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十の宝〜天の巻
「記憶を……改変!?」
思わず声を上げる柚羽の方を向き、仄は小さく頷いた。
「改変と言っても、さすがに記憶そのものを変えてしまう事はできない。記憶を付け足すと言った方が正解かしら。柚羽さんの場合は元々嵯峨家筆法の家柄で、代々家宝として伝わる筆が存在していた。だからそれが神器であるという記憶を新たに加えたの。そのため嵯峨家の後継ぎであるあなたは、筆が生玉という神器であり、自分がその継承者であると信じたわけ」
淡々と語る仄の言葉に、柚羽の目が次第に大きくなった。
「では代々伝わってきたあの【口承】も……?」
柚羽の脳裏に口承の文言が浮かび上がる。
『八握剣目覚めし時共に道を歩まん。されば深き眠りに誘うべし』
「そ。私が加えておいたの。あなたが時空と出逢った時は、剣をこの世から消滅させる手助けをしなさい、という意味をこめてね」
そう言う事だったのか……
柚羽は筆を取り出すと、感慨深そうな眼差しで見つめた。
「あなたの神器は生き物だったので、少しでも情が湧くようにと思って、子供の頃に拾った記憶を加えたの」
そう言って、仄は凛の方へと振り向いた。
「おかげで、今じゃあなたのベストパートナーでしょ」
片目を瞑って微笑みかけられ、凛は赤くなりながら膝上で眠るミュウの背中を撫でた。
「ただし改変できるといっても、対象者は純粋で清浄な心を持った者だけ。邪な心には効かないの。だから悪人を意図的に改心させるなんてのは無理な話。便利な力だけに制約が多いのよ」
仄が両手を下げると、胸元の明かりも消失した。
辺津鏡──
使い方次第では恐ろしい神器にもなり得るものだ……
「以上が私がこの時代に転生してきた理由と目的の全てよ。ただ転生には成功したけど、肝心の饒速日命の所在までは分からなかった……私が後を追って来た事を知れば、奴は完全に身を隠してしまうでしょう。そうなれば一切手掛かりを失なってしまう。だから素性を隠したの。私にできる事は、早く時空が八握剣を支配できるよう誘導する事と、神器を持つ仲間により護衛させる事だった」
ぐるりと見回しながら語る仄に対し、もはや敵意の視線を返す者はいなかった。
「最初に出逢った日に、屋上で俺を挑発したのはそのためだったのか」
時空の問いに静かに頷く仄。
「饒速日命が神鏡を人間界のどこかに隠した事は分かっていた。でもそれがどこかまでは分からなかった。神武天皇の転生人であるあなたなら、必ず八握剣と繋がりを持つに違いないと考えていた」
仄のその言葉に、神器を手にする以前に見た夢の映像が蘇る。
八握剣の神宝図に導かれ、朱色の鳥居を潜って進もうとする自分の姿……
あの夢があったから、自分は剣と邂逅できたのだ。
「そしてあなたは予想通り八握剣を手に入れたわ……ねえ時空、結局あれはどこにあったの?」
時空は尊とともに八刀神神社で八握剣を発見した経緯を話した。
「それについてなんだけど……」
尊が思い出したように、八刀神神社の社務日誌について尋ねた。
あそこに記された内容は、一体どういう意味なのか。
この元女神様なら知っているかもしれない。
だが仄はすぐには答えず、暫し考えこんだ。
「私も推測でしか答えられないけど……」
やがて重々しい声色で話し始める。
「……さっき話したように、饒速日命の謀略により数多くの人命が八握剣で奪われた。それにより剣には数えきれないほどの憎悪と怨念が蓄積したわ……もしかしたら、饒速日命はその負の念を維持しようとしたのかもしれないわね。当時の村人が【供儀】となったのは、恐らくその念を絶やさないために犠牲となった。神鏡を八刀神神社の祭神とすることで、村人に命の奉納を義務付けたの……」
「そんな……ひどい!」
横で聞いていた鈴が思わず絶句する。
「一体何のために、そんな事を……」
「そこまでは分からない……ただ、饒速日命が八握剣を手に入れて行おうとしている事と関係あるのは確かね」
声を震わせる鈴に言い聞かせるような口調だった。
「人の怨念の蓄積した剣……」
時空の表情がさらに険しくなる。
饒速日命──
