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──わ、ちょうど0時だ。
レースの袖口からスマホを取り出してまた、しまう姫子さん。
「残念でも別にいいんです。待っているのも疲れたし、ここまで来るのって割と歩いたでしょ? ささ、こちらにどうぞ」
そう言いながら、大阪城を前にして緋毛氈が引かれた場所にボク達を手招いた。
その仕草一つ、一つが酷く蠱惑的で。
紫紺の髪が虹色の鬼火で闇夜に輝き、指先一つ動かす度に甘く上品な──蓮の香りが漂った。
──これが鬼の頂点。
酒吞童子。
まさに荘厳華麗。
雰囲気に飲み込まれそうになる。
しかし、負けるわけには行かない。
ボクはぐっと強く神剣を胸に抱き寄せた。
そして導かれるままに──朱色の野点傘がさされ、その下に緋毛氈が引かれた場所に案内された。
まるで今から雅な野点が始まるかのような場所に姫子さんは嫋やかに、横座りをした。
その様は岩に腰掛ける白い人魚姫を想像させた。
それはあの日。
ボクが海遊館で思ったこと。それはデジャブだったのなかと埒もない事を考えた。
そしてボク達もしずかに緋毛氈の上に正座をした。
これではまるで本当に花嫁に求婚する花婿達だと思った。
しかし、あまりにもその存在が圧巻で口を開けなかった。言いたいとこは沢山あるのに、口がカラカラで喉がひりつくようだった。
きっと、水月さんも九頭神さんも同じ様子だと思った。
それを見越したかのように姫子さんはレースの袖口をひらひらと、不可解な力で宙に浮く髪を弄びながら喋りだした。
「まぁ、こんな醜い化物の姿になっていたらびっくりしちゃうよね。私も、要をバンバン壊してからこうなってゆくのは──怖かったもん」
そうそう本題を言うね。
薄っすらと笑って。
もう、気づいているかもしれないけど──。
そんな前置きをしながら。
「その剣で、私を殺して欲しいの」
そう、笑って言ってのけた。
左右に座るどちらからともなく、深呼吸する音が。喉がなる音がした。
やっぱりそう来たかと、思いつつ。
ぐっと手のひらを握りしめ、ぷつりと爪が皮膚をやぶった感触を冷静に、痛みを味わいながら、何とか応えて見せた。
「……それで、はい。わかりました。殺しますねってなりませんよね」
「殺して欲しい理由を」
──水月さんが。
「何故そうなった理由を」
──九頭神さんが。
「聞かないと納得出来ません」
──ボクが冷静に聞き返した。
そうすると、表情を変える事無くケラケラと明るく、甘い香りを振り撒きながら「だよねー」と、やはり笑った。
「大丈夫。納得出来る理由を作るのにここまでやってきたから。私を殺すしかないって事を、三人分作ってきたから。じゃ、まずは──九頭神さんからいってみよっか」
そう言って九頭神さんにその艶かな視線を向けた。
「九頭神さん、何か飲みます? 一応色々と用意を」
「要らん。それより話が気になる」
「……冷たいなぁ。前は一緒に呑んでくれたのに。だから、私が嬉しくて少しばかり私を乗っといて顔を出したというのに」
「……もう少し詳しく」
「えっとね──私は酒吞童子の生まれかわりで間違いない。だけども千年前の酒吞童子とは違うの。本当にごめんなさい。がっかりしましたよね? こんな私で。でも、そんな私に優しくしてくれてありがとうございます。本当に嬉しかった。ドライブとても楽しかった──」
どこか夢心地で話す姫子さんはとても美しく、その背後には大阪城が。
さらにその上には真っ白な明るい月が。
人魚姫から輝夜姫のように見えた。
「でも、それは全部今の私の為じゃなくて。昔の私の為で。その事を流石私──。あ、千年前の私が、本来ならもう出て来るはずのない私が、出てきたの。それはね──愛の力」
楽しそうに、どこか恥ずかしそうに笑いながら、きっぱりと確かに言った。
──千年前の私は、貴方の事を愛してました。
告白と共に。
ざぁっと、風が吹き桜の花びらが舞い踊った。
その告白をうけて、九頭神さんは一言。
「千年前に聞きたかった」
と、優しく笑った。
「──だよね。待たせてごめんなさい。あの私は絶対にそんな事は言わない。今の私だからこそ、私を理解出来る。ようやく伝える事が出来た。多分、それを見越してからだと思うけれど、もう昔の私は──私からは消えちゃったみたい。それまではちょっぴり出てきたみたいけども」
「……筋金入りのツンデレか」
「ほんとそう。だからね。もう、遅れに遅れたけど九頭神さんはもう待たなくていい。私がそばにいなくても、もう既に大丈夫」
「何が大丈夫やねん」
「だって、九頭神さんには分からないと思うけど、なんか昔の私がそっちに寄り添っている気がする」
だから。
と、続けて。
