チャンス

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チャンス

「お願い・・・?俺に、ですか?――――――いや、やめておいた方がいいですよ」 「あら・・、どうして?私、人を見る目はあるつもりよ。だからあなたにお願いするの」 この店に来るのはまだ2度目。いくら伴さんという共通の知人がいるとはいえ、どんな人間かもわからないだろう俺に、一体何の頼みをしようって言うんだ?・・・というか、俺なんかに頼んじゃダメだろ。 自分の人間性が信用できない俺は、ママの言葉に自嘲気味な苦笑を浮かべ、「ホント、人でなしなんで・・」と答えてみるが、ママはほんのり微笑み、「だって、あなたはあの伴が見込んだ子でしょ?」と言った。 ママは昔の伴さんを知っている人。俺は伴さんの過去に何があったのかは知らないけど、醸し出す雰囲気や時折見せる凶暴さというか・・厳しさは、おそらく普通の人生を歩んでいたら持たないだろうもの。 ママはそれを知っているからこそ、『響』で働いている俺に対し、そんなイメージを持ってくれたのだろうが、そもそもちがう。・・・俺は伴さんに見込まれたわけじゃない。あの人は、人でなくなりかけていた俺を拾ってくれた、命の・・・人生の恩人なんだ。 ふと忘れ去ってしまいたい過去を思い出し、胸の奥に鈍い痛みが走る。 俺はもう一度緩く首を振って、「―――やっぱり・・、俺じゃダメです」と独り言のような声で呟いた。 けれどママは俺のそんな力ない応えに頓着せず、「私はあなたにお願いするって決めたの。あなたがいい」とどういうわけかやたら強く押してくる。しかし、浮かべる表情は言葉ほどの圧はなく穏やかで。 俺は戸惑いを覚えつつ、これじゃ断れそうにないなと諦めて、小さく溜息をついてから答えた。 「――――たぶん俺じゃ力になれないけど・・・。まぁ、聞くだけ聞きますよ」 ママは本当に眼識というか洞察力というか、もしかしたら人の心の闇を覗く能力でもあるんじゃないか?と 後で俺はつくづく思い知るわけなのだが・・・。いずれ、この日が俺にとってのターニングポイントになったことは間違いなかった。 頼みというのはキリちゃんのことだった。 彼女はひと月ほど前にふらりと面接を受けに来たのだという。 とても深い理由―――さすがに本人のいない所でそれを俺には言わなかったが―――があったらしく、どうしても住み込みで働ける高時給の仕事に就きたいのだと、必死になって頭を下げたらしい。 第一印象で彼女はこの仕事に向かないだろうとママは思ったようだが、あまりにも必死に頼まれたものだから少し長めに試用期間を取って雇うことにした。 キリちゃんは控えめで自分を前面に出すことはしない。この世界で生きていくには気持ちが優しすぎるし、1週間持たないだろうと思っていたのだが、予想に反して彼女は物の覚えも要領も良く仕事をこなせたから、わりとすぐに店の雰囲気にも人間関係にも馴染んでいって、半月経つ頃には言われなくても細々と動けるようになっていた。 けれど、一週間ほど前からどうにも気が漫ろになって、ミスが目立つようになってきたらしい。 おそらく仕事に慣れ始め、気が緩んでしまったというのもあるのだろう。
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