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「大丈夫?」
「大丈夫じゃないよ……」
誰もいないと思っていた実験室には憧子の姿があった。
ひどく情けない声で私は答えた。
「美姫ちゃん、私のこと友達じゃないって」
なんでこんなことをわざわざ憧子に話しているのだろう。
自分でも不思議に思うが、今は誰かにただ聞いてほしかった。
「だろうね。私から見てもあなたとあの子は友達には見えなかった」
「じゃあ、狩野さんには私と美姫ちゃんが何に見えたの?」
「私の両親」
それは思いもよらない答えだった。
憧子を見ると、大切な者を諦めたどこかさみしい顔をしていた。
「両親が離婚して。それで転校してきたんだ、私」
憧子はなんでもないことのように話し出した。
「母さんは父さんのためって、いつもそう言って自分を犠牲にしてた。仕事も辞めて、買いたい物も我慢して。父さんのためにって、そればっか馬鹿みたいに……そんなんだから身体壊して入院することになった」
「入院……」
「今はもう元気だけどね。でも家事も何もできなくなった母さんを父さんはいらないって、そう言った。あれだけ母さんが父さんのためにって尽くしてきたのに……それで母さんは目が覚めた。もう自分の羽根をむしって機(はた)を織り続ける必要はないんだって」
話を終えた憧子は私をじっと見ていた。
その瞳に込められた言葉を私は口にした。
「なんだか、私と美姫ちゃんにそっくりだね」
憧子は肯定も否定もせず、ただ私を見ていた。
「……私ね、嬉しかったの。あの日、美姫ちゃんに声をかけてもらって、友達だって言ってもらえて。私、昔から友達つくるの下手くそで……だから本当に嬉しくて、こんな私と友達になってくれた美姫ちゃんのために、できることはなんでもしようって思った」
美姫に頼まれたわけではない。
ただの私がお姫様のような美姫の隣にいるために必死になって考えた自分にできることは掃除当番や日直を替わったり、美姫が嫌がりそうなことをかわりにこなすことくらいだった。
(でも美姫ちゃんは私が織った機どころか、私のことも見てくれてなかった)
けれど、それは私も同じことだ。
私だって美姫ちゃん自身のことをちゃんと見ていなかった。
いや、ちがう。私はずっと見ようとしていなかったのだ。
「でも、本当はどこかでわかってた。だって美姫ちゃん、私のことを名前で呼んだこと一度もないから」
私は美姫にとって友達ではなかった。
ただのお世話をしてくれる姫の従者でしかなかった。
従者の名前を呼ばなくても、誰もお姫様を咎められることはない。
「私、あの時助けてもらったことが本当に嬉しくて、だから私はここにいるんだって。本当はずっと気付いてほしかったのかもしれない」
お姫様と従者でも、機(はた)を織る鶴でもない。
私はただ美姫と友達になりたかったのだ。
「最初から無理なんてしなきゃよかったんだよ」
「そうだね」
共にいる人が望む者でなくなり、機(はた)を織ることのできなくなった鶴は、もうそこにいることはできない。
だけど、残ったこの羽根でまだ飛び立つことはできるはずだ。
「ありがとう、狩野さん」
「憧子でいいよ」
「うん……ありがとう……憧子ちゃん……」
私はようやくあの教室の入り口から飛び立てる気がした。
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