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 電車が駅に到着した。車内に充満していた興奮は、足早(あしばや)にホームへと拡散してゆく。  腕を掴まれていたおじさんは身動きが取れるようになり、おばさんの腕を乱暴に振り払うとホームへ向け突進した。煽りを食らったおばさんが倒れ込む。おじさんは、そんなことへは脇目も振らず、一目散にホームを駆け出す。が、そこへ狙いすましたかのように、おじさんの進行方向から差し出された足が、忙しなく前後するおじさんの足を払い、バランスを崩したおじさんは、そのままの勢いで前のめりに、硬いコンクリートの床面に着地した。    凄まじい音を構内に響かせ、うつ伏せのまま硬直したおじさんは、一瞬の間を置き、すぐさま手足をばらばらにバタつかせ立ち上がろうとする。そこへ、電車の乗客であったらしいスーツ姿の男性数人が取り囲んだ。一人がおじさんの腕を後ろ手に取り捩じ上げると、他の男性たちも暴れないよう体重を掛け押さえつける。数人の男性によって、冷たいコンクリートに押さえつけられたおじさんの血圧は急激に上昇してゆく。心臓がはち切れんばかりに、全身へ血液を送ろうと鼓動(こどう)を強める。しかし、圧迫された肺は呼吸を阻害(そがい)され、血色の悪いおじさんの顔はみるみるうちに赤黒く染まる。  おじさんを制圧した正義の使者たちの仮面は、脳内に(みなぎ)るエクスタシーの表情を浮かべている。  おばさんに促され、ホームへ降り立った私は、そろそろ限界を迎えようとしているおじさんの顔を不思議そうに眺めた。あなたたち、それくらいにしておかないと、おじさん死んでしまうよ。そう心の中で静かに囁きながら。
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