クライシス

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衣擦れと、畳の上にいくつもの足袋が擦れる音。 ホテルの和室の大広間の一室。 そこでボクは人形よろしく、着替えをしていた。 正しくはさせられていた。 せわしなくボクの周りに神職の人達が、白の襦袢、白の着物、白の袴、と着付けていく。 そんな中。 ──そもそもボクはあの雨の日から怒っている。 と、思った。 あまり、怒りと言う感情は苦手で。 どうも有耶無耶に霧散したくなるきらいがあるのだけれども。 明確に肚の底にそれが燻り続け、消えないものに名前があるのならば怒り──が近いように思った。 あるいは悲しみかもしれない。 直接、どうしても本人にその感情を投げかけたくて堪らなかった。 そこで、初めてボクはようやく怒り、悲しみ以外のこの感情の名前を知る。 激情。 もしくは──情熱。 そんな思いを抱えながら、ボクは千年も待てる自信がなかった。 だから──やっぱり会いたいなと思った。 そんな私情、今は不謹慎だと思っているうちに着付けが終わった。 それは三人とも特級の神事服。 上下真っ白な衣に袴。 大宮司、神社本庁の統理、一部の神職のみが着衣を許される神職の最高位。 正絹の白い袴に白い文様が入ったそれは、本来ならボクも含め絶対に着衣を許されないぐらいの高貴な衣装だが、着衣を許されたのは剣への敬意。 それは崇拝にも近い、最大の礼を尽くすに相応しい衣装ではないと失礼にあたるから。 着替も煩雑で三人が着替える為に各、数人の付添が付いた。そしてようやく着替えが終わり、否応なくこれからの事を考えると緊張した。 「まさか、盃を交わす以外にこんな着物きるなんて思わなっかた」 そう言う水月さんだったが、正直普段のスーツ姿より、よっぽどしっくりと似合っていた。 九頭神さんにそう言うと、そら似合って当然やろ、と何とも難しい顔をしていた。 そんな九頭神さんだったが、その結わえられた金髪と白の正装。 もとよりかっこいい人なので、何だか在原業平みたいだと言ったら。 そうすると二人はボクをじっと見て。 「「静御前」」とか声を合わせて言ってきた。 せめて性別は男の何かにして欲しいと抗議したかったが、そこでいよいよ引き渡しの時間が来た。 迎えにいくようにと指示を出され、下のロビーに向かった。 ロビーにいく少しの間に少々の雑談をした。 エレベーターに乗り込み、軽い気圧の変化を感じながら、どちらに向けてではなく言葉を滑らせてみた。 「──この白い衣装って清潔、神聖。その他にはどんなイメージがありますか?」 「純血、善、平和──とかやな。けれども」 九頭神さんがボクの言葉を受け取り、さっと答えた。 「けれども」の、その後を水月さんが引き受け「旅立ち、天使、──も彷彿させる」と答えた。 「……ですよね」 姫子さん──酒吞童子としても活動中もずっと着白い服を着用してたらしい。 海遊館の時も白い服だった。 きっと花嫁のような明るいイメージを意識していた訳じゃないだろう。 ましてやボク達のように神事に順ずる事とは大いに掛け離れた事をしている。 いつから考えていたのだろうと、思うとやはり怒り、悲しみ、が肚の裡を焦がす。 ボク達はようやく話の全体像を掴んだ。 理解出来た。それならば話は早い。 それまでが。今までが。 イレギュラーだらけの事で遅れを取った。 それはボクの経験の無さもあった。 しかし、遅れは取り戻せる。 姫子さんがわかりやすく悪役になってくれたから。まだ、生きているから。 「静。確かに白は死も彷彿させるが、始まりの色でもある。とりあえずやれる事をしに行こう」 「──いつもありがとうございます。ボク、水月さんがボクの警護する人で本当に良かったと思っています」 そう言うと、水月さんはとても優しく柔らかに微笑した。 そして、エレベーターが下に着いた。 扉が開き、そのまま天井が高く大理石で整えられ、洗練されたロビー中心に向かうと、そこには──思いの他にたった一人。 白い菖蒲の如く凛とした空気を纏い、たたずんでいる人がいた。   もちろん服装は白の特級装束。 しかし、その顔面も頭も白い布で覆われ表情は垣間見えなかった。 そして何より大事に紫の正絹で覆われた長物を抱いていたのが特徴的だった。 ボク達が近づくとその人は言葉を発した。 「大阪鎮守五十代目、黒門静様。神社本署への緊急要請を受け、これをお渡しに参りました。どうぞお受けり下さい」 そう言う声音は男女の区別すらつかない不思議な声だった。それよりも。 「あ、あの。もちろんお受取りさせて頂きますが、こんなに──」 「あっさりと?」 