【紀友則】

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女は俺のそんな怯えにも似た感情を見透かしたのか、その微笑みを絶やさす事無く言葉を続ける。 そんな悪趣味な面もまたあるのだ、この女は。  『呪い』の本質ってね、人の思考、そして言動、  それらを無意識のうちに  束縛してしまうことにあるの。  相手が束縛されているとは  一切感じることも無いままに。  人に無意識の思い込みを抱かせ、  それが人に前向きな考えを与え、  そして人を良き方向に向かわせ、  結果、幸せへと導くのなら、  それは決して『呪い』などとは  言わないのかもしれない。  でもね、無意識のうちに抱かせた思い込み、  或いは心理的な束縛が、  その相手を緩やかに不幸へと誘うのならば、  それは最早、『呪い』なのよ。 女は依然として虚ろな微笑みを浮かべたままだ。 その微笑みは乾いた諦念もまた感じさせるようであり。 正直に言うと、少し怖い。 俺の動揺を知って知らずか、女は言葉を続ける。  桜ってね、日本人に掛けられた  『呪い』の一種なのよ。  平安の古から日本人に掛けられた『呪い』  勿論、桜そのものが人を不幸へと誘う訳じゃない。  桜の花そのものは美しいと言うより他に無いわ。  現にこの刹那だって、  私は桜の美しさに見惚れている。  画像もたくさん撮ったから、  後でSNSに載せる積もりよ。  貴方もあとで「いいね」やRTをして頂戴。  でもね、  この日本における桜を取り巻く諸々の事柄、  それは最早『呪い』と言ってもいいレベルよ。 一呼吸置いてから女は続ける。 俺は大人しく拝聴する。    ここ最近のニュース、  それは桜の開花情報で賑わっている。  SNSの中、そこには数多の桜の画像が  溢れているわ。  桜を題名とした歌、それは例年、  飽きもせずに幾つもリリースされる。  そして、日本全国津々浦々に桜の名所なるものは  遍く存在している。  それは川沿いの堤防だったり、公園だったり、  或いは古刹だったり。  この国を悉く桜で埋め尽くす、  その昏き情熱には最早畏れすら感じるわ。  桜が咲くその様子、  それは日本人の思考様式すら  支配していると言っても過言ではないのよ。  冬の寒さを耐え忍び、春が始まるその刹那、  一斉に花を開かせ、  そして一夜の内に潔く散る。  その有様は、最早、日本人の死生観にすら  昇華してしまっているのよ。  それぞれの花弁は儚さと  控えめな美しさを併せ持ち、  黒々としたその幹は花弁の白さと可憐さとを  劇的なまでに際立たせる。  その有様は、最早、日本人の美意識の  根幹すら為しているのよ。  黙々と苦難を耐え忍び、  儚く可憐な花を力の限りに咲き誇らせ、  そして恋々と梢に留まり色褪せていくような  無様を晒すこと無く一夜の内に散り果てる。  それってある意味日本人にとって、  理想の死生観とすら思えてしまうの。  ひとつの民族の死生観、  ひとつの民族の美意識、  それらをひとつの花が体現する。  それって最早、異常よ。 そう述べた女の顔からは、貼り付けていたかのような微笑みが消え失せていく。 まぁあれだ。『呪い』の下り、それは言うなれば前置きだったのだろう。 微笑みが消え失せた女の表情、それはどこか悲しげにも見えた。
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