第14話 愛しき殿方

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第14話 愛しき殿方

 紅鯱と名乗った美麗な少女。  その手は前に組まれたままである。  いったい、さっきの武器はなんだったの?  みやびは十文字槍を持ち替えた。  少女の横には、汚泥のような雍和が二本足で立っている。  紅蓮の炎のごとく光る双眸、ギィギィときしる嘴。  グオオーンッ!  二メートルを超す化け物が咆哮し、ゆっくりと少女の横から歩き始めた。  早く葬っちゃわないと。  誰も通りかかりそうもない所だけど、万が一もあるし。  それにしゃちょーが言っていたように、これが成長して分裂拡散したら大変よ。  あの気色悪い化け物がネズミ算式に増えるなんて、ゾッとしちゃうわ。  みやびは謎の少女と、雍和の双方に油断なく気を向ける。 「おほほーい、みやびちゃーん、走るの早すぎー」  後方の草むらから、場にそぐわないのんびりした声で珠三郎が歩いてきた。  暑さと体力(というほど歩いてはいないが)を使うためか、フウフウと息を切らしている。 「いいから、のんびりしてないで加勢しなさいよ!」 「うっほほーいっ」  珠三郎は返事をしながらしゃがみこみ、背中のリュックを地面に置いた。  ごそごそと何かを探し始める。 「ったく。  いいわ、行っくよーっ!」  みやびは走りながら、雍和をロックオンする。 「はあああっ」  気合いとともに、大きく宙に舞う。  グィンッ、槍の真っ赤な柄が空気を裂く。  キィィーン!  みやびの十文字槍の切っ先が、飛んできた物体を跳ね飛ばした。  ざんっ、みやびは雍和の手前で着地すると、今たたき落とした物体を見て、川べりにたたずむ少女にキッと鋭い視線を向ける。 「ちょっと、危ないじゃない!  こんなナイフみたいな凶器を人に投げつけて。  当たったら怪我じゃすまないよっ」  もっと危険な切れ味抜群の、本物の槍を構えているみやびは怒鳴った。  草の生えた大地には、みやびが槍で受けた笹の葉型の鋭利な金属刃が突き刺さっている。 「申し訳ございません。  ただそうでもしませんと、この子が消去されてしまいますので」  少女が謝罪し、頭を下げる。  なに謝ってるてんだか、調子狂わせるのが狙いなわけねえ。  みやびは真剣勝負で一対多の実戦経験は、もちろん無い。  だが、師である祖母は常に実戦を想定し、激烈な稽古を課していた。  それが、役に立つ。 「そいつを葬らないと、アルバイト代が出ないのよ!  こっちにはこっちの事情があるわけよ」  みやびは視線を片方に集中しないように、暗視と呼ばれる方法で、ほぼ全方位の景色を視る。  これは攻守両方に活用できるのだ。 「悲しいことです。  本当に、悲しい。  では仕方ありません。  この子を生かすために、あなたさまを消去させていただきます」  紅鯱は、本当に涙を浮かべていた。  しかし、その指先には危険な光が星明りを反射している。  笹の葉型の刃が数枚、トランプのカードを指先で操るように並んでいる。  紅鯱の指先から瞬時にかつ正確に、幾枚もの刃がみやびの喉もとに飛んだ。 「ウムッ!」  みやびの動作が、コンマ一秒遅れる。  楯にしたはずの十文字槍の切っ先をすりぬけて、紅鯱の放った刃がざっくりとみやびの喉を貫いた。  ように見えた。  カシュッ!  飛来した凶器がすべてはじかれる金属音。  紅鯱の細い眉が歪んだ。  みやびの額に、一筋の汗が流れ落ちる。 「だめだよぉ、ボクの大切なみやびちゃんに刃物なんか投げたら。  ボクが許さないぞぉ!」  みやびの後方で、珠三郎が憤慨し赤らんだ顔で怒鳴った。  その左手には、珠三郎が改良したスリングショットが装着され、右手にはパチンコ玉のような丸い金属が握られている。  のっそりとしたおデブな身体からは想像もできない素早さで、珠三郎はマシンガンを撃つように金属球を連射したのだ。  静止しているターゲットに当てるのも難しい明かりの乏しい川原で、珠三郎はいとも簡単にすべての刃を撃ち落した。  恐るべき命中率であった。  ただのおデブではないことを、自ら証明してのけたのである。 「タマサブッ」  みやびはホッと息を吐くと、素早くふり返り、珠三郎にウィンクを送る。  珠三郎の援護があれば、戦える。 「まずは、こっち、イッくよー!」  走りながら十文字槍を大上段に構え、雍和に対象をしぼった。 「ボクは、ボクの大切な人を守る。  それだけなんだもーん」  珠三郎のスリングショットは、魔奏衆の紅鯱と名乗った少女に照準を合わせている。  それは通常市販されているタイプとは、異なっていた。  拳銃のグリップ部分だけを使い、上部にUの型パイプを装着。  そして要であるゴムとパッチ(球を包み、指で引っ張る時に持つ部位)をパイプに通す。  グリップから腕の肘部分に、固定させるための腕あてがついている。  ここまではほぼ同じだが、珠三郎が構えている特注品には、さらにU字の部分にバランサーが取付けられ、照準器まで取り付けられているのだ。  グラスファイバーと合金を組み合わせ、ゴムもシリコンを黄金比で配合した物である。  珠三郎は両手にプロテクターでガードされた、黒革手袋をはめていた。  通常のスリングショットだと、百メートル前後、機種によっては二百メートル近く玉を飛ばすことができる。 「ボクは的に当てることが目的じゃあ、ないもんね。  一撃必殺!  