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ささやかな宴会を終え客たちが部屋に戻った頃、茶を淹れなおした母が席に戻ってくすりと笑った。
「そうだ、エメの部屋。もう入っていただいてもいいですよ」
「え?」
「一応嫁入り前だからって、遠慮なさってたでしょう?」
「いや、さすがに…」
「エメ、宝物がいっぱいあるのよね?」
「…うん、見てほしいものが、たくさん」
「いや…」
困ったように頭を掻き、父に目を向ける。父は複雑そうな顔をしてしばらく思案したあと、静かに答えた。
「…10分だけな。今、この瞬間から、きっかり10分だけ」
「行きましょ!」
酒で紅潮した顔を綻ばせ、エメがクラウスの手を引いた。
「…寂しいのね」
「ふん、」不貞腐れたようにグラスを傾ける。「クラウス君は願ってもない相手だが、エメにはもったいないくらいの相手だが、まぁ…いい気はせん」
「親ばかねぇ」くすくすと笑い、吹き抜けを見る。エメの部屋に面した内窓に、人影が二つ見えた。「私たちの育て方、間違ってなかったってことよ。うれしいじゃない。エメ、楽しそうだもの」
「…初めて入ったな」
エメの部屋は広くはなかったが、バルコニーに面しており大きな窓から涼やかな風が入っていた。
「変形だからお客さんの部屋にはできないし、物置にするのもバルコニーがもったいなくて。狭い所、好きなんです。ええと、たぶんお父さん10分経ったらほんとに呼ぶと思うんです…何見せようかな」
「君が手元に残していたノートを見せてくれないか」
「アカデミーの?…ここに、」
本棚から取り出したノートをぱらぱらとめくり、クラウスが過去のエメを愛おしむように笑った。少しの気恥ずかしさを覚えながら、勉強机の椅子を差し出す。内窓に面したベッドに腰かけ、クラウスがノートを読むのを見つめた。
「安心した」
「え?」
「君は魔法に愛されているが、君も魔法が好きなんだったんだな」
「…このときは」
ばつが悪そうに俯くエメを見て、またノートに目を落とす。魔法のメモがびっしりと書き込まれ、余白に小さな落書きや休み時間の面白かったことなどが書かれていた。『ジーナが木登りで落ちて医務室。あとでお見舞いに行く』という走り書きを見つけ、今度からかってやろうと思い立つ。『サイラス先生の好きなもの、黒毛の馬、大きな犬、サン・モールトのベリーパイ、塩煎りの木の実』、出世したその教員は、確かによく教員室でナッツをつまんでいる。
「先生の雑談までメモに取っている」
「あんまり見ないでください」
「これを君が手放さなくてよかった。これは、君の『宝物』の一つか?」
「…はい」
「よかった。本棚を見ても?」
「はい、どうぞ」
「小説が多いな。ああ、これは私も子どもの頃読んだ。おすすめは?」
「子どもの読む本ばかりですよ」
「いい。何冊か貸してくれ」
本を見繕っていると、階下から声が飛んだ。
「そろそろ10分だぞー」
「もう、お父さん!お客様がいらっしゃるんだから大声出さないで」
顔を見合わせて笑い、エメは「後でお部屋に持って行きます」と囁いた。クラウスが手招きし、歩み寄ったエメをそっと抱きしめた。
「君を妻に迎える日を待ちわびていた」
「私もです。…幸せです」
短い口づけを交わし、両親のもとに戻った。ほんの10分の間に、酒瓶がずいぶん軽くなっていた。
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