第2話 一閃する紅槍

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第2話 一閃する紅槍

 しゃり、しゃり。  静かに土を踏む、人の足音。  小型トラックがさきほど走ってきた土道を歩く人影。  夏用セーラー服姿の少女が、ひとりで歩んでいる。  栗色のショートヘア。  アーモンド型の瞳。  まっすぐ結ばれた口元。  すらりと伸びた足元には紺色ハイソックスに黒いローファー。  おとなになる寸前のあどけなさの残る顔立ちは、女子高校生のようである。  凛とした小顔は化粧っ気がないにも関わらず、男性が十人いたら九人はふり返るほどチャーミングだ。  身長も同世代の女子のなかでは、かなり高い部類に入るであろう。  常夜灯よりも、たしかな星明かりだけが道を照らしていた。  特筆すべきは、彼女は右手に学生鞄ではなく、およそ三メートルはあろうかと思われる長い真紅の棒を持ち、歩いているということだ。  しかも棒の先端には十文字の剣がついており、星々の光を鋭く反射させている。  槍であった。  鉄やアルミといった、一般的な金属には出せない澄んだ光。  少女は怯えるわけでもなく、興奮している様子もない。  学校へ通う道を普段通り歩くように、ただ真っ直ぐ前を向いて歩いている。  しゃり、しゃり、つっ。  少女の足が止まった。  何かの気配を感じとったのか、前を見る目元がわずかにゆれた。  小型トラックが入っていった脇の道に、視線を向ける。  少女は、タンッ! と大地を蹴って走り出した。  なぎ倒された熊笹の道を、樹林の奥へ一気に駆ける。  見通しの悪い林の下り坂を十文字の槍を持ち、長い脚でダッシュしていく。  少女の耳に、悲鳴が聞こえた。  樹林を駆け下りると最後は大きく跳躍し、草原の大地へ片膝をついて止まった。  少女の前方にはライトを点けたトラックに、大量の産業廃棄物が小山を作っている。  しかし、その視線はさらに奥に向けられていた。  距離にして二十メートルほど先。  暗黒色の森の上空に、月が姿を現す。  シュルシュルシュルッ!  大気を裂く音とともに、月光がさえぎられた。  上空から巨大な影が降ってきたのだ。  ドウンッ、土の大地を踏みしめる音が響いてきた。  そこには背後の樹林をバックに、二本の脚で立つ巨大な動物の影があった。  幕を切ったように、月が青い光を地上にふりそそぐ。  少女の涼やかな瞳に写る、極大の動物。  日本猿?  いやゴリラか?  そんな生やさしい風貌ではなかった。  月光に浮かぶそれは体高が三メートル近くあり、全身が黄褐色の獣毛でおおわれている。  前方に突き出した頭部は猿の顔であるのに、異様な赤い嘴。  長い胴体に、短いがに股の脚。胴体から左右に伸びる腕は太く長い。  その背後には大蛇のようにくねる太い尾。  真っ赤な両眼はマグマのように不気味な光を放っていた。  ギョウワウウッ!  異形の怪物が咆哮する。  少女は片膝を地面につけたまま、真紅の槍を両手で構えた。 「出たなーっ」  少女の瞳は月光を反射し、その口元に笑みが浮かんでいる。  怪物は少女に顔を向け、大気を震わし哭いた。  異形の猿は助走もなく宙に跳んだ。  少女は驚きもせず、すっと立ち上がった。  槍の十文字の刃先が、白い光を放ちながら上段に構えられた。 「イヤヤヤッ」  少女は間髪をいれずに走り出す。  乱雑に積まれたゴミの小山に爪先をかけ、槍をふり上げて大きく宙に舞った。  ショートヘアが、ふわりとなびく。  槍の鋭い切っ先が弧を描き、ブンッと力強くふり下ろされた。  バシュッ!  刃が一閃し、空中から襲いかかろうとした化け物の片腕が胴体から弾き飛ばされた。  背中から大地に転がり落ち、狂ったように叫ぶ異形の物。  切断部分からは血液ではなく、黒い煙が巻き上がった。  操り人形のように反動もなく化け物が立ち上がる。  