第19話 魔奏衆

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第19話 魔奏衆

 拝殿には許容範囲を超えた人々が入殿し、互いに肩や膝がこすれあうのも気にすることなく、一心不乱に祝詞(のりと)を唱えていた。  せいてんそうの会の社。  すでに陽の沈んだ丘陵地帯にあるとはいえ、昼間の強烈な熱気が冷めているわけではない。  全身に汗をしたたらせ、百人以上の老若男女が手を合わせ、正座をくずすことなく不気味なイントネーションのハーモニーを口にしている。  全員がトランス状態であった。  本殿を正面に、黄金色の狩衣に指貫袴を身につけた鹿怨が座している。  信者とともに一段大きな声色で祝詞を唱える鹿怨の端正な顔には、なぜか汗が一筋も流れていない。  暑さを超越しているかのごとくに。  夜の帳がおりて、社は漆黒の闇の中である。  拝殿には燈明皿が置かれており、わずかな灯火だけがゆらめいている。  鹿怨は閉じていた二重の切れ長の両眼を、うっすらと開いた。  音もなく、影が忍び寄ってきたのだ。  信者たちの声はけっして大きくはないのだが、これだけの人数が口の中でつぶやくことにより、拝殿内には積み重なった音がこだましている。 「蛾泉(がせん)か」  影は巫女姿の女性であった。  白い千早、袢、衣に紫色の袴を着用している。  かしずくように頭を下げた巫女は、紫色のカールしたロングヘアを上げた。 「あい」  蛾泉はうなずいた。  パープルのアイシャドウに同色のルージュが、灯火にテラテラと光っている。  ゾクリとする妖艶な美貌だ。 「闇鳩と、紅鯱がもどってまいりましたゆえ」 「うむ」  鹿怨は再び目を閉じた。  蛾泉の姿が闇にとけるように、消えた。 ~~♡♡~~  香りが漂い始めた。  最初は花の蜜のようなやわらかな香り。  それに、甘い果実のような香りが混じる。  さらに香りが強くなる。  どんどん強くなっていく。  むせかえるような甘美な香りが充満した。  官能をくすぐる麝香(じゃこう)の香り。  灯りもない部屋に、いくつもの香りが交差している。  人工の香水の匂いではない。  発情期の雌の獣がふりまくフェロモンのような、鼻腔以外の感覚を刺激する香りである。  せいてんそうの会の本殿の、さらに奥。  椈や椚の樹木に隠されるように建つ、木造りの小屋。  会の信者でさえ、そこにあることを知らない。  樹木を使い、カムフラージュしているだけではないようだ。  一種の結界が張られているのであった。 「やはり、お前さんがついていって良かったねえ、闇鳩」 「ふん、だから紅鯱ひとりじゃ早計だと言ったじゃないの、蛾泉」 「そうだねえ、言ったとおりだったねえ」 「これで、四つ。  子が四つも消去されてしまった。  我ら魔奏衆といえど、子を生み出すのは難儀ゆえ、蝎火(さそりび)、どうしたものかいねえ」 「鹿怨さまのご判断を」 「そうだねえ」 「二百十年に一度の『常世開門(とこよかいもん)』の儀、決して失敗は許されぬ」  物音さえ吸収するような闇の中、衣ずれの音だけがやけに大きく聞こえる。   艶をふくんだ複数の声が、静かに空気を震わす。 「みなさま、申し訳ございませぬ」  少し幼げな声が離れた場所から聞こえた。 「仕方ないさあ、紅鯱」 「あい」 「我ら魔奏衆の末裔、なんとしても鹿怨さまのお役に立たねば」  香りの濃度がどんどん高まっていく。  紅鯱は思い返していた。  川原で目の前に立った男のことを。  男の視線を受けた時、鼓動が大きく鳴り出したことを。  脳が痺れ、身動きさえできなくなってしまっていたことを。  またお会いできるのかしら、あの殿方に。  夢にまで見た愛おしい、お方。  二百年前のあの戦乱において、ヒトの敵である私をお守りくださった勇者さま。  忘れもしませぬ。  ああ、大蛇丸(オロチマル)さま。  ヒトでありながら大蛇の妖術を操られる、気高き術者。  いつの日にか再びおぬしに逢おうぞ、と。  俺はヒト。  いずれ死ぬ。  だからこそ、再びおぬしたちがこの世を混乱に陥れるために現れたなら、必ずやこの大蛇丸、児雷也(ジライヤ)綱手姫(ツナテヒメ)とともに生まれ変わって成敗してやる。  紅鯱よ。  俺はお前が好きだ。  これだけは忘れないでくれ。    紅鯱の頬が赤く染まっていくのは闇に包まれ、誰にも悟られなかった。                                つづく
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