「もう今の私を無理に──好きにならなくてもいい。どうか、幸せになって。そして──私を殺した鬼って皆に言えば、きっとそんなに悪い扱いされないと思う」
そこで、ボクや水月さんを交互に見て。
「お願い。私が死ぬからこの人を生かして上げて下さい」
なんか私に操られていたとか、口合わせしたら大丈夫だと思うと。今日の夕食を決めるかの様なノリで言い放った。
「だから、こんなしょうもない状況を作り出したんかっ!?」
とうとう、九頭神さんは堪らずに叫んだ。
「しょうもなくない。いいのこれで。これが九頭神さんが私を殺さなくちゃ行けない理由かな。自分を活かすために私を殺してね──それは私から。何より千年前の私もそう望んだから──お願いでもあるから、ね?」
と、微笑む。
「そんな、おねだりはズルいやろ」
「あはは。それに他にも理由があるから。その理由を──次は水月さんに託そうとしょうかな」
そこで、視線は水月さんに移った。
まだ、何か言いたそうな九頭神さんだったが、目頭を抑えて、痛みを堪えるように押し黙った。
「──机の上に押し倒した、俺にも何かあるとは嬉しい事だな」
やっぱりその、綺麗な顔は怖いなぁとか姫子さんは多少怯えつつも、喋りだした。
「えぇ、ワインでチャラにしてあげますから。もう水月さんしか出来ない事です。実はこの炎──」
そこでフワリと手を掲げると指先から、また一つ、虹色の炎が生まれた。
「その炎が?」
「神便鬼毒酒って言うんです。これ。実は昔私を殺すのに使った毒酒で、今は私の中に入ったから私が使えるようになったんです。それを──夜明けと共に全部。本来の毒として機能させます。そうしたら──大阪城を中心にこの関西全域を腐らすぐらいの猛毒になっちゃいます」
とんでもない事をさらりと言う姫子さん。
この炎が毒とは。
そう言われても実感がないぐらいに美しい炎。
──そうか、海遊館で車は焼かれたんじゃなくて、腐り落ちたと言う方が正しかったのか。
九頭神さんが知らなくても仕方ない事。
これは今の姫子さん、今の酒呑童子が手に入れた新しい力。
だからこそ、美しくあるかと思った。
「……こんなに綺麗なのにな」
水月さんも同じで、暗闇に浮かぶ炎を見つめていた。
「ええ、今は私が本来の性質を抑えてますが。それも時間の問題です。そうなったら静君にも害が及びます。だから、そうなる前に私を殺して、毒を無効にするしか方法がありません」
「親切に教えてくれるんだな。その親切ついでに殺す方法以外に、毒を止める方法は?」
「ないです。この炎は──。一度出現すると毒として機能するまで消えません。だから昔に私を殺した剣で、また私を殺すしか方法がありません。私が死んだら勝手に消滅します」
「なるほど。厄介な炎だな」
「本当に。静君の命が掛かっているなら、私を殺すしかないでしょ?」
二人は、何だか旧知の如くどこかお互いに信頼しているように淡々と。
どこか長く付き合った恋人のように視線を交わしつつどちらも微笑しながら話しをていた。
「──そうだな。殺すしかないな。わかった。静や九頭神が何か言おうが絶対に、朝までに殺してやる。安心しろ」
「良かった。きっと私を殺すのは水月さんしか出来ない事だと思います。あの、出来るだけ痛くないように殺して下さいね?」
「わかってる──また、俺は見送る側しかならないのか。皮肉だな」
「いいじゃないですか。静君がずっと側にいますよ」
「………欲しいものは中々手に入らないな……いや、何でもない。もうわかった。俺からは話す事は何もない。安心して──逝け」
「ありがとうございます。安心して逝けます」
やはり微笑してそう言う二人。
どこか楽しげな二人。
そして、この二人はそれで完結していると思った。
「さてと、これが水月さんが私を殺さなくちゃいけない理由。やっと静君の番。お待たせしたね。さぁ話を──」
「とても待ちました。そういえば。海遊館では最後までちゃんとデートが終わってなかったので、その続きをして貰えませんか?」
「えっ」
「じゃないと未練が残ってしまって、千年──ボクもまた姫子さんを探すかもしれませんよ?」
「……それを言われると断りづらいと言うか……」
「まだ、夜明けまで時間はあります。少し歩きましょう」
ボクはさっと、神剣を抱きつつ立ち上がる。
すっと水月さんと九頭神さんにも目配せをすると二人とも微かに頷いてくれた。
ボクは座る姫子さんの前に立ち、手を差し出した。
「どうか手を。あっ──気を奪うのはやめて下さいね。アレ結構大変だから」
そう言うと姫子さんはクスクス笑って「もうしないよ。ごめんね」と、その紅く長くなった爪を。白い指先を。
ゆっくりとボクの手に重ねてきてくれた。
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