残照のモラトリアム

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残照のモラトリアム

――いくじなし。  教室を出た足で、ケイトは校舎の裏手にある大聖堂の方へ向かった。 ――いくじなしめ…!  自分の問いに答えず逃げ帰ったクラスメイトの姿が脳裏に焼きついている。その背中に浴びせたかった罵声を飲み込み、ぎりと奥歯を噛みしめた。  大聖堂は、中庭を貫く大回廊で校舎と結ばれている。両側に等間隔に並ぶ支柱の向こう側に広がるのは、春夏秋冬をコンセプトに四つの区画に仕切られた中庭だ。左手に春と秋、右手に夏と冬。4月の上旬の今、春の庭だけが目を醒まし息づいている。  またダメだった。  せっかく『異分子』を排除する機会を与えようとしたというのに。  なぜ拒絶する? 恐ろしいなら、忌み嫌うなら、二度と立ち上がれないように打ち砕いてぼろぼろにしてしまえばいい。いっそのこと――息の根を止めてしまえばいいのに。そうして欲しいのにみんな目を逸らす。いつも願いは叶わない。  春の庭では、満開になったばかりの桜が慎ましく咲いている。柔らかな曲線を描きながら大回廊に舞い込む花びらは、儚い春の雪のようだ。 ――わかってるのに、期待をするなんてばかだな。  薄紅の散った大理石の床を、エナメル製のオックスフォードシューズで踏みしめる。  夕暮れ時の大回廊は、終業の祈りを捧げに向かう生徒たちで混み合っていた。人波を縫いながら、巨大な7つの鐘が連なるアーチ天井の下を、ケイトは俯いて黙々と進む。 「なあ、週末の舞踏剣術バイレの親善試合見に行く?」 「もちろん。フランス本部直属の特殊部隊『神誓騎士団イーオン・アルブ』のメンバーが対戦相手として来るんだろ。しかもミカエルの聖痕者、ルトヴィック・サフィラス・ミシェーレがいるっているらしいじゃん」 「あの噂の天才騎士だろ? そんなすごいの、誰が相手すんの」 「もちろん彩薙司令だよ。同じ七大天使の転生者だし。しかも向こうからオファーがあったって。絶対見逃せないよな」  前を行く男子生徒たちの群れを追い越し、開放された大聖堂の入口の手前でそっと人波をはずれる。そのまま、ケイトは大聖堂の外周をぐるりと一周取り巻く側廊へ入った。 ――兄さん……試合に出るんだ。  先ほどの少年たちの会話が、耳に残る。  舞踏剣術バイレは、騎士たちによるトーナメント形式の剣術試合のことだ。真剣そっくりの疑似剣を使用し、1対1の決闘スタイルで行う。  中世ヨーロッパの貴族社会で「優雅さ」を競う遊戯として嗜まれていたことから、その名がついた。毎年開かれる大会シリーズでは、各国から選出された代表が技を競い合う。  もともと騎士たちの訓練および各支部の親善交流の一環だったらしいが、今では世界的な人気を誇るスポーツで、選手の熱狂的なファンも多い。  闇に蝕まれつつある不安定な世界で、人々を守る祓魔騎士シンクワィアは憧憬の的であり希望の光だ。そんな英雄たちが見せる華麗なショーは民衆にとってなくてはならない娯楽であり、騎士たちにとっても、大会で入賞することがステイタスの一つだった。 ――兄さんと、最後に話したのはいつだっけ……。  ぼんやりと考えながら、側廊から裏庭への階段を下りた。壊れた鉄柵を抜け、その先に広がる林の中をしばらく歩くと、枯れ蔦に覆われたドーム型の廃屋に辿り着く。  林冠の隙間からほどよく光が差し込むその場所は、林の中でも明るく暖かい。朽ちたドームは、もとは温室として使われていたものだ。土埃だらけだが壁も屋根もすべてガラス張りになっている。  誰も来ないこの温室はケイトの秘密の隠れ処だ。心を落ち着かせたい時、放課後ここへ来て植物の世話をしたり昼寝をしたりして一人で過ごす。唯一の安息の場所。 「よっ、おつかれー」  蔦の絡まる錆びたガラス扉を開けて、ケイトは固まった。  ひだまりと土の匂いに包まれた室内は、温室というよりも物置小屋という雰囲気だ。花壇も鉢植えもとうに枯れ果て、奥には乱雑に木箱やホウキなどが積まれている。  最初にケイトがここを見つけた時はもっと荒れ放題だった。それを毎日コツコツと片付け、隅に追いやられていたガーデンテーブルやベンチを引っ張り出し、ちょっとしたスペースを作った。その自分だけがゆったりのんびりするために作ったはずのベンチで、先客がくつろいでいる。
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