標的を木端微塵に破壊すること、これなんだよお、グヘヘヘッ」  珠三郎の眼鏡の奥、細い眼が妖しい光を帯び始めている。 「ボクは三百メートル先に立てたオロナミンCのガラス瓶を、連射で粉々にできるんだよう」  珠三郎は獲物を発見した猛禽類、いや蛇のように冷たく鋭い視線を紅鯱に向けた。  紅鯱は立ったまま動かない。  その大きなうるんだ瞳は、珠三郎をじっと見ている。  その間みやびは、ツッ、ツツッ、と青い草原をすべるように移動する。  闇から生まれ出た雍和は、不気味な唸り声をあげながら前進していた。  太い黄土色の獣毛に覆われ、真っ赤に光る二つの眼はいったい何を見ているのか。 「テエエッヤーッ」  みやびの構えた十文字槍の鋭い刃が、星の瞬きをすべて吸収したかのように光り、一閃した。  ズバァッ!  雍和は袈裟掛けに切断された。  巨体が崩れ落ちる。  切断面から、黒い煙がたちこめ舞い上がった。  紅鯱はその間一度も雍和を振り返ることなく、珠三郎を見つめ続けている。  その距離は二十メートルを切っている。 「グヘヘッ、もう絶対ボクから逃げられないよ。  ぐふぐふ。  さあさあ、どこから攻めてあげようかなあ。  身体の好きな部分を言ってごらんよう」  聞きようによっては、変質者そのものである。  紅鯱の大きな瞳に写る珠三郎。  紅鯱の白い頬が徐々に赤らんでいった。  まさか、まさか、私が初めて心を動かしたあの殿方?  いえ、だけどあの殿方はすでに遠い果てに。  でも私の心の臓がこれほど早く打ち鳴らされるなら、間違いなくあのお方。  どうして再び私の目の前に現れたの?  あの澄んだ瞳、凛々しい口元、たくましいお身体、どれほど私の心は苦しんだことでしょう。  もう二度とはお会いできないと覚悟を決めておりましたのに。  ああ、私の身も心も張り裂けてしまいそうです。 ~~♡♡~~ 「心配になって来てみれば」  みやびたちが戦っている川べりから、下流に向かう途中に架けられた橋の上。  橋といってもコンクリート製ではなく、木材を組み合わせた簡易なものだ。  人ひとりがやっと渡れる幅で、長年風雨にさらされ半ば朽ちかけており、通行禁止の立札が地面に斜めに打ちこんであった。  腕を胸元で組んだ、若い女が立っている。  緑色のカールした髪はショート、切れ長の目にとがった鼻梁、グリーンに輝くルージュを引いたやや厚めのくちびる。  濃いグリーンに染めぬいた、腕部分を切り取った革のジャケットに、同じ素材のタイトミニスカートを着用し、だめ押しでグリーンのスーパーロングブーツを履いていた。  全身が緑色の女である。  上流で対峙している人影をじっと見つめていた。 ~~♡♡~~~  みやびは雍和が暗黒の塵と化していくのを横目に、槍先を紅鯱に向けた。  左手側には、スリングショットのパッチを引っ張る珠三郎がいる。 「みやびちゃん、もう大丈夫。  ボクがこの女を成敗しちゃうから」 「せ、成敗って?」 「もちろん、撃ち殺すのさああっ!」 「ゲッ、やばっ!」  珠三郎は限界まで引いたパッチの照準を、紅鯱の眉間に合わせた。 「タ、タマサブッ、その女子は化け物じゃないっ!」  みやびが止めにはいる前に珠三郎は、「っしゃあっ!」の気合とともに一切の躊躇なくパッチを放した。  紅鯱は瞬きもせず、珠三郎の顔を潤んだ瞳で見続けている。  その眉間に凶器と化した金属球が飛んだ。  ところが空気を切り裂いて飛ぶ玉はまっすぐ川を越え、闇に消えたのであった。  人間の肉と骨が砕ける音に耳をふさごうとしたみやび、その生音を期待した珠三郎、どちらもはずれ、「ヘッ?」っと前を見つめた。 「やれやれ、やっぱり紅鯱はまだネンネだねえ」  色香をたっぷり含ませた、艶のある女の声が聞こえる。  紅鯱が立っていた場所の三十センチ横に、その女は忽然と姿を現し、玉が眉間を打ち抜く寸前に紅鯱の両肩をつかんで引き寄せたのだ。  球体は紅鯱の側頭部をすり抜け、虚空へ飛んでいったのであった。 「だれ?」 「さあ」  みやびと珠三郎は互いに首をひねった。  夏とはいえ、露出度の高い謎の女のスタイルに目が引きつけられる。 「世慣れしていないからねえ、この子は」  誰に言うでもなく、つぶやく緑の女。 「ええーっと、どちら、さん?」  化け物退治のことを忘れたかのような雰囲気の中、みやびは槍を構えたまま問う。  女は切れ長の眼で、ゆっくりとみやびを見た。  みやびでさえ、ゾクッとする凄まじい色気を含んだ眼差しだ。 「あんたたちなんだねえ、子たちを消去してくれたのは。  そこいらの人間じゃあないね。  まさか、あの時の妖術使いか?  そんなはずはないか。  あんたたちヒトが何百年も生きられるはずは、ないからねえ。  今日は引くけど、次は、ないよ。  私かえ?  私は魔奏衆の闇鳩(やみばと)さあ」  言った瞬間、落雷のような閃光が音もなく川べりを包んだ。 「アッ」  みやびと珠三郎は腕で顔を隠した。 「消えちゃったよーん」  珠三郎のまったりした声に、みやびもあたりを見渡す。  消えた。  いったい、なんだったの?  雍和のことを子供って呼んでいたけど。  なになに、どうなちゃうのよ。 「それに」  みやびの内側に、言いようのない負の感情がふつふつとわき出していた。                                つづく
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