天照大神である仄から告げられた真の敵。
これまで幾度も時空を襲い、仲間たちを危険に晒した張本人だ。
奴は八握剣を使って一体何をしようとしているのか。
人間を忌み嫌い、自らの野望のためなら平気で人の命を犠牲にする悪魔のような神──
日本という国で生まれ、古代神に対し畏敬の念を抱いて育った時空には、少なからずショッキングな話であった。
「でも先ほどの闘いで、あなたの正体は知られてしまったんじゃありません?あの赤角の口振りはそんな風にとれました」
柚羽が心配そうに眉を顰める。
「ええ、恐らくね……そして私が皆に神器を与えた事もね……まあ仕方ないわ。あの窮地では、もはや助けに出て行くしかなかったから」
そう言って仄は肩を竦めた。
悲壮感は無かったが、どことなく悔しさは滲み出ていた。
「事情は分かった」
腕組みをしながら黙考していた時空が顔を上げる。
「今はお前のいう事を信じるよ、仄……元々神器を手にした時点で、普通の生活など無くなったも同じだ。今さら敵が神様だと聞かされても驚くに値しない。相手が誰であろうと、人の命を平気で奪う奴は許してはおけない。だから……」
そこで一呼吸おくと、時空は皆の顔を見回した。
「俺は最後まで闘うよ」
少女の瞳には溢れんばかりの闘気が漲っている。
その言葉に、その場の全員が大きく頷いた。
「そうね、アナタ言い出したら聞かないもんね」(尊)
「どこまでも、お供いたします」(柚羽)
「ワタシが……守ります」(凛)
「一心同体っすよ、先輩!」(晶)
「私に出来る事は何でもします」(鈴)
個々の放つ言葉に、時空はその都度頷き返した。
最後に、霊那の体を支えながら聞いていた幽巳に目を向ける。
「時空、あなたは私たち姉妹の命の恩人。何を頼まれても断ったりはしない。私たちを好きなように使ってくれていい……ついてくわ」
幽巳はそう言って微笑んだ。
妹から経緯を聞かされている霊那も、瞳を輝かせて頷く。
「みんな……ありがとう」
時空はペコリと頭を下げると、すぐに顔をあげ照れ臭そうに頭を掻いた。
その仕草に皆の頬が緩む。
「それでこれからどうするの?あなたはまだ、八握剣の支配者にはなっていない。そして饒速日命がどんな手を使ってくるかも分からない。打つ手無しよ」
尊が腕組みをしながら、時空の顔を眺めた。
確かにその通りだ……
今の俺はまだ剣を破壊する事はできない。
破壊できない以上、異形たちの襲撃が続くのは必須だ。
おまけに、仄が天照大神だと言う事も知られてしまっている。
恐らく奴も、なりふり構ってはいられない筈だ。
今までにないほど熾烈で、思い切った手を打ってくるに違いない。
それは何だ!?
一体何を仕掛けてくる気だ?
バシャーン!
その時突然、窓ガラスが割れる音がした。
慌てて振り向く皆の頭上を何かが走った。
打ちつける音の方に目を向けると、壁に何かが刺さっていた。
それは一本の矢だった。
「……ほのか!」
時空が叫ぶ。
見ると、首を逸らした仄の頬に血が滲んでいた。
矢が狙ったのは彼女のようだ。
「大丈夫っ?」
心配そうな尊の問いには答えず、仄は無言で壁の矢を引き抜いた。
そこには何やら文字の書かれた赤い布片が貼り付いていた。
それに素早く目を通すと、仄はこれまでにない真剣な眼差しで全員の顔を眺めた。
「場所と時間が書いてある」
そう言って仄は布片を時空に渡した。
そこには『明日 廃工場』とだけ記されていた。
「私たちを誘っているみたいね」
仄の言葉に皆も布片を覗き込む。
「これはどう見ても罠ですわ!」
柚羽が叫ぶ。
「そうすよ。こんなの危なすぎるっす!」
晶の言葉に、全員が同意の表情を浮かべる。
「……どうやら、向こうも腹を決めたようね。古の世では、赤い布には雌雄を決するという意味があるの。つまりこれは、最終決戦への挑戦状というわけ」
そう言って、仄は時空の顔を顧みた。
「どうする、時空?」
時空も仄の顔を真正面から見据える。
「行くとも」
力強く答えるその瞳には、蒼き炎が燃え盛っていた。
「決着をつけてやる!」
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