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 冷静で隙のない見事な2連射(ダブル・タップ)早撃ち(ラピッド・ファイヤー)を目の当たりにした泉谷は相手に飛び掛かろうとする無謀を諦めた。代わりに仕事で培われた観察力を総動員して、目の前の男と自分が置かれた状況を分析しはじめた。                 *  目立たない黒いウィンドブレーカーに同色のスラックス。脇に垂らした革手袋の右手には軽く握られた軍用拳銃のトカレフ。動きやすいようにウエストバッグは背中の方へ回している上に靴には足跡防止のためのビニールのシューズカバーまで履いている。間違いなく男は汚れ仕事(ウエット・ワーク)に慣れたプロの処理屋。ただし毛織のウォッチキャップを額まで上げて人相を晒している一点を除けば。  しかし、これは歓迎されざる未来を泉谷に予想させた。 「もし」鼻の頭に刃物で切ったような裂傷痕のある処理屋の男は泉谷の考えを読んだかのように口を開いた。「私が素顔を見せているからといって、目撃者の君らを撃つと考えているなら、そんな心配はいりませんよ。ただし、何らかの動きがあれば別です」  泉谷は大理石のローテーブルを挟んだ向かいのソファで胸部と左目から血を流して事切れている総理大臣主席秘書官の中崎に視線を移した。きらびやかに飾り付けられた会員制高級ラウンジのVIPルームには、ほんの10分前まで4人の人間がいた。処理屋に射殺された中崎を除けば今は3人だ。 「あんたは中崎さんを撃った。恨みか何かはわからんが、仕事を終えたのなら、もう俺たちを解放してくれないか」と、泉谷は男を刺激しないように落ち着いた口調でゆっくりとしゃべった。 「残念ながら、まだ終わってはいないんですよ。そうですよね、アヤ子さん」  突然、声を掛けられたアヤ子は、恐怖のためか大きく目を見開いたまま返答すらできずにいた。辣腕をふるって夜の歓楽街でのし上がってきた伝説の女経営者も、隣に座っていた愛人(パトロン)があっけなく射殺された衝撃からすぐには立ち直れないのだろう。 「アヤ子さん。私を失望させないでくれますか」  それでもアヤ子が動けずにいると、男は流れるような動作で中崎の死体に銃弾を撃ち込んだ。室内の空気を震わす轟音に彼女はソファから飛び退いた。そして倒れそうになりながら、ドアを開け放したままフロアの端にあるバーカウンターの方へ進んでいった。 「私の目が行き届かない所はありませんから、余計なことはなさらないことです」男は背中越しにアヤ子に脅しをかけた。「そうだ。紅茶を一杯いただけますか、アールグレイで。好物なんですよ。これだけ立派なラウンジですから、ありますよね」
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