すると赤い嘴が天を向き、ぐわっ、と裂けるように大きく開いた。  ごぼりっと気色の悪い音とともに、粘液にまみれた二メートルほどの大きな塊が吐き出され地面に落ちる。続けてもうひとつ。 「デイヤアアッ」  少女は気合を発して跳躍し、一気に距離をつめる。  とんっ、と大地に両足をつくやいなや、少女はフルスイングで槍を旋回させた。  化け物の胴が腹部から切断される。  日本刀のような鋭い切れ味だ。  少女はフルスイングしたままの状態で、顔だけを肩越しにふり向いた。  どぅん、黄褐色の化け物の上半身が大地に落ちた。  黒い煙が切断痕から舞い上がる。  その煙とともに化け物の身体がみるみる塵と化し、宙に飛散していった。  少女はにっこりと微笑む。  その笑顔は、体育大会の百メートル走でぶっちぎりの一等賞を獲ったかのように、すこぶる健康的で、さらにキュートであった。 「ふふふっ、一丁上がりね」  槍を肩に乗せ、片方の手を腰にそえる。  羽虫が飛散するように、ちりぢりと大気に舞う化け物の身体。  その跡に、先ほど吐き出された二つの塊が転がっている。  黄土色の粘液で包まれた塊は、不法投棄をしていた男二人であった。  身体がピクピクと小刻みに動いており、どうやら絶命しているわけではないようだ。  少女はこれにも驚くことなく、むしろ冷ややかな視線を男たちに送った。 「お、お見事でした!  若先生ーっ」  甲高い声に少女はふり向いた。  後方の樹林の陰から、男が顔をのぞかしている。  広い額に短く刈り込んだ髪はブラウンに染められ、薄青色のブランド物のサングラスをかけ、わざとそり残した無精ひげを生やしていた。  肌の色つやから三十歳前後と思われる胡散臭げな男は、松の幹から辺りを警戒しながら上半身だけを出している。  黒地に銀線のほどこされた、イタリア製の高級スーツを着ている。  同系色のカッターシャツの胸元は開かれ、ゴールドの喜平ネックレスをのぞかせていた。  少女は形のよい眉を寄せる。 「ちょっとぉ、組長、何度も言いましたよね。  その若先生って呼ぶのはやめてくださいって。  アタシは確かに宝蔵院(ほうぞういん)槍術(そうじゅつ)の免許皆伝ですけど、先生って柄じゃないし、なんか小馬鹿にされてんじゃないかしらって思うわけ。  しかも、こーんな危険なモンキーの化け物を倒すのに、自分だけ隠れちゃってさ」  少女の大きな愛らしい目元が、キッとつり上った。  組長と呼ばれた男はその視線を受けると、とたんにブルブルと身体を震わせる。  ガバッといきなり土下座した。 「ヒーッ、すみません!  ごめんなさい!  申し訳ありませんでした!   わたくしゃ先生のような武芸者でもなんでもない、ただの凡人でございますから、勘弁してくださーぃ!」  涙声で叫んだ。  少女は肩をすくめる。  三メートルほどの槍の柄を両手で回すと、カチッという金属音がし、一メートルほどに縮む。  それを右手に持って男のほうへ駆けていく。 「ヒ、ヒィィィ」  男は土下座のまま目だけを上向け、絹を裂くような悲鳴を口にした。  少女は十文字の切っ先を、ぴたりと男の首にあてる。  少しでも動けば、間違いなく頭部は撥ねとばされる。 「た、助けて、ここ、殺さないで」  少女は、泣きながら土下座する男に言う。 「あんなお高い時給でアルバイトに誘われちゃったから、ホイホイ今回もついてきちゃったけど。  あの気色の悪い化け物、『雍和(ようわ)』だっけ?  実際にこんなに湧いてくるとは驚きだわ。  組長の言っていたことが本当だったってことも、驚きだけど」 「ええ、わたくしゃチンケな男でございますが、めったなことでヒトさまに嘘はつきませんっ。  奴らはご覧の通り、本物の化け物です」 「あそこに転がっているような、ワルーイ心を持った人間だけを襲っているなら、むしろ大歓迎なんじゃない?  お天道さんに隠れて悪さをする連中を退治してくれんでしょ」  少女はトラックのライトに照らされる二つの塊を指さす。  