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第六話 心優しく誠実な部下
秀英のトーンの変化にただならぬ異変を感じ、焦って振り向く。しかし瞬きする間もなく、目と鼻の先に彼がいた。ジーンズのポケットに差し込んでいたP220を奪われたと気付いたのも同時だった。
「貴方亡きあと、BEC社のことは僕に任せてください」
彼は悪戯っぽく笑うと、重心を下に強く踏み込みと同時にクリスの胸に向かって拳を突き出した。クリスは咄嗟に胸の前で両手を交差させる。それでも押し出されるように、後ろへ吹っ飛んだ。
尻餅をついたクリスに向かって、秀英が奪った銃を向ける。
「秀英?!」
「おっと、空か」
そう、カルロスの拳銃はすでに弾を撃ち尽くしていた。——何かの冗談に違いない。立ち上がって後退りながら、そう願った。
秀英は歩み寄りながら、もう一つの拳銃を取り出した。
「貴方を始末しなきゃならないのは残念ですが、証人を消す必要がありまして。ノアを殺すまで生きていてもらおうとも思ったが、万が一奴の側に付かれても厄介だ。今は餌になってもらいます」
引き金が引かれた。足元の草を貫き、赤い土埃が舞う。すかさず木の影に隠れる。——本当に撃った! 冗談ではないようだ。
「きっと何か誤解してる! 話してくれ、話し合おう!」
「見たままに受け取ってもらって結構ですよ」
彼の言葉が理解できない——いや、理解したくなかった。耳に届く言葉を信じたくない。信頼している相手に裏切られるのは、マフィアに襲われることよりも辛いものだ。
受け止められるはずがない。常に思いやり、守ろうとしてくれたあの態度は何だったのだ。今までの日々は、ヘリで言ってくれたあの言葉は——。
草を踏む音が近づくのが聞こえる。クリスは木の影から彼の顔を覗き見た。その顔は平静そのもので、銃口を向ける目には何の迷いも浮かんでいなかった。そこに、グスタボやノアと同じ類のものを見た。自分が住む世界とは全く別次元に存在する、人を殺すのに何の躊躇いもなく、ただ明確な意図と殺意だけを持って実行に及ぶ、そんな捕食者の姿を。
クリスはグスタボから奪った拳銃MP-443をベストの右側から抜き、木の幹から半身を出して発砲した。威嚇のつもりだった。
「あれ、もう一丁あったのか? ……そうか、グスタボのか」
秀英は首を傾げたが、それでも怯む様子はなく、足を止めない。
クリスは背を向け、走り出した。銃弾を避けるため木の間をジグザクに縫うように。背中越しに銃声を聞き、弾が首筋を掠める風を感じながら。
振り向き様に何発か発砲した。
「でも、当たりませんよ。走りながら命中させるのは難しいんです」
クリスは一心不乱に走った。額から大量の汗が吹き出し、呼吸をするのも忘れていた。
「……っ!」
草薮で見えなかった木の根に足を取られた。走っていた勢いで体が宙に浮き、うつ伏せに地面へ叩きつけられた。拳銃が手を離れ、地面を転がる。背後からは足音がすぐ側に迫っていた。
秀英は余裕の笑みを浮かべてゆっくりと歩いた。彼もまた、ルーベンノファミリーの仲間だったのだろうか。しかしそれでは、彼がノアを狙った理由の説明がつかない。
「もう逃げないんですか?」
まるで獲物を追い立てるのを楽しむかのように、すぐには引き金を引かない。クリスが逃げるのを待っているようだ。
「秀英、お前……誰なんだ?」
「貴方の部下の劉秀英ですよ、クリスさん」
知らない。目の前の男は自分が知ってる、心優しく誠実な秀英なんかじゃない。クリスは震える声で彼に語りかけた。
「いつだったか政府筋で発電所設置の商談が舞い込んだとき、私は反対した。軍部が発電所の稼働を操作できる隠しプログラムを仕込むことが条件だったからだ。でも皆は、こんな大きなチャンスを断るなんてどうかしてるって、賛同しなかった。でもお前は私の味方になってくれた。お前の説得で役員達も納得して、商談は無くなった。……あのときの言葉、覚えてるか……?」
「『Make it a better place(より良い世界にしよう)』でしょ? 僕達の最終目標は利益を上げることじゃなく、世のため人のためになることなんだから、それを叶えられない仕事を受ける理由はないとね。貴方の作った社訓、僕もよく口にしていましたね」
その通りだ。それこそが、自分が知る秀英の姿だ。思い出してくれたことに、僅かな期待が湧き上がる。
「……でも社員達が貴方のいない場所でなんて言ってるか知ってますか? 綺麗事じゃ仕事は回らないって。貴方はトップの器じゃないって。自分でも気付いてるでしょ? 一人で理想郷を信じて頑張っちゃって」
彼の表情は銃口をこちらに向けたまま、少しも揺らがない。
「でも、結構楽しかったですよ。個人的には貴方のこと嫌いじゃなかったんですけどね。囮にならないならもういいです」
秀英が引き金に指をかけた。やはり彼は本気だ。
——死にたくない!
心がその一心で満たされる。地面を這い、手からこぼれた銃を拾いに行こうとしたが、間に合わないのは明白だった。それでも、最後の一欠片まで生きることを諦めたくない。
ダンダンダン、と発砲音が大地を轟かせる。クリスは体を震わせ硬直したが、恐怖を振り払った。痛みはない。手を伸ばして拳銃を掴み、振り返った。
しかし、そこで目にしたのは予想もしない光景だった。秀英の体を、複数の銃弾が貫いていたのだ。一瞬時が止まった。
動きを止めた秀英は、ゆっくりと視線を右に移す。銃弾が飛んできた方向だ。そちらに向かって数歩足を運んだが、力尽きたように膝をつき、地面へ崩れ落ちた。
クリスは思わず自分の体を確認した。撃たれていない。無傷だ。
再び顔を上げたとき、金髪の男が悠然と茂みから出てくるのが見えた。男はクリスの方を見ることもなく、倒れた秀英の横へ歩み寄る。
「やめろーー!」
思わず絶叫する。
彼もまた表情を変えず、頭部へ向けて留めの一発を放った。弾ける音と共に、秀英の頭が小さく跳ねた。
その体から溢れた鮮やかな血が坂を伝い、自分の方へ流れてくる。
ノア……!
言い知れぬ悲しみと怒りが心を渦巻き、爆発しそうだ。
秀英の頭部を撃ち抜いたノアは、今度はクリスの方を向いた。ショックを受けていたクリスは直ぐに気持ちを切り替える。たった今目撃したのは、捕食者が更に大きな捕食者に喰われる瞬間だ。そして、次の獲物は自分。
悟った瞬間、クリスは構えた銃の引き金を引いた——が、トリガーが動かない。弾切れだ。
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