会敵

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会敵

青の中を飛んでいた。    二機の白い点のようなSu27SJが、縦二機編隊を組んで下北半島から南東一一〇キロのポイントを飛行していた。ロシアの長距離迎撃及び護衛を任務とするSu27をライセンス生産した機体だった。双胴式の機体、長く伸びた機首から主翼にかけての優美なラインは鶴の名に相応しい。白に近い明灰白色の塗装も、鶴の印象を濃くしていた。  現在の任務は、国籍不明機を祖国、日本民主人民共和国の領空から追い払う警戒待機任務だった。  北上護三尉は、一三歳で赤衛隊の基礎訓練を一年、防空赤衛隊飛行訓練学校で三年三期のパイロット教育を受けて三沢基地に配属された。その後、複座練習機型で一年の訓練を受け、去年からようやく単座機を任された。警戒待機任務もすでにこなしている。  目標は自機から一一時、距離一三〇キロの位置に一機、針路一七五度に向けて、高度八〇〇〇メートルを速度六〇〇キロで飛行中。     データリンク・システム、土耳古石を介して計器パネル右上のヘッド・ダウン・ディスプレイ……HDDに地上のレーダー・サイトからのデータが転送される。無線を傍受されている可能性があるので、誘導する地上のレーダー・サイトと無線のやりとりはしない。領空侵犯機の予期せぬ場所から不意討ちのように現れて、プレッシャーを与えるためだった。    目標は、防空識別圏を超え領空に向けて飛行している。    今までに一度も無い。まずいことになりそうだった。     護は力を入れずに操縦棹を僅かに動かし、を会敵ポイントに向けて上昇させる。紅色の円、十六本の光条を放射状に広げた白い太陽、中央に赤い星という国籍円形標識がついた大型の垂直尾翼を遙かな地上に見せ付けるようには飛ぶ。  空を飛ぶということは泳ぐことに似ている。戦闘機は主翼のフラップ、垂直尾翼のラダー等の舵の組み合わせによって、自由自在に方向転換して飛ぶ。鳥というより、尾鰭や背鰭を使って大気圏を泳ぎまわる魚のような存在だった。  キャノピーに守られた静かなコックピットにいても、深海の底のような空へとあがっていく感覚がわかるような気がする。宇宙に近い紺色はいつもながら、ひどく冷たく感じた。 「ミサゴ二番機より一番機、一一時方向、ナホートカ(発見)」  白いゴミのような点が前方に見える。 「了解、確認した」  自分に見つけさせるために何も言わなかったのだろう、と護は思った。  第三飛行連隊、第三飛行中隊の一二機のを率いる安倉怜人三等空佐の声が聞こえる。飛行時間二〇〇〇時間のベテランだった。 「ミサゴ一番機よりシラカバへ。目標を確認した」 「シラカバよりミサゴ一番機へ。接近して国籍、機種、状況を報告せよ」  地上のレーダー・サイトで護たちを誘導する地上邀撃管制官から怜人へ入った通信が聞こえる。 「ミサゴ一番機、了解。ミサゴ一番機より二番機へ、後方から回り込む。続け」 「ミサゴ二番機、了解」  酸素マスク越しの声は微塵も乱れが無い。  自分の息の音がひどく五月蝿い。 「ミサゴ二番機、了解」  二機編隊のが加速する。コックピットの中では、僅かな加速など感じない。目標の左後方につく。自機から見て左側にある領空には入らせないつもりだった。    護は、目を四発エンジンの大型機に据えたまま、さらに六〇〇メートルまで接近する。ミサゴ一番機の怜人が先行した。二番機の護はそれより上空後方について、目標の動きに即座に対応できるようにする。  大型機がはっきりと姿を現す。一見、旅客機に見えないこともないが、黒く塗られた機首の犬の鼻面のような出っ張りや機体各部の妙な突起部など、明らかに旅客機とは異なっていることがわかる。何より、白と灰色に塗り分けられた機体の横にくっきりとUS・AIR・FORCEと書かれている。 「目標、航跡五三〇はアメリカ機。RC135型、一機、水平直進飛行中。異常行動は無し」 「了解」  護も確認した。学科で何度も見せられた写真に間違いなかった。  領空に近づいているのは、アメリカ空軍が保有する電子偵察機RC135だった。通信やレーダー波を解析するための空飛ぶ高度精密機器。自機のレーダーを待機モードにしているのでのレーダー波は探知されていない。警戒待機任務の際、目標がRC135のような電子情報収集機である可能性が高いので、邀撃機のレーダーは使用せず、レーダー・サイトに頼ることが多い。 「ミサゴ二番機、写真を撮影します」 「了解」  領空侵犯機の撮影は二番機の仕事だった。護は、操縦を自動飛行にしてカメラを取り出す。西側の日本製品、ニコンというメーカーのカメラだった。カメラ一つとってもロシア製とは比べ物にならない。大きく深呼吸して、しっかりとカメラを構える。引き金を引くような気持ちでシャッターを切る。  RC135は、そのまま直進した。  護たちも監視を継続する。  三分後、目標のRC135に変化が見えた。 「ミサゴ一番機よりシラカバへ。変針している。旋回中」  怜人の声が耳に入った。いつも通りなら、このあたりで引き返すはずだった。このまま旋回すれば日本本土に到達するコースに入る。 「貴機は日本の領空に接近中。ただちに針路を変更せよ」  レーダー・サイトから、英語での呼びかけが何度もなされている。