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うそつきなしょうめい
「わたしの心の中のクララが立ったの。立ち上がるべきだとそう伝えてきたのよ」
舞台の上で最小限の照明を浴びながら、さもそれらしく天を仰ぎながら長台詞の最後を締めくくった。
30歳OL、未婚。
「こうなったら独身貴族になってやる!」と飲みの席で言ったら、年上未婚のお姉様に「貴族はお金を持ってないとなれないのよ」と冷たい現実をピシャリと突きつけられたこともあったな。酔いも冷めるわ。
このまま生きていくんだろうか。
どこか他人事だと思ってた漠然とした不安がわたしのところにも尋ねてくるとは、こうなるまでなにもわかっちゃいなかった。
何もやることがない、というか日々の生活で疲れ果てた体を休日くらいは休めたい。
ソファにだらっと横たわりながらチータラを頬張ってテレビは流しっぱなし。
現実をいい感じにぼやかしてくれるくらいお酒に酔えたら楽なんだろうけど、飲んでるのはエナジードリンク風のジュース。
いいんだ、これで、だってアル中になりたくないもん。
「大人になったら1年があっという間よ」って聞いてたより早い気がする。
そりゃあそうか、何もしてなければトピックスも生まれないし。
とにかくなにもやる気が起きない。
必要最低限の家事をやって、洗濯機を回してる自分を褒めてあげたいくらいハードルはがくっと下がってる。
コンビニ行くのもかったるい、けど所持金いくらぐらいもってるっけ?なんて財布と通帳を覗いたら、たったのこれだけ?と俯瞰してる自分がわたしに聞いてきた。
しょうがないじゃん、ひとり暮らしって大変なんだし。誰かと住むならまだしも、見つからないから独身なんじゃん。
自分の幻影を振り払う。
「はぁ…」
余計ぐったりした体を転がして移動していたらテーブルの角に頭をぶつけて「がッ!」と声にならない声が出た。散々じゃないか、どうしたわたし…。
ひっくり返ったカナブンみたいにジタバタと醜く悶えながら、誰にも見てもらえず笑いにも変えられない寂しさと戦ってた時、チラシが目に入った。
そういえば、ポストから持ってきて片付けてなかったな。
ぽぽいっと捨ててしまおう、どうせわたしには買えもしないマンションやリッチな出前なんだから。
自分宛の手紙が混ざってないか念のため確認してたら、変わったチラシが目に入った。
「劇団員募集!!年齢問わず、君も夢を掴まないか!」
単色の安っぽい紙に黒太字で書いてある。
煽り文句が面白くてどデカい文字に見えてきちゃうよ。
今更劇団なんて。興味もなければ実にならないモノにお金を割くなんて勇気ないわー。
ごみ隠しに使わせていただきます。
あー今日も何にもしないで終わったなー。
案外平穏な日々が一番自分に優しくしてくれたりするよなぁとか考えちゃう。
ピコン、とメッセージの通知が来た。
⦅おひさしぶりでーす、お元気ですか?大学の先輩が劇団に入ってて、今度劇をやるんですが一緒に行きませんか?⦆
前の会社の同僚だ。同僚と言っても年下の女の子。彼女はまだ女の子の年齢。
⦅おひさしぶりー。なんて言う劇団?有名?⦆
⦅小さい劇団なので全然有名じゃないです(笑)興味あります?⦆
いや、興味はそんなにないんだけど、行ったことないしたぶん自発で行くこともないだろうな、と思った。
話のネタに行くのもいいかなぁ…
⦅んー、予定が合えば⦆
⦅〇月×~□日までなんですけど、一応詳細を送りますね~興味あったら連絡ください!⦆
⦅見てみるねーありがとう~⦆
〖 劇団ねこのひげ 〗
演目は完全オリジナル。
アタリハズレ凄そうだな…
まぁ、チケット代持ってくれるでしょ。
ならいっか。話のネタ、ネタのため。
結局勢いで行くって返事しちゃった。
「お待たせしました~!おひさしぶりでーす!意外と仕事が長引いちゃってすいません、行きましょっか!」
繁華街からちょっと歩いた裏道にあるんですよ~。
なんて言われながら後をついて行く。確かにこっち側って来たことないわ。
「よかった、間に合いましたね。席は取っておいてくれてるので、ここでチケット買っちゃいましょ」
自腹かい!って猛ツッコミしたけど、心の中で抑えておいてどうにか平常心平常心…うそつきー!
