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お手本通りの一目惚れ
「―――世の中にはさぁ・・、健気で初心なホステスもいるんだなぁ」
店に出る前、雑然とした事務所のソファにどっかり座って、俺はぼんやりと大きな独り言を呟いてみる。
周りにいた仲間達が、おい世の中のホステスみんな敵に回すだろそれ、と笑ったが、正直それでも構わないと思うほど、俺の頭の中は一人の女の子の事でいっぱいだった。
隣に座ってくれたあの子。―――――ほとんど会話が成立しなかったけど・・可愛かったなぁ、キリちゃん。
夜の世界に身を置くようになって間もなく5年。この仕事は好きだ。雇ってくれている店にはこの業界にありがちなゴタゴタもなく居心地がいい。まぁオーナーの人柄もあるだろうなとも思うけど、集まった野郎どもがそういう面倒事を面倒がるからだろう。―――――いずれ、クズみたいな存在の俺なんかには過ぎるくらいの職場と仲間に恵まれて、じゅうぶん満たされて生きてきたつもりだったが・・・。
昨夜の出会いは心のどこかで渇望していた何かを見つけたような・・・それくらいのインパクトがあった。
仕事に慣れるのと並行して、この世界に生きる女性たちの裏表も嫌というほど見てきた。
彼女たちのほとんどは、良くも悪くも自分を売り込むための凄まじいハングリー精神を持って生きている。それはベテランだろうが新人だろうがあまり関係ないだろうと思っていたが、あの子・・・キリちゃんはたぶんそれに当てはまらない。真新で何にも染まっていない素朴な雰囲気を漂わせていた。
この世界の女性たちとそれなりに深く係ってきたが、彼女のようなタイプには会ったことがない。
全ての所作が初々しくて手探り状態の様子が見てとれたし、この世界にまだ不慣れだということもあるのだろうが、視線が一箇所に留まらないというか、とにかく初心丸出しで恐ろしく庇護欲を煽るのだ。
しかもそれは計算してやっているのではなく、素であの雰囲気なのだから・・・可愛くて仕方ない。
「――――あー・・もっかい行ってこよっかなー・・・、――――蝶」
脳内にはキリちゃんのたどたどしい行動や、少し俯いて微笑むピンク色の唇とか・・・そういうのが次々に浮かぶ。無意識にニヤッとしてしまい、いつの間にか事務所から仲間たちが捌けていたのに気付かなかった。
「―――なんだ。お前もう『蝶』に行ったのか。なかなか鼻が利くな」
俺しか残っていなかった事務所に、(たぶん奴らと入れ替わりで入って来たんだろう)オーナーの伴さんが若干呆れたような表情で立っていた。
「・・あれ。伴さんいつの間に・・・?」
「いつの間にって・・・。―――他の奴らはしっかり挨拶してくれたけどなぁ。お前は俺が入って来たことにも気付かず、幸せそうなツラしてトんでたぞ」
「マジっすか!――――サーセン。・・・、オーナー、お疲れ様ですッ。今日もよろしくお願いしますッ」
「・・・今さらかよ。まぁお前には常識的な挨拶なんてハナッから期待してねぇからいいけど。・・・で?『蝶』に行ったって?」
「あー・・はい。・・・――――――あの、伴さん。昨夜はその・・・何か、すみませんでした・・」
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