花ひらくとき

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 日中の公園でベンチに座ることが日常になっていった。  ずいぶん贅沢な過ごし方だと思うが、仕事に追われ心身を壊したぼくにはいい刺激になっている。  ストレスにより退職を余儀なくされたぼくはもう1年近く部屋に閉じこもり、何をするでもなく時は流れた。  ベッドから起き上がることもできなかった日々を思えば、身だしなみを整え外に出て過ごしてくるのはかなりの進歩と思えるだろう。  変化に一番喜んだのは両親だった。  実際あの人に出会わなければこんなに外出することもなかっただろう。  たまたま通りかかった公園でこんな出会いがあるとは思ってもみなかった。  あの人はいつも同じベンチに座り、同じような姿勢でじっと池を見続けている。ぼくが声をかけるとチラリと視線を投げてくる、ただそれだけの関係。  だけどぼくはあの人の隣のベンチに座っているだけで満たされているのだ。  絵を描くと言いながら何一つ持たず、体一つでそこにいる。  心の中に何が描かれているのか。それを見たいと思った。 「そろそろ描けそうですか?」  聞くと無言のままその人は首を振った。 「まだ」 「そうですか」  あのひとがどうやって生きているのか全く想像できなかった。  他の仕事をしているようにも見えない。パトロンに囲われているのか、それともぼくと同じく実家に寄生しているのか。  会うたびぽつりと会話を交わした。  あの人がぼくに話題を振ることはなかったけれど、ぼくの質問に時々答えてくれるようになっていた。  今日は天気がいいですね。  風がぬるくなりましたね。  花が咲いてきました。  昨日食べたお菓子が美味しかったですよ。  どうでもいいことばかりだったけれど、ぼくの言葉にあの人はちいさく頷いてくれるようになっていた。  池をじっと見つめながら。  そんな日がひと月近く続いたある日のことだった。  その日は朝から雲が厚くいつ雨が降り出してもおかしくないような日だった。  
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