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第6話 新興宗教団体
ナゴヤ市の東南部に位置する天白区。
閑静な住宅地を中心とした町である。
隣接する緑区との境には、いまだ手つかずの丘陵地帯が広がっていた。
数年も経たないうちに切り開かれ、新たな住宅地として売り出されるであろう。
すでに道路は整備されており、天白区と緑区を往来する車の交通量は増加傾向にあった。
今までは単に通り過ぎるだけの何もない丘陵地帯であったのが、最近ではある目的を持って訪れる人々が増えていた。
舗装道路から幾分離れた森の中に、神社が建立されたのである。
鹿怨流神道せいてんそうの会。
新興宗教団体である。
教祖の名は鹿怨。
会は発足してまだ一年も経っていない。
それにも関わらず、信者の数が日に日に伸びてきている。
胡散臭い宗教と思われていたのが、どうやらそうではなかった。
鹿怨は不思議な霊力の持ち主であったのだ。
それは、人を若返らせる法力を会得しているという。
鹿怨自身もその力のお蔭で年を取らず、五十歳を超えているとも、いや百歳以上の実年齢だとも噂されている。
だがその姿はどうみても、三十歳もいかない若者であった。
ゆるくウェーブのかかった髪、しわひとつない顔は西洋人のように彫が深い。
長身痩躯の体型は、教祖と言うよりも二枚目映画俳優を彷彿させる。
新興宗教団体にありがちな怪しさ、キナ臭さを微塵も感じさせない清潔感にあふれた、スマートな教祖である。
しかもここが肝心なのだが、せいてんそうの会は信者からお布施を取らない。
入る者は問わず、出る者は追わない。
慈善事業のような団体であったのだ。
バックには華僑やオイルマネーのスポンサーがついていると噂されているが、定かではなかった。
現在のところ一度入信して、脱会した者は皆無であった。
お布施が要らないうえに、奇跡のような若返りが図れるというふれこみであれば、当然関心を示す人たちが多くなる。
ただしマジックのように瞬間で若くなるのでは、無論ない。
教祖と共に拝殿で神にお祈りし、『せいてんそう』と呼ばれる秘薬を服用することにより若返りが図れるというのだ。
せいてんそうは無色透明、無味であるため、ただの水をだまして飲ませているのではと疑いを持つ者もいた。
当初は、そんな上手い話なんてあるものかと、鼻で笑う人が大半であった。
お布施を取らないし、せいてんそうにも費用はかからない。
しかも一度服用すれば良し、あとは熱心に神に祈りを捧げるのみという誠にありがたい話のため、暇を持て余している老人たちには絶好の社交場となる。
驚くことに、会発足以来の熱心な信者には、徐々にではあるが着実に効果が表れていた。
ある老婦人は、会に日参し祈った。
せいてんそうを何の疑いも持たず、ありがたく飲み干した。
翌日目覚めると、なんだか身体の様子が違う。
軽い感じがするのだ。
次の日も、また次の日も、どんどん体調が変化し気持ちも明るくなっていった。
一ヶ月も経ったころには、顔のしわが減り、歩く際に痛んでいた足腰もすっかり回復したというではないか。
奇跡のような話が、口コミで広がっていった。
インターネット上でも、盛んに語られるようになった。
せいてんそうの会はホームページも持たず、一切の宣伝はしていないのにだ。
老人以外にも信者が増加していったのは、若返りたいのではなく、今の若さを保ちたいと願う女性たちがいたからである。
これには教祖鹿怨の、男性としての魅力もあったのではと邪推されるが。
静かに始まったせいてんそうの会は、確実に信者を増やしていった。
~~♡♡~~
せいてんそうの会は、丘陵地帯に鳥居から拝殿まで神社としての施設を設けていた。
真夏の陽射しが森の緑に反射している。
そこかしこから、鳥や蝉の鳴き声が開け放たれた拝殿の中にも聞こえる。
いつも大勢の信者でにぎわう社には、なぜか誰もいない。
静まり返った拝殿に座る二人をのぞいて。
ひとりは鹿怨である。
板の間に坐していた。
その身には、神職がまとう狩衣に指貫袴を着用している。
本来は神職身分によって、袴の色は制定されている。
特級から四級までの六段階。
一級と二級の間に二級上という身分があるため、六つなのである。
鹿怨の袴の色は金色であった。
制定されていうる色には、ない。
鹿怨は拝殿の奥の本殿を見据えたまま、静かに口を開いた。
「紅鯱よ」
「あい、鹿怨さま」
もうひとりは、紅鯱と呼ばれた巫女姿の女性であった。
顔を伏せているため、表情が判らない。
「紅鯱よ」
再度、鹿怨は名を呼んだ。
「昨夜もまた、葬られたようよな」
怒るわけでもなく、笑っているのでもない。
感情のこもらない、冷たい言いかたであった。
巫女の装束である、千早、袢、白衣に緋袴を身につけた紅鯱は顔を伏せたまま、小刻みに身体が震えだした。
鹿怨は額にかかる髪を長い指でかき上げながら、ゆっくりと身体を後方に向ける。
二重の涼しげな目元が紅鯱を見つめた。
いつのまにか、外で盛んに鳴いていた蝉の声も、鳥のさえずりも聞こえなくなっている。
流れていた時間、空気が凍りついたように止まった。
紅鯱の、黒い肩まで伸びている髪だけが震えている。
鹿怨の口元が上がった。
赤い唇の間から真っ白な歯がのぞく。
どうやら笑みを浮かべたようだ。
「まあよい。
まだ余興の段階よ。
本番はこれから。
しかし、何奴が手をくだしたのかのう。
我らの企みを知る者などいるはずもないが」
鹿怨はまるで老人が語りかけるような口調で言った。
紅鯱は伏したまま、応えることもできなかった。
「ふふふっ、どちらにしても、今度はこちらに神は向く。
いや、力づくでも向かせてみせるわ、必ずなあ」
鹿怨は低く静かに笑った。
つづく
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