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第十三話 必ず還るため
目の前で黄龍会の男が事切れたのを確認し、ノアはそれを静かに、グスタボの死体の隣へ埋めた。『敵は静かに、一撃で仕留めなさい』——自分に戦闘を教えた師の言葉が頭に流れる。今もまた、その通り実践した。
去り際にもう一度グスタボのことを思い出し、埋めた後を一瞥する。彼の内通に気付けなかった自分への悔しさは消えない。彼はもう四年もファミリーにおり、ノアが管轄する部門で働いてきた。変わった素振りはなかったように思う。最初から内通していたのではなく、何処かで心移りしたのだろう。
ノアは自分を、目的を遂行するためのプロフェッショナル集団の一員だと自負している。この仕事では敵対勢力との抗争もあるし、暗殺者に狙われることもある。仕事に失敗して返り討ちにされることもある。それ故、場合によっては死ぬことも仕事のうちと覚悟の上だし、構成員達にもそう求めてきた。
——カルロス、モハメド、李秋(リーシュウ)、ティム、ソンミン……。
この度の作戦に参加した者の名前を、心の中で呟く。皆、今はこの世にいないであろう者達だ。
これまでに失った部下は数知れないが、それでも彼らに思いを馳せずにはいられない。忘れないことが、自分のために、あるいは自分の作戦の末に死んでいった彼らへの、せめてもの敬意だと思っている。
死ぬことも仕事のうちというのは、自身にも当てはまる。組織のアンダーボスという重要な地位に就いているものの、替えが効かないわけではない。ノアが死ねば弟分のヤコフが替わりを務められるし、ヤコフが死んでも次の幹部を育成すればいい。替わりがいないのは、組織のヘッドだけだ。
だから死は恐れていない。組織を守るために自分の命が必要な状況となれば、喜んで差し出すだろう。ノアから見れば、最後まで生への執着を捨てないクリスは対極の存在で、滑稽でもあった。どんなに無様になっても生きようと必死で手足を動かす様は、どこか憎めない。それが生き物の本来あるべき姿だからだろう。
男の死体を埋めたノアは、クリスが向かったのとは反対方向に足を向けた。
まずは一人片付いた。残るは船に残った二人と、クリスと共に行った二人の合計四人。次に狙うのは船に残った二人だ。上手く行けば船を奪ってそのまま脱出できる——彼女が囮になっている間に。
カモフラージュを被って木々のざわめきに紛れながら移動する。クリスが作った物だが、なかなか役に立っている。
やがて浜辺とその沖に浮かぶ船が見えた。すぐには近づかず、相手側から発見されないぎりぎりの距離で様子を伺う。
船は座礁を避け、岸から百メートルほど離れて停泊中だ。外観は一見、十人乗り程度の小型漁船に見える。船に残った二人がそれぞれ船首と船尾で見張りに立っている。
手持ちの武器で狙えるだろうか——と考える。自動拳銃で狙える距離ではないし、大風から調達したカラシニコフにはスコープが付いていない。狙撃用ライフルがあればよかったのだが
狙うなら一発で確実に一人ずつ仕留める必要がある。外した場合は沖へ逃げられ、他の仲間にも知られてしまうだろう。——それは避けたい。船を奪うには乗組員を陸へ誘き出すか、桟橋などへ船を着けさせる必要がある。
暫し思考に耽ったのち、ノアは再び木々の間へ姿を消した。
船上では、残ったニコライとヤリックがやきもきしながら待機していた。やや風が強く、小さな船が上下に揺れている。
「三十分は経ったか? 黒蛇を連れて来るだけだろうが」
ニコライは縁に寄りかかって浜辺を睨んでいる。
「大丈夫っすよ。仮に大丈夫じゃなくても、ノアを殺ったなら五分五分でしょ」
若いヤリックはそう言うが、ここで黒蛇を失うのは大きな痛手かもしれない。
「ニコライさん、怪我は大丈夫すか?」
「痛えが動ける。あぁ俺も付いて行けばよかったぜ」
ニコライは五日前の戦闘で弾を喰らった脇腹を抑えた。
「この間はルーベンノを三人殺って、そんで黒蛇達がカルロスとノアを始末したって、上出来じゃねえの。にしてもこの間は呆気なかったっすね。奴らあんなに弱いのかよ。この調子でぶっ潰せそうですね」
「奇襲が成功したのはグスタボの情報提供のおかげだがな。ま、お前の舵捌きも中々だったぜ」
「へへっ。地中海を制覇したら俺が海の王になってやるぜ」
五日前の戦闘では、黄龍会の一行は漁師の振りをして怪しまれることなく接近できた。その時ルーベンノファミリーは大海原の上で停泊し、襲われるなど予想もしなかったらしく呑気に釣りなどしていた。
黄龍会は船上の三人に自動小銃を乱射しながら近付き、船ごと体当たりした。ルーベンノファミリーの小さなボートは木の葉のように呆気なく逆さまになり、沈んでいった。
黒蛇の仲間になってから、ルーベンノのNO.2に手が届くまであっという間だった。とうとうファミリーのボスの喉元まで来ている。ルーベンノファミリーの勢力に押され風前の灯となっていた日々が嘘のようだ。
遠くに一瞬、キラリと何かが光った気がした。木に遮られた奥だ。誰かが戻ってきたのだろうかと目を凝らす。
誰かの装備が反射しているのだろうか——いや、もっと鮮明な光だった。
再び白い光が見えた。ニコライは双眼鏡を覗いたが、あまりに小さく光の発信源が何かまでは見えなかった。
「ありゃ大風のライトです」
ヤリックが言う。慎重な大風は、使うかどうかも分からない道具をあれこれ持ち歩いていた。
