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「―――お帰り。キリちゃん」
あまりにも彼の事ばかり考え過ぎて、とうとう本格的に幻を見てしまっているのかしら?と私は思わず自分の頬を強く抓る。
少し前までこのお店に彼がいる・・とかちょっとしたストーカー的な思考で項垂れていた私の目の前に、当の本人がにこやかに待っていたのだから。
「―――マチさん・・・」と、無意識で私は声に出して彼の名を呟き、それを聞いて彼は「覚えててくれたんだ、すげえ嬉しいし」と、見惚れるほどの甘い笑みを私に向けてくれた。
だけど、“覚えててくれたんだ”、と言いたいのは私の方。
あんなに酷いご挨拶と、新人だからでは言い訳できないほどたどたどしい接客、そして何より、まともに目を合わせてお話できなかった状況の中、こんな地味で華やかさのない格好をした私を私と認識してくれるなんて思ってもいなかった。
忘れられるわけがありません。だって私はあなたを好きになってしまったから。――――なんて当然言えるはずもなく、私はまたわたわたと視線を泳がせ、「――あの・・ッ。い、いらっしゃいませ」と腰を折り、あまりにも動揺していたからか、後ろで一本に括った髪ごと勢いよく頭を下げたんだけど・・・。
「―――ッぷ・・・!―――アハハ!キリちゃんのテンパりっぷりは想像以上だねぇ」
いけない!と思ったときにはもう私の結んだ髪の毛先が彼の鼻先を掠めて、ハッとして急いで顔を上げたら、彼がなんだかすごく楽しげに爆笑していて、恥かしいやら情けないやらで何て謝っていいのかわからなくなってしまって。
「・・・どうしてこんなにうまくいかないんだろう・・・」
―――――シュンと項垂れるようにため息を吐き、ぼそぼそと止められなかった呟きを零してしまった。
うまくいかないのは今だけの事じゃない。私の生き方自体、ちっともうまく進まない。気持ちがブレ過ぎて、当初の目的を忘れかけている証拠だ。
でも、情けなくって顔も上げられない私に、マチさんはどうということはないと言う雰囲気で笑う。
「キリちゃん。そんなの全然気にしなくていいんだよ?それに、キリちゃんの髪は柔らかくって女の子の良い匂いがして・・俺的にはラッキー、みたいな?」
グスッと鼻を鳴らして顔を上げると、マチさんが言葉通り“得しちゃった”という得意気な表情で私を見ていた。
「―――ごめんなさい、私・・・今とても自己嫌悪に陥っててそれで・・・」
「自己嫌悪?キリちゃんが?」
私を真っ直ぐに見つめ、マチさんは少し表情を引き締める。
「―――俺が力になるよ」
私は彼がどうしてそんな優しい言葉をくれるのかわからない。彼が私の何を聞き何を知ってしまったのか不安になる。だから私は、きっと理由を知っているだろうママに助けを求めるように、そして少し責める気持ちを含めて視線を向けた。けれどママはそんな私に「マチくんを頼ってみたらいいわ」と言うだけで、そのまま他のお客様の所へ行ってしまった。―――――何がどうなっているのか・・・、緊張で眩暈がする。
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