「ええ……」 いくら上手く行くと自信はあっても、ここまでするりと事が運ぶと、少々の戸惑いも覚えてしまう。 こちらの事などお見通しのように軽やかなトーンで答えてくれた。 「本当なら、これは貸し出される事があってはいけないものです。そう、例え。いくら逼迫した状況でも。使用許可を取り付ける為に署に、酒吞に操られたと言う人間の襲撃があり、何やら怪火も出現し、そのどさくさに許可を強奪したり──したとしてもです」 後ろで二人が微かに笑った声がした。 ──やはりバレていたか。 しかし、こちらもそれは想定済みでやった事。 とにかく、許可を強奪しその剣が必要だと認識せたかった。 それが狂言だとしても事前に、酒吞童子の出現の報告はしている。 鎮守としての機能が健全に成り立たない、さらに強大な敵。土地をおびやかす存在が出て来ることで初めて使える裏ワザ。 ──神器の使用許可。 それがボクの狙い。 二日前に姫子さんに力を奪われたから出来たこと。 そう、ある意味、これまでの事は非常に中途半端だった。ボクにも迷いがあった。 大阪で起きた事は大阪だけで解決しないといけないと躍起になっていて。 誰かに──に、助けて貰うなんて甘えだと思っていた。 でも、やはり二日前の出来事があってからもう、色々と振り切れる事が出来た。 確かに要を壊されると言う事は大事なのだけど、言い換えればだった。 人心の乱れも微々たるもの。混乱までには陥っていない。 ボクが提案した本当の会議の内容は。 逼迫した状況を作り出して、過去誰も申請した事がないある神器を借り受ける事。 それ故、渋られるのは目に見えていた。 しかし、九頭神さんがこちらに着いた。 だから神社本庁に乗り込んで、狂言をしようと、九頭神さんに提案した。 鬼の役には鬼が最適だと。 それを会議の前に打ち合わせた。 だから、本会議が始まる前に水月さんが乱射した際にボクは「デモンストレーション」だと叫んだ。 ちゃんと、段階を踏んでやるつもりだったが水月さんが暴走したのは計算外だったか、鬼火の披露にはとても良かったと思う。結界オーライだろう。 何より姫子さんからの電話の内容を聴く限り、もう姫子さんの目的はボク達が行く事で、ほぼ達成しているかと思われた。 二日の猶予はきっと、その間に七星剣を用意しろと言う事だと思った。 結局、こちらが用意したのはさらなる格上。 その為に、神社本庁に皆で乗込んで──大騒ぎしてやった。皆ノリノリだった。 鬼火を後でこっそり出していた九頭神さんも楽しそうだった。 空砲を撃ちまくっていた──水月さんはやり過ぎだった。 大阪人の根性というか。新喜劇、もしくはハロウィンパーティーみたいな乱痴気騒ぎだった。 『酒吞童子に襲われた』 『今、酒吞童子に操られている』 『これはもう、神器が必要だ──』 と、叫ぶ中でボクは許可を、印鑑を、分厚い紙の束を叩きつけながら『このままだったら死んじゃいます、殺される! 助けてー!』とか言いながら捺印させて。 ──姫子さんには少々泥を被って貰う事になったが、それは多めに見て欲しい。 上に、にこの声が届いたら何とかなると思った。何故なら剣と鞘は引かれ合う。 今回指定した神器はもちろん。 ──草薙剣。 でも、こんなにスムーズに行くとは。 素直に訪ねてしまった。 「では、尚更どうしてですか?」 「簡単です。このが一万にも重ねた強固な結界を破って暴れたからです」 「暴れた?」 「ええ、それはもう大変でした。──こちらも酒吞童子の出現把握をしていました。静様の状況も鑑みて祓魔を検討していました。──鬼切丸等を初め霊刀数十本、弓、などが落し所かと、決定した矢先に──」 紫の長物を愛おしそうに。手でさらりと撫でて。 「この御方が暴れました。そして、とき同じく署から神器の使用許可の要請が来ました」 そこでクスクスと笑いながら、 「まぁ、よくよく考えると、相手が酒吞童子ならこの御方が出たがる理由も頷けます。だから、こんなにもあっさりと使用許可が出たのは、この草薙剣の意思です。それを託します」 ──ご武運を。静様。 と、恭しくボクに神剣を差し出してきた。 ボクは震える手を叱咤しながら、しっかりと受取った。それはとても不思議な重量だった。 重くも軽くもなく、ただ生き物のような重さを、暖かみを感じた。 これで、全てのピースが揃った。 しっかりと神剣を抱きしめて。 「ありがとうございます。これより酒吞童子の──に向かいます」 ──もちろん、九頭神さんを犠牲にするつもりもない。 そう言うと、胸に抱きしめた神剣がドクンとボクの気持ちに答えるように力強く鼓動した。
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