無線を聞きながら、護はRC135を見つめた。針路を変更する気配はない。 「通告に対して行動変化はあるか」 「変化無し」  怜人のはRC135の左真横につく。これ以上はいかせない、というようなブロックの動きだった。  機体信号を実施せよ、という指示が下る。RC135のコックピット左横についた怜人が、機体を左右に激しく傾ける。主翼を振っているように見えるバンクは、我に従え、という万国共通の合図だった。 「ミサゴ一番機、このままだと領空を侵犯します」 「ミサゴ二番機、慌てるな」 RC135は刻一刻と領空に近づいていた。あと二〇キロ足らずだった。 「こちらは、日本民主人民共和国、防空赤衛隊。現在、貴機は日本の領空に接近中。ただちに針路を変更せよ」  怜人は、それなりに流暢な英語で国際周波数に乗せた警告を送るが反応はない。 「シラカバよりミサゴ一番機へ。目標は領空を侵犯。着陸のための誘導を行え」  地上は強制着陸をさせる決意を固めたらしい。 「貴機は日本の領空を侵犯している。我が方の誘導に従え!」 地上からの呼びかけは、通告から警告へ、厳しい調子に変化していた。機体信号を行え、という指示が出る。編隊長の怜人が、RC135の上を機首から尾部の軸を基として回転する機動、ロールで抜けて右側に回りこむ。軽業師のようだった。護も、そのまま前に出て怜人がもといたRC135の左側面に占位して挟み込む。  目標との距離はわずか一五〇メートル。もはや至近距離と言ってよかった。RC135は、のしかかってくるような巨大感を与える。 再度バンクを行う。次に右バンクで離脱してみせる。右旋回で我が機に従え、という意味だった。 「目標は誘導に従わず」 「誘導を続行せよ」  着陸させるから指示に従え、というレーダー・サイトの呼びかけや、怜人の機体信号にも応じない。RC135は無視を決め込み、ひたすら直進していた。 「ミサゴ一番機よりシラカバへ。目標は誘導に従わず。指示を乞う」 「信号射撃を実施せよ」 護は思わず耳を疑った。今までは警告のみで侵犯機はすぐに退去した。射撃は初めてだった。 「ミサゴ一番機、了解」  一瞬遅れて、怜人からの通信が入った。 「ミサゴ一番機、プレメット(機関銃)」    機首の右側が爆発するように光り、排気煙と共に弾丸が吐き出される。光点が目標の前方を遮るように飛んだ。のGSh301、30ミリ機関砲の威力と迫力は領空侵犯機を怯ませるのに充分なはずだった。  だが、RC135は何事もなかったように青い空間を飛び続けている。  警告射撃をされても飛行を続けるRC135の行動は常軌を逸していた。 「シラカバよりミサゴ一番機へ。撃墜の準備に入れ」  護の背筋に嫌な汗が流れる。  刻一刻と領空を侵犯されている現状で、警告も威嚇射撃も通じないならば撃墜するしかない。    国際法上では認められていたし、地上や海上で部隊が攻撃されて死傷者が出たり、軍艦が沈没したりすることに比べ、空中での撃墜が戦争に直結することは少ないが、開戦の口実となることを日本民主人民共和国は恐れていた。そのため、防空赤衛隊は撃墜を禁止していた。撃墜を警告する撃墜準備は最後の段階だった。 「ミサゴ一番機、了解。これより撃墜準備に入る」  怜人のが再びRC135の左側に戻った。護はRC135から距離をとって斜め下後ろにつける。    搭載されている熱を感知して敵機を追いかける短射程のR60赤外線誘導ミサイルを護は選ぶ。わずか五キロの距離。パイロットが、いちいち計器に目を落とさず、操縦したまま必要な情報を得ることができるヘッド・アップ・ディスプレイ、HUDの照準を魚の腹のようなRC135につける。ミサイルの頭につけられたセンサー、シーカーが目標の熱を捉えたことを示すブザー音が鳴る。この短距離なら必中は間違いない。 「ミサゴ二番機より一番機へ。目標を照準」  「ミサゴ一番機、了解」  「シラカバよりミサゴ一番機へ。三〇秒後、撃墜せよ。秒読み開始」  大型機のRC135に、もう逃げ場はなくなった。同時に護と怜人にも逃げ場は無くなった。  怜人が、接触事故を引き起こしそうなほどの距離でRC135の真横につける。 「こちらは、日本民主人民共和国、防空赤衛隊。警告する。現在、貴機は日本の領空を侵犯中。三〇秒後に貴機を撃墜する」  怜人のあくまで冷静な声。  護は祈るような気持ちで目標を見つめる。  何かの間違いがあってはいけない。操縦桿のミサイル発射ボタンに手はかけない。息と心臓の音がやけに大きく聞こえた。  三秒が過ぎる。RC135は上昇をはじめた。右に四五度変針して加速、領空から出て行くコースをとる。 「ミサゴ一番機よりシラカバへ。目標は変針、現在領空から離れつつあり」 「シラカバよりミサゴへ。確認した」  RC135は、こちらの無線も傍受して分析している。最後の段階でRC135は、こちらが本気かもしれないと思ったようだった。護は大きく息をつく。コックピットの中では無理な話だが、ヘルメットを脱いで一息入れたかった。 「ミサゴ一番機より二番機。監視を続行する」 「ミサゴ二番機、了解」  そう、まだ終わったわけではなかった。護は遠ざかっていく機影を睨んだ。
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