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5
推しが意味深な言葉を添えて消えた。
あったはずの音も、言葉も、最初からなかったようにまっさらになってしまった。あらゆる憶測が飛び交うネットの世界を見つめた。そこに答えがないと分かっていても、探し続けてしまう。
何が良くなかったのだろうか。
私がちゃんと応援していることを伝えていなかったからだろうか。
私の大事? であるほど言葉を紡ぐことに躊躇いを覚える。正しさなんてものはないって従妹に言われても、あまりピンとこなかった。この言葉があの人にふさわしいか、そんなことばかりを考えては、消して、また書いては消す。そして、もう無理だと諦める。
届くことのなかった言葉は煮え切れぬ思いと共に、私の意識の奥底に眠ったままである。これを私はどう抱えて、どこにぶつければいいのだろうか。
寄りかかっていたはずの拠り所がなくなった。その途端、私は体幹を失った。ぐらぐらと安定感をなくし、真っすぐ立つことさえも難しくなった。二足歩行をやめて、這いつくばるしかなかった。
そこまで、肥大していた支えは、もうどこを探してもいない。
戻ってきて、あなたの言葉を聴きたい、そんな言葉を並べても返信はなかった。当たり前だ。もう推しは推しではなくなったのだから。どこかの誰かになり、誰のものでもなくなり、ただの誰かになったのだ。いや、それすらも怪しい。けど、そう思うほかならなかった。
私は埃っぽい毛布にくるまって、息を潜め、学校に行くこともやめて、朝を感じて夜を見つめた。どれくらいの時間が経ったのか分からない。私にとって推しは生きるために必要なものだった。確かなる存在が、無くなってから、私の腕も、足も、首も、頭も、私ではない生き物になった。
そうだ、いつも終わってから、私がどう思っていて、どうしたかったのかを知る。
散らばったプリントたちを踏んで立ち上がる。一人で立ち上がる感触は、どうバランスを取っていいのか分からなかった。私の体を支えていたのは、紛れもないあの言葉たちだったのだ。頭の中で言葉を並べる。メロディーをつける。リズムもつける。プロとしてやっていなかった推しの音はもうどこにも残っていない。消えゆく面影に縋って、一縷の望みを願う。私は同化したかったのだ。あの言葉にあの音に、あれらと一体化して、骨や肉の髄まで浸透させる。それをしたかった。
千鳥足で、充電器に挿したままのスマホを取る。
息を吸った。
録音ボタンに触れる。
目を瞑った。
頭に描く音を、言葉をぶつける。今まで私が私の中でおさめていた感情? を外へと流していく。それは膿を出す作業だった。ここは弱く優しく、ここでは繊細ながらも力強さを。何百回、何千回、何万回と聴いた言葉の塊は、私の声によって奏でられていく。
暗闇に放たれた音は、私の頬を熱くさせる。あまり動いていなかったから、いつの間にか肩で息をしていた。矢継ぎ早に編まれていく言葉には光が灯っていく。暗闇でずっと何も見えなかった世界が彩られる。
自分の内側から漏れだす生の感触に夢中だった。
だから、気がつかなかった。
言葉に浸る私に痛みが走る。
「今何時だと思ってるんの!」
頬のこけた女が息を荒げている。
その後ろにはだらしなく開いたドアがあった。
「あんた、やっぱり変だよ」
捨て台詞を置いて女は去っていった。
私は床に倒れ込んだ。
額に手をのせる。
左手に握られたスマホを手繰りよせ、録画をとめる。
さっきまでの音を再生する。
高鳴る心臓が静寂に飲まれていく。
静まり返った律動はもう靡かず、削除ボタンに手を置きかけたとき、あっと思った。
ホーム画面に戻って、ラインをタップして、従妹とのトーク画面を開く。
せめて。
私はそんな軽い気持ちだった。
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