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満開の桜の花びらが風に舞い、地面が白くなっているのを見ると、幼い頃の遠い記憶がよみがえる。
5歳だったあの日、地面を白くした桜の花びらを手ですくい上げて遊んでいると、
「やめなさい」
と祖父に抱きかかえられた。祖父の肩越しに、桜の木々が古い建物を取り囲んでいるのが見え、頭上に近づいた桜の枝に手を伸ばすと、花々の隙間から青白くかすんだ空が見えた。花に手が届かず視線を戻すと、風景にそぐわない真っ黒な格好の人達がそこここに立ち尽くしていた。
祖父が私を下ろすと、祖母が私を膝の上にのせてきつく抱きしめた。
「くるしいよ、おかあさんは?」
「お母さんは、お星さまになったの」
祖母が答えた。なにをいってるんだろう。私は祖母を邪険にふりはらって膝から下り、父を探した。遠くにまだ若い父がぽつんと立っていたが、何かがおかしい。私はかけ寄り、父の黒い上着の裾を引いた。
「ねえ、おかあさんは?」
父は私を見下ろして、一瞬顔を歪ませたが、すぐに小さく微笑んで私の頭を撫でた。そのとき幼い私の心に引っかかった感情は、私を一気に成長させた。
むりしてわらってる。
きいちゃだめなんだ。
母のことをきくと父をかなしませる。それ以降、私は父に母のことを訊くのをやめた。
あの時の違和感を今なら言葉にできる。美しいはずの桜の花々を背にした父は、全身で泣いていた。桜を見ると、あの時の父の姿を思い出し、苦しくなる。だから私は桜が嫌いだ。
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