いや彼女はうそついてない。期待した自分が浅はかだったと思い知らされたわ…悲しい。
照明が落とされて劇が始まる。
楽しめるだろうか、と思っていたらいつの間にか物語を追っていた。
主人公はごく普通の青年。
平凡な日々に飽きて客船で息抜きの旅行をする。
ところが船が目的地とは違う場所に行き着いた。
何も知らされてなかった乗客一同はどういうことかと企画者に詰め寄る。
企画者はこう言った「これはみなさまにお楽しみいただくためのサプライズでございます」と。
無人だけれどそれなりに住める環境が整っている島に下ろされ、好きなように過ごしてください、ただし、傷つけあうのだけはご勘弁を。いただいたお代金がなくなる頃に迎えに参ります。しばしの休暇を楽しんでくださいませ。そう言って姿を消した。
主人公は事態を飲み込むまで周りの様子を伺っていたが、空気をよみ、柔軟に対応していった。
それが時には争いに発展しそうになれば我慢する、といったことも。
自分語りを始める者や怒ってしまう者、未知の事態に様々な反応を見せて、島を去っていってしまう者が続き、最後は主人公だけに。
そして、主人公はこう言って終わった。
「誰でもない自分自身の平凡な生活こそ、求めていたものだった。」
なんだろう、このぐるぐるモヤモヤした感じ。
消化不良というか、なんていうか…。
なんて余韻みたいなものに浸っていたら、役者さんを紹介しますって裏に連れていかれた。
よそ行きの顔と声と態度でそつなく挨拶をこなし、電車に乗って家に帰った。
なんか、感情を確認してたらつかれた…。
お風呂入って寝たい…。
その日見た夢は、舞台に立ったわたしがクララがどうのこうの言ってる物語だった。
夢にまで見ちゃうとは、消化できてるんだか引きずってるんだか。
実際、朝が来て会社に行ってもずっと考えてしまっていた。
どの感情にもストンと収まらなくて、あまりいい気分でもなく、どうしたらいいものなのかと悩んだまま、まただらけた週末を迎えた。
買い物ぐらいはさすがに行くか…食べるものないもんな。
洗濯機回してから軽く支度して外に出た。
あれ?なんかすごい見たことあるような…
と目を凝らしていたら目が合った。やば気づかれた。
向こうもあれ?と思ったのか近づいてきて、姿がはっきりしてくると誰なのかわかった。
この前の役者さん!
あの建前モードで挨拶したっきりだからご近所モードで会うのすごい嫌なんだけど見られた…。
近くなんですかー、とかなんとか
当たり障りのない会話をしてたら近所に住んでいてここのスーパーをよく使っていることが判明。
わたしのテリトリーが崩れてしまう…
話すネタは正直ないんだけど、変な間に困ってしまって、無難に劇団の話をふってみた。
大人になっても夢を追いかけてるってはたから見たら恥ずかしく映るよね、って苦笑いしてて、そんなことないですよーが精一杯だった。
こんな夢もない貯金もない相手もいない自分には否定できないものを感じ取ってしまって。
なんでこういう時だけ鋭いかなぁ、自分。
また会うかもね、なんて言って別れた。
すごく疲れた。外キライ…。
チータラ食べてソファでだらぁっと至福のときを迎える。
いつもなら気にならないほどに薄まるのに、やけにあの物語が伝えたかったことが気になってしまって。
うーんとカーペットの上でごろごろ転がってみたらごみ箱に入れたあの目立つ単色のチラシが目に入ってしまった。
あー、そういえば劇団員募集だっけねー集まったのかねーなんて半ば嘲笑しながら広げたら、ここ1週間ぶりにモヤモヤしていた気持ちがピンと真っ直ぐになった。
〖 劇団ねこのひげ 〗
あれじゃん!あの劇団じゃん!
