9-93『それでも想い続ける夜』

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けれどもこれも夜の流れか、まるで梅雨空の雲と同じで激しいのが訪れればやがて穏やかなのだって平々凡々当たり前の様に訪れる 大河ばかりが言葉を失い奈々と熊さんで興じていた下ネタ合戦も、まもなく不意に健さんが訪れた事である種の決着を見た…………… ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「やあみんなご無沙汰だね、熊さん久しぶり、それでとりあえず今夜はまったりした感じで、ウイスキーのロックでも飲ませてくれない?」 しかしそんな大河と熊さんの事を挟む様にして腰を降ろした健さんとは、つい先日はあんなにも幸せそうだったのに、あの日の夜とのテンションと比較をするとまるで別人で、こうなるとやはり奈々も下ネタばかりの熊さんばかりと言う訳にもいかない 梓が出勤して来るまでは1人で回すしかないのだ、例えばどんなにテンションの落差が激しくても仕事なんだからそれは当たり前 こうなったら奈々にはいよいよ大河の相手をしている暇もなくて、まずはとにかく言われたままに健さんにロックを提供した…………… 「そう言えば奈々ちゃん、てか大河も熊さんも知っていた?実はしばらく飲みに来ていない北川さんにこの間バッタリ駅で会ったんだけど、聞けばずっと入院をしていたんだってね」 するととりあえず飲めた事で、いくらか気持ちも落ち着いたのか、そんな健さんは煙草を片手に神妙な面持ちで突然みんなに尋ねた 「えっ!?あの北川さんが入院!?すると北川さんってどこか具合でも悪いんですか!?」 これにはさすがの大河もビックリ、今までが下ネタ三昧だっただけにその衝撃は大きくて、無視や無反応はあり得なかった 「そうみたいだよ、さすがにプライバシーがあるから俺も詳しい事までは聞けなかったけど、でもやっぱりショックだったなぁ、とにかく長らく入院が必要なくらい今の北川さんが弱っている事は確かなんだと思う、なんかこう見るからに療養中って感じでさ、声も掠れ気味だったし別人みたいに痩せちゃったし、しかもここまで言ったらみんなの事も心配にさせてしまうかも知れないんだけど、北川さんは俺と同い年の筈なのに爺さんみたいに杖を使って歩いていてさ、怪我をして松葉杖とかじゃないからね?杖があってもうやっとって感じだったんだ」 「そんな……………奈々ちゃんは何か聞いている?北川さんも俺達と同じC.E.Oなんだ、だからって言うのも変だけど、でもそれなりに連絡は取っていたんだろ?」 出来れば嘘だと思いたい、あの紳士の代名詞みたいな優しい北川さんが、知らない間に聞くからしてそこまで今大変そうにしているなんて だけど大河も、まさか健さんが嘘を言っている風にはこれっぽっちも聞こえていなかった訳で、こうなると的確な安心材料を得られるかは定かではなかったが、今度はまたしてもある種のギャップで急に黙り一辺倒の熊さんは無視、大河は恐る恐る奈々に尋ねた…………… 「ごめんね私も今のが初耳、確かにラインとかであんまし元気じゃないから最近行けなくてごめんねみたいな事は前に言われたけど、北川さん今そんなに悪かったんだ……………」 だけど奈々はまた嘘をついた、泣かない為にも嘘をつくしかなかったのだ…………… この時既に奈々は北川さんに残されている命の時間を知っていた、それはもちろんおおよそではあるが、梓と一緒に働いていた時に本人から聞いたんだからまず間違いはない 北川さんはいわゆる不治の病に身体を蝕まれていたのだ、もちろん恐くて病名や病状までは奈々も知り得てはいなかったけれど、とにかく治らないくらいに体調が悪い事だけは確かな事 そして聞かされた奈々と梓は、その時に北川さんといつくかの約束をしていた…………… まずこれはプライバシーだから、他のお客さんには一切言わないで欲しいと言う事、特に仲良くしているC.E.Oの他の4人も、当然それは例外ではない それから過度な心配はして欲しくないとの事、心配1つで治る病なら回復の余地はあるけれど不治の病は不治の病で、気休め程度の延命が今の医学では精一杯、だから気持ち的にも辛いから、それを理由に特別な扱いはして欲しくないとの事 それからもう1つ、これが一番大切な事、当時の大河と仲良し姉弟だった頃の奈々しか知らない北川さんは、奈々から大河に伝えて欲しいどうしてもの伝言を託していたのだ…………… 【若い頃からの無茶な飲み方ばかりの生活が、きっと不治の病の原因なんだ】と…………… 北川さん曰く大河の習慣的な飲酒状況は、自分の若い頃にそっくりならしい、だから北川さんはとにかく大河の事を心配していたのだ でもまだ今はそれを言えない、だって今の大河が何を言っても聞き分けを持ってくれるなんて、奈々にはそんな風に思えなかったから それに大河以外にも健さんも熊さんも居るんだから、話題は出て来ても今夜は絶対に不可能 しかも仕事が仕事な訳で、関係があるのかどうかは解らないけれど、大河は独身でも自分は母親、だからきっと今になって心配していると大河に言っても、逆に心配されるのがこの話のオチ、ブラザーだった大河とは、思わず腹が立つくらいに本来はそう言う男…………… だからそんな今の奈々に出来る事なんて、やっぱり知らないで通す事だけだった、そうしていて早く次の話題に切り替わってくれる事を、密かに願い続けるばかりだったのだ…………… 「なんだ奈々ちゃんも知らなかったのか、でも健さんが駅で会えたって事は今はもう入院していないって事なんだから、今は無理でもきっといつかまた会えるし飲めるって事でしょ!?だったら笑顔でその日を待つだけ!そいじゃあ俺もウイスキーにしておかわり!!!!!」 それにしてもこうも暗い話題ならやはり苦手でしかなかった大河は、今と言うこの時間を単一のお客さんとして楽しみ通す為にも、ここは意図して明るく振る舞う 辛気臭いのは失恋だけでもうたくさん、モヤモヤするのも大悟だけでお腹がいっぱい、決して気にしていない訳でもないけれど、とりあえず現在進行形で入院をしていないのなら、大河はここはそれでヨシとし、それを自らに改めて言い聞かせる為にも、ハツラツとした声を上げた 「はいはい、ウイスキーね……………」 奈々も真顔で従うしかなかった…………… 知らない方が幸せだったと言う事なのか、おおよそを知る奈々からしたら北川さんは考えるに在宅の治療に切り替えただけ、でもそれを口にしてみんなをネガティブにさせてしまうのは、北川さんも望んでなんかいないから…………… 22:40 いずれにしても大河への伝言は無理…………… ならもうすぐ来てくれるだろう梓だけをある種の希望の光と位置付け、奈々は気張った淡々とした態度を持ってして、途切れる事なく3人と自分にお酒を作り続けて過ごした……………
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