絶望的な一目惚れ

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絶望的な一目惚れ

私は恋というものを知らなかった。 特に私みたいな人間は簡単に人を好きになっちゃいけないって、自分自身に言い聞かせてたから尚のこと。 だから、正直私はとても戸惑っている。 その日はヘルプもなくて、厨房の手伝いをしていたから、フロアにはほとんど出なかった。 週の真ん中で、給料日にもまだ遠い平日の夜。お客様の入りも良くないし、もしかしたら今夜は接客なしかも・・と思っていたところに、フロアの異様な盛り上がりと景気のいいオーダーが厨房まで聞こえてきた。 ボーイさんや厨房スタッフの人が、気になるから灰皿替えるついでに様子見てきなよと私をフロアに押し出して、あまり気分は乗らなかったけれど仕方なしにその輪の方へ近づいて行ったら、ママも他のお姉さんたちもみんないつもより楽しそうにお客様と話していて、驚きつつもそっとママに声をかけてみる。 「―――失礼します・・」 「――――・・・また一人増えたわ。・・・ねぇキリちゃん?」 話の流れがわからないまま首を傾げて薄く笑みを浮かべたら、「ごあいさつなさい」とママがお客さんの隣に視線を流したから、私は言われるままにその人の隣に座らせてもらって。 「―――キリと申します。本日は――――――ッぁ・・あの・・よ、よろしくお願いします」 ――――嘘みたい。と思った。 このお店・・というか、この世界に身を置いて、実はまだひと月しか経っていなかった私。 それでもお客様に対しての最初の挨拶や、その時に必要な笑顔だったりを自分なりに練習していたし、ママやお姉さんたちに教えてもらったりしてたから、今まではちゃんと上手にできていた。それなのに。 名前を言って、少し俯けていた視線を上げて隣のお客様のお顔を見上げた瞬間、その後に続く言葉が綺麗さっぱりどこかに飛んで行ってしまった。きっと笑顔なんて乗せられなかった。どうしようもなく間抜けな顔をしていたと思う。 「俺は町田康春。みんなマチって呼ぶよ。よろしくね、キリちゃん」 その人は私の酷い挨拶に嫌な顔もせず、逆に親しみのこもった優しい笑顔で答えてくれた。 ママが、「マチ君ね、『響』でホストしているんですって」と教えてくれて、彼も、「見ての通りって感じ?」と笑う。その笑顔がとても爽やかで自然で、私の心に安心感と激しい動悸を一緒に送り込んできて。 結局その後、私はマチさんと碌な会話もできないまま、ただ置物のように隣に座って、時折向けられる私の心を鷲掴みにした笑顔をぼんやりと見つめ返す事しかできなかった。 そして夢みたいなふわふわした気分から目を覚ましたのは、寮として使わせてもらっているマンションの部屋に入ってから。 必要最低限の物しかない寂しい部屋の隅にあるカラーボックスの前に私は崩れるようにへたり込み、人の気配などないその場所に向かい小さな声で語りかける。
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