チラシも配ってるのかよ!笑うよ!
びっくりして足をバタバタさせてもう一度読んでみた。
まずは劇を見てください!お気軽にどうぞ!ってこの前の小劇場が載っている。
……。
あー!!!
もう何が何だかわかんないよ!
可もなく不可もなく生きてきたわたしにはこの感情がなんなんだかわかんないよ!
ああ疲れる!もういっその事もう一回見に行ってみるか!?そうするか!?
自問自答してバタバタしてたらまた机に頭をぶつけてカナブンモードに入った。馬鹿だ。
足掻いている間に公演日がやって来て、この前見た物語を結末を知った上でもう一度見る。
もうファンじゃん。いや否定したいけど。何やってるんだ自分。
ささっと帰ろうとしたら、例の主人公を演じた劇団員に呼び止められた。
来てくれたんですねー!嬉しいです。なんて言葉が右から左へと流れて行くのに、わたしの脳みそはこの台詞は聞き逃さなかった。
「これ、僕が脚本を書いたんです。」
え!っと食いついてしまった。
それはもう建前モードが崩れた瞬間だった。
単純に書いたことも演じてるのも凄いけど、あの物語の意図はなんだったの!?伝えたかったことは何!?と確認したかった事が溜まっていた分溢れてしまってずいぶん変な返答をしてしまっていたと思う。
その変な返答のお陰で変な方向へ話が進み、何故かわたしは劇団員になることになってしまった。
もちろん〖 劇団ねこのひげ 〗の。
その日はぼーっとしたまま布団に入った。
どこか現実味がなかったから。
そしてまた同じ夢を見た。
舞台に立ったわたしが、クララがなんちゃらって言ってる夢を。
何の意味があるのか知らないけど、とりあえず今何やってるの?と人に聞かれたら答えられるネタは出来た。それが幸か不幸かわからないけど。
むしろ人によっては内緒にしておいた方が良いのかもしれないけど…
とにかく夢に向かってる人達に触れていれば何かしら感化されるでしょ。っていう他人任せなところは大人になっても変わんないもんだ。
辞めたきゃ辞めればいいし。大人の特権だよ。
いい方向に行けばいいな。
初めてのことはいくつになっても緊張するもんで。
この歳になって、劇団の門を叩くことになるとは予想していなかったので、変な汗をかいている。
夢を追いかける人の中に、なんだかよくわからない中途半端な気持ちで混ざっていくわたしを、排除しようとする働きがあったらどうしよう、っていうか何するんだろう演技なんかした事ないよ…
不安でぐるぐる押し切られそうになってしまったので、えい!と半ば無理やりに扉を開けた。
そこには良い感じの雰囲気の男女が絡み合う寸前で。
邪魔してきたわたしを睨んでいた。
「ちょっと!あんた誰?部外者立ち入り禁止なんだけど」
「なに?やばい人?まずくない?通報する?」
え、ちょっと待て。わたし身なりは人並みに気をつけているつもりだけど、そんなやばい人に見えるの?そこに驚きだわ。っていうか何を見させられたんだ?あぁ、そんなことより説明しなきゃ!!
わずか1秒程度の出来事である。
脳内フル稼働させてひとまずこう伝えた。
「あの、邪魔してしまいすみません。今日からお世話になります。よろしくお願いします…」
最後は消え入りそうな声だったけど。
目の前の男女が、あー。と面倒くさそうに頷きあった。
そして女がこう言った。
「どんな理由で入ってきたのか知らないけど、こんなところでいい歳こいた大人が、夢追ってるとか、それこそ夢だから。帰った方が良いかもねー」
え、嘘でしょ。
さすがにあんたらには本当で居て欲しかったというか。
これだと夢を追いかけてないわたしが追いかけてる側になっちゃってるじゃないか。おかしいだろう。
嘘だったんだ!幻想だったんだ!!
わたしの中のクララがストンと車椅子に座った。
せっかく勇気を振り絞って新しいことを初めてみたのに!!
あのチータラの日々を返せ!
「うそつき!!!!」
なんて言えないまま、静かに扉を閉めて階段を下りた。
わたしの中のクララが途方に暮れていた。
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