粘液にまみれた男たちは、ゆっくりと起き上がろうとしていた。 「と、とんでもございません。  確かに今のところは化け物どもも、心の汚れた奴らを襲っては命を奪うわけでもなく、ああして飲み込んだ後に吐き出しているだけです。  雍和は人間の心の(けが)れを好んでおりまして。  それすべて吸い取ると同時に思考能力まで奪われちまって、しばらくは廃人同様のありさまにされてしまうんですから。  いくら悪い奴らでも、それではあんまりだ。  そ、それに雍和が現れる本当の目的は、この国を禍いで包み込み、混沌(カオス)の世界へ変えてしまうこと」  首筋に当てられた槍の刃先を恐々見ながら、組長と呼ばれた男は言った。 「万が一のときにはケーサツやジエータイがさっそうと登場してくれるわよ。  まあそんなに大げさじゃなくても、また化け物が出ちゃったらアタシの槍でスパンッて退治しちゃうから問題なんてないじゃない」  少女は男の首元に当てていた槍の刃先を、横にふった。 「ヒーッ!」男は本気の悲鳴を上げるが、またしても皮一枚ぎりぎりの所でうまく刃先が止まる。 「アタシに割のいいアルバイトがあるからって、お誘いいただいきましたけど。  純粋無垢な女子高生を丸めこもうとする匂いがプンプンしちゃうのは、なぜかしら。  槍術で退治できるって言われて、話にのってこれで三匹目。  結構簡単なアルバイトで高額ゲットなんだけど、調子良すぎるような気がするのも確かなのよねえ。  もしかして、いたいけない少女のアタシを口先八丁でたぶらかしているのなら、ここをチョンってするよ」  少女は上から目線でさりげなく、コワイことを口にした。  男はシクシクと泣き始める。 「ちょっと、なんでそんなに泣き真似なんかしてんのよ、組長」 「わた、わたくしは、みやびさまを騙そうなんて、これっぽちも思っておりません。  この国を禍から守る使命を全ういたそうと、真摯に向き合いましてですね」 「わかった、わかりました」  みやびと呼ばれた女子高生は、なおも話を続けようとする男の口を止めた。  槍の刃先がスッと男の首から離された。  ゴクリッ、と男の口中に溜まった唾液を嚥下する音がする。  少女はため息まじりに苦笑しながら、男の前で右手を差し出した。  男はその手を見て、涙と鼻水でくしゃくしゃになった顔をほころばせた。 「もったいねえ、わかせん、いや、みやびさまのお手を拝借いただけるなんて」  男は土についた手をスーツでぬぐうと、少女の右手をつかもうとした。  ぱしっ、みやびは男が差し出した右手を軽く払いのける。 「違うでしょ。  言われたとおりにまた一匹葬ったのだから、約束のお・て・あ・て」  小首をかしげて男の目の前にしゃがみ込んだ。  大きな瞳に月明かりが写っている。  真っ直ぐな視線を受けて、男は何を勘違いしたのかポッと頬を赤らめて顔を横に向けた。  少女みやびは続けた。 「アルバイト代よ、約束の。  化け物がこの世に禍を招こうがどうしようが、アタシの知ったこっちゃないわ。  現役女子高生のファッションモデルとして、雑誌で引く手あまたの大ブレイク中。  アタシが次に狙うのは、アイドルよ。  そのためには色々とお金がかかるのよねえ。  ボイス・トレーニングにダンスのレッスン、それ以外にも事務所の契約更新料とか。  早くちょうだい!  現金手渡しよ。  領収書のいらないやつ」 「は、はい、もちろん承知しております、です」  男、伊佐神(いさがみ)藤吉(とうきち)は甲高い裏声で、コクリとうなずいた。  化け物に生命力を吸われたという産廃業者の男たちは、粘液まみれの身体を気にするでもなく、ぼーっと座り込んだままブツブツとつぶやき続けるのであった。                                 つづく
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