね。見よう見まねで試してみたら、これが大正解だったってわけです」  祭壇を設え、貢物を捧げ、祈りを捧げる……祭壇の前の小さなガラス瓶……どす黒い液体は時間の経過した血液のようにも見える……山川の手首に巻かれた包帯…… 「おかげで、父も母も、叔父も伯母も短期間の間に片付いてしまいましてね、ひひ……すぐに当主の座を譲り受けることが出来ました。この家も財産も。いえね、本当に欲しかったのはお金じゃないんです。まさに、この庭、つまりこの木を管理する立場を早く手に入れたかっただけなんです……本当に素晴らしい木ですよ。ちゃんと私の願いを聞き届けてくれましたから。これからは私が管理者として大切に維持していかなきゃなりません」  山川の不気味な声が私の背後で流れ続けている。 「祖父の遺灰が撒かれた時、祖父は木の精霊に取り込まれると同時に、養分として力を与え、開花を実現したわけです。死者の遺灰、或いは多分肉体に由来するものならなんであれ、それらは肉体に染み付いた生命の念と共に木と一体化し、力を与えるということに、私は確信を持ちました。そして、もっとこの木にパワーを与えたくて、両親や叔父、叔母の遺灰も、ここに撒きました。顔を上げて、もう一度よく、花を御覧になってください。わかりますでしょう?ひひ」  言われるがままに顔を上げた私は、もう一度咲き乱れる白い花を見た。その一つ一つに、何やら様々な人の顔のようなものが浮かんでいるように見えてきて、すぐにもここを離れようとした瞬間、私は背中に焼けつくような痛みを感じた。 「この木がもっとパワーを欲しがっているんです。よろしくお願いします」  山川の声が次第に遠くなってきた。 [了]
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