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いつも通りの会社帰り。最寄駅に向かう途中で、佐枝子は人混みの中に見知った後ろ姿を見つけた。背が高いので頭ひとつ分抜き出ているのと、姿勢の良い背中ですぐに分かった。
「桐島さん!」
実はそんなに親しい訳ではない。部署が同じだから言葉を交わすことはあるけれど、無口でちょっと冷たい印象のある桐島はどちらかというと近寄り難いタイプの人だ。
「偶然ですね。桐島さんも電車ですか?」
いつもなら見かけてもきっと声を掛けたりしないのだけど、佐枝子は桐島に駆け寄ってにこりと笑った。
「いえ」
急に声を掛けられて驚いたのか、立ち止まった桐島が人の流れを止める。迷惑そうに追い越してゆく人たちを少し気にしながら桐島は言葉を継いだ。
「そういう訳ではないのですが。最近、駅向こうの料理屋さんにハマっていまして」
桐島は佐枝子より確か五つほど年上だけれど、誰に対しても丁寧な言葉を使う。あまり喋る人ではないがこちらから話し掛ければちゃんと応えてくれるし、分からないことを訊けば丁寧に教えてくれる。だけど必要最低限の言葉しか返ってこないので、ちょっと距離感を縮め難いのだ。
「そうなんですか。私、電車なんです。駅までご一緒してもいいですか?」
見上げる佐枝子を少し困ったように見下ろして、それから二人を避けて流れてゆく人波を申し訳無さげに目で追って、桐島は頷いた。
「まあ、同じ方向ですし」
「ありがとうございます!」
佐枝子が歩きだすと桐島もそれに並んだ。
「中野さんは」
「はい?」
何か言いかけた桐島が、いいえ、と首を振る。それっきり黙ったまま歩く桐島に佐枝子は当たり障りのない話題を振った。
話しながらちらりと後ろを振り返る。
「どうかされましたか?」
そんな様子を見て桐島が問うてくる。佐枝子は慌てて手を振った。
「いいえ、何でもないです」
そう言えば最初にも桐島は何か言いかけた。何か変なことをしてしまっただろうか? けれど佐枝子に思い当たる節は無い。
まあいいか。
佐枝子は本来大雑把なたちだ。考えて分からないことは考えない。
「人が多いなあ、と思って」
ふにゃりと笑うと桐島は呆れたように肩を竦める。
「いつもと大して変わりませんが」
「まあそうですよね。あはは」
一瞬怪訝な顔をしたものの、桐島はまた前を向いて歩きだした。それを見て佐枝子はこっそりと息をつく。
桐島は、話し掛ければそれなりに反応を返してくれるが、自分から働きかけるということはしない。だからちょうどよかった。
もう一度ちらりと後ろを振り返ってから、佐枝子は桐島の背中を追って歩を速めた。
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