慰めてくれないの?

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ここ連日、何度か顔を合わせていた私に向ける表情と、自分がお腹を痛めて産んだはずのマチさんに対して向ける顔色は、驚くほどに全く異なるものだった。 私を見て微かに目を細めたその人は、次いで入ってきたマチさんを、信じられないものでも見るかのように目を見開いて凝視し、そして声も出さず怯えてガタガタと身を震わせる。 怖い、怖い、と呪文のように言い、ベッドの上に蹲り顔を覆うように頭を抱えたその人に、私は小さく声をかけた。 「康子さん・・。怖くないから泣かないで」 彼女は小さな子どものように左右に首を振り、「私も殺される・・・殺される・・」と泣き喚いた。 取り乱す実母のすぐ横、ベッドサイドに跪いてマチさんが、「殺さない。俺は、誰も殺してない」――低く静かな声で語りかける。 部屋の入り口の所で施設職員が今にも飛び込んできそうな不安げな顔で私たちを見ていて、私はもう少しだけ時間を下さいと半ば叫ぶように言った。 マチさんはそんな私の頬を優しく撫でて、口の動きだけで“ありがとう”と言い、体を震わせる実母に向かい、囁くように告げる。 「―――――俺が産まれたことであんたの人生狂ったんだよな。ごめん。・・・でも、俺今すげえ感謝してる。産んでもらって良かった。もしあんたが俺を産んでくれなかったら、桐に会えなかった。だから・・・、ありがとう。―――――もう会いに来たりしないから、安心して養生しろよ」 それだけ言うと、彼はきっぱり背を向けて、遠巻きに様子を窺っていた職員に向かい深く頭を下げ、「お騒がせしました。母を、よろしくお願いします」と言って、そのまま部屋から遠ざかって行く。 室内の中に、なんとも言えない重苦しい空気が漂い、私は喘ぐように息を吐き出す。 辛くて、悲しくて、酷く痛みのある再会・・そして、別離の瞬間を目の当たりにして、発するべき言葉が出てこなかった。 「・・・ろされる・・・わたしが・・・いちばんわるいから・・・ばつをうけるのはあたりまえ・・・あのこは・・・なにもわるくないのに・・・わたしのせいで・・・――――――」 ごめんなさい・・・と消えそうなほど弱々しい声でそう呟いて、心を病んだその人は、ぐったりと気を失ってしまう。職員の人たちが慌てて駆け寄りベッドに寝かせ一通りの確認を済ませると、痛ましそうな表情で私を見て小さく会釈をし部屋を出て行った。 少しの間その場から動けず、私は呆然と彼の母親を見つめる。最悪の状況はそれなりに想像していたけれど、実際にそれが現実となった瞬間、結局私には何もできなかった。彼を守るどころか、彼をいっそう傷付けただけ・・・。 「なんてこと、しちゃったんだろう、私・・・」 良かれと思って、彼の心を少しでも軽くしてあげたくて、やっと今日のこの日を迎えたのに。 悔やんでも悔やみきれない後悔が私の心を蝕んで、自己嫌悪に押し潰されそうになった。・・・そんな時。 バッグの中で携帯が震え着信を知らせる。 「・・・はい」 『――桐。・・・俺を慰めてくれないの?』 思いがけず明るい声で、彼が受話器の向こうで朗らかに笑む。 私は「・・今すぐ行くから」と立ち上がり、通話状態のままで眠るその人に向き直る。 「――――マチさんは、私がもらいます。いつかあなたが返してと言っても、絶対に渡しません。・・・でも。彼を産んでくれたから、私は彼と出会うことが出来た。それだけは感謝します。彼を・・康春さんを産んでくれて、ありがとうございました」 返事も反応もないことはわかっていたけど、それでも私は深く頭を下げてから、彼がしたように、ここに想いを残さないようなきっぱりとした所作で背を向けて、私を待っている彼の元へと急いで向かったのだった。
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