今度は光が一定周期で点滅している。照明のモードが点滅になっているのだろう。
「何かの合図か?」
「かもな。単に落としただけかもしれないが俺の勘では、あそこで何か起きてる」
「どうします?」
「居ても立ってもいられねえ。お前は外周しながら大風達を探してくれ」
「分かった」
ニコライはその場で船から飛び降り、浅瀬を歩いて岸辺へ向かった。
ノアは、クリス達が辿ったであろうルートを追っていた。地面は硬く乾いた土のため足跡は残っていないが、打ち合わせ通りならこの道だ。
四方に張り巡らせた気が近付いてくる気配を察した。風の音に混じって足音が聞こえた。
一度足を止め、茂みの中に隠れて気配を探る。しばらく待っていると、今来た方向の森の中から男の姿が現れた。トカレフを構え周囲を窺いながら歩いているのは、船で待機していたメンバーの一人だ。
大風の懐中電灯を使って仕掛けた誘いに、上手く乗ってきたようだ。
茂みの中から物音がして、巨漢の男——ニコライは素早くその方向へ銃を向けた。その背中を、ノアが音も無く襲う。大風の時と同じように左手でニコライの口を塞ぎ、右手でダガーナイフを振りかざした。
しかし、それが届く前にニコライは力づくで手を振り払い、ナイフを振りかざした腕を防いだ。隙をついたつもりだったが、まるで背後から襲って来るのが分かっていたような反応速度だった。
とっさにノアはナイフを手放し、狙いを彼が手にしているトカレフに変えた。銃身を掴んで捻り、銃を奪って遠くに投げ捨てた。発砲されて他の敵に気付かれるリスクを消すためだ。
ニコライは刃渡り十五センチほどの大きなサバイバルナイフを抜き、振り向いた。
「あからさまな罠を仕掛けてくれたな。期待通り来てやったぜ」
彼は改めてノアの顔を見て、嬉しそうにニヤリと笑った。
「生きてたとはな。ずっと目障りなお前を潰したいと思ってたんだ。この手で叶えられるなんてな」
ノアはその男に見覚えはない。しかし、アジャル語を話すところを見ると、黄龍会に吸収されたアジャルクシャンの小規模組織の人間なのだろう。
しばらく睨み合った後、両者が同時に動いた。ノアは素手でニコライに拳を入れる——と見せかけ、地面に落ちているナイフを拾う。ニコライがナイフを刺し出すのをギリギリのところで避けたが、庇った腕に小さく切れ込みができた。
再び立ち直り、間合いを取りながら互いに三手ほど繰り出した。ニコライのスピードはさして速くない。ノアは懐が一瞬開いたのを見逃さず、素早く踏み込んだ。下から喉元を狙う。ニコライが防御するが間に合わない。ナイフが喉に刺さる。
しかしまだ終わらなかった。ニコライは深く突き刺さる前にノアの腕を掴み、ナイフを引き抜いた。刺し傷に全く怯まず、逆にチャンスとばかり懐へ入り込んだノアを両腕で抱え締め上げる。太い腕は見掛け倒しではなかったようで、腕力だけならニコライが上回っていた。
ノアは締め上げられながらも、彼の右腕を掴んでナイフを刺されまいと防ぐ。負傷してると思われるニコライの左脇腹に蹴りを入れると、彼は唸り声を上げてノアを頭から地面に叩き付けた。
頭は庇ったが、今度はニコライがその巨体を武器に馬乗りになった。
「ルーベンノを殺るために黄龍会に入って正解だったぜ。その顔を見るのは最初で最後だが、覚えておいてやるよ」
ニコライは勝利を確信し、組み伏せた男の心臓を目掛けてナイフを振り下ろした。ノアはその腕を捻り返し、彼の体重を利用して逆にニコライの心臓へナイフを突き立てた。
動きを止めた彼はゴボゴボと血を吐き、やがて全身の力を失って重力に身を委ねた。
ノアは深呼吸すると、その巨体を自分の上からどかし這い出した。ようやく二人目だ。
再び浜辺に戻ると、待機していたはずの船は影も形もなかった。異変に気付いて他の仲間を迎えに行ったのか。目を凝らすと、船が通ったことで生じる白波が、僅かに水面に残っているのが見えた。どうやら島の東側を回って行ったようだ。
目的はあくまで船だが、上陸した三人を逃げられる前に倒した方が良さそうだ。クリスが向かったはずの洞窟へ足早で向かう。
彼女にはなるべく遠回りするよう伝えてあり、打ち合わせでは高台の南から北東へ大きく迂回することになっている。よって迂回せずに最短ルートを行けば、数十分で先回りすることができるはずだ。
今頃すでに着いているだろうか。洞窟へ辿り着き、万が一嘘が分かればクリスの命はないだろう。囮にすることで、彼女の命をかなり高い確率で危険に晒すことは最初から承知していた。以前、自分自身が彼女の暗殺を試みたことがあるとは言え、ターゲットではない今、彼女は民間人の一人だ。組織の掟に倣えば、彼女に危害が及ぶことは避けなくてはならない。しかし今回は、思い付く限りこれが最善の策だった。
死は恐れていないが、組織のためにも死んだ部下達のためにも、ここでは死ねない。特に今回は、組織の喉元にまで他組織の刃を入れることを許してしまった自身のミスで部下を死なせている。
グスタボが内通していたことは、まだ本部の誰も知れない。そして推測だが、本部には他にも内通者がいる。——黒蛇暗殺を妨害し、ノアを亡き者にしようとした協力者が。
ここで自分まで死ねばその情報は闇に葬られ、組織に壊滅的な打撃を与えかねない。だから、なんとしても生還してこのことを伝えなくてはならないのだ。
例え彼女を利用したとしても。
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