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コポコポというコーヒーメーカーの音と共に、香ばしいマンデリンの香りが漂ってくる。
ペタペタというスリッパの音と共に、それは近づいてくる。
三秒後、初の声が「おはよう」と言うのだ。
そろそろ桜が咲くよ。あなたの桜もそろそろなのかな。今年も咲くのかな。
ずっとずっと変わらずに、ぽつぽつと咲いて、咲いて、咲いて、一気に散る。
始まりも終わりも美しく、あなたの桜もあなたのようだ。
「おはよう」
声とともに、初がマグカップをテーブルに置いた。心地良い香りに鼻腔をくすぐられて、苦味の強い味をほんのりと思い出す。
『オハヨウ』
無機質に応える。
「重版決まったって、白木から連絡あった。おめでとう」
そう言った初が、背凭れを調整している。
「今日、その件で会ってくるから、帰るの遅くなるから。大丈夫?」
マグカップを手に持ち、唇に近づけてから吹いている。ここまでの間に冷めたくらいでは、まだ飲めない猫舌さん。
『ありがとう。ゲツヨダカラ』
「里見さん、午後からだ」
『ウン』
初はマグカップを置いて、諸々の準備にかかる。毎朝のことだ。
「大丈夫?」
『ウン』
また座って多分かなり冷めたコーヒーを飲みながら、一緒に持ってきた新聞を読みだした。
レースのカーテン越しに入ってくる陽が暖かい。
初のシャツも薄手になっている。
「今年は行こうか、椿の桜」
マグカップを置いて、クッションをポンポンと凹ませながら彼が言った。
やはりもう咲いてるんだね。
そうだね、二人で行くのも厳しくなるんだろう。
「大丈夫?」
クッションを置いた初は、確認しなくてもわかっている。でも確認してくれるのは彼の優しさだと思う。
『ウン』
「じゃあ、そろそろ行くわ。無理しないで」
『イツテラツシヤイ』
「いってきます」
いつものように、ポンと頭に手を置いてくれたあと、ペタペタとスリッパの音をたてながら、初は部屋を出て行った。
重版、ありがたい。
椿、ありがとう。
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