1.大好きで大嫌いなきみの。

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1.大好きで大嫌いなきみの。

 集合場所には10分前に着いた。早く来て困ることはないから。時間なんていくらでも潰せる。考えることはいくらでもある。……さみしくなんて、ない。  県の高校陸上強化合宿なんて大イベント、みんな余裕もって来るのかと思ってたけど、そんなことはなかった。  みんなまだかなあ。そう思うのは、きっと気の迷いだ。わかってるのに外を見てしまう。  市役所前に止まる貸切バスの窓越しに、桜のつぼみがふくらんでいる。もう最終学年なんだ。陸上部、それも駅伝やマラソンじゃなくてトラック走メインでやってると、冬から春先は季節感覚がわかんなくなる。大きい大会がなくて、ひたすら練習だから。  部活の後輩に話したら「それは彩夢(あやめ)先輩が陸上バカなだけです。たまには友達と遊びに行くとかしましょう」って言われたけど。次の日その子に連れられてパン屋さんとか、テニスコートとか行った。……楽しかった。  けどいいもん、陸上バカで。友達なんかいなくたって。  バスが賑やかになってきても、隣には誰もこない。県で陸上強い子には何度も顔を合わせているのに、声をかけなかったのはわたしだ。目標のために青春を犠牲にしたのは、わたしだ。でも気がついたら、視線は隣の席に落ちていた。  だめだ、違うことを考えよう。もう一度外の桜を見る。  桜。さくら。みんなに好かれる、きれいな花。  本当に、あの人にぴったりな名前だ。わたしの一番のあこがれで、陸上部の同学年。――大好きで、大嫌いな人。  その名前は、市役所の外壁に誇らしく垂れ下がっていた。 『祝 第69回全国高等学校総合体育大会陸上競技大会 女子1500m 8位入賞 兵庫県立虎屋高校 丸森(まるもり) さくら』  去年の高校総体(インターハイ)全国8位。表彰台はケニアとかエチオピアとか、アフリカからの留学生が独占してたから、実質的には(って言っちゃだめなんだけど)5位。言葉にできないくらいすごいことだ。  ……わたしも全国には出れたけど、予選落ちじゃ『小牧 彩夢(こまき あやめ)』の垂れ幕は出ない。今年が高校最後のチャンスだ。  きっと今年も桜が咲くんだろうけど――わたしは、もっと鬼になる。絶対に振り向いてもらうんだ。ライバルだって思ってもらえるように。  ……うん、もう不安じゃない。だいじょうぶ。だいじょうぶ!  両腕で軽くガッツポーズして気合を入れた。  ――それを、当のさくらさんに見られていたらしい。 「牧ちゃんおはよ~」 「お、おはよう」  いつもやらないようなことを見られて、自分でもわかるくらい声が震えた。  けど、さくらさんは気にしてなさそう。というか、ぽやーっと眠そうにしている。ただでさえとろんとした眼をもっと潤ませて、彼女は自然に隣へ腰かけた。背が高くて大柄なさくらさんがそばにいると、ちょっとだけ圧迫感がある。  でもそんなことを気にする余裕はなかった。彼女が隣にくるなんて思ってなかったから。 「ここでいいの? 友達、いっぱいいるでしょ」  いつでも誰とでも、どんな話題でも。彼女は付き合いがよくて、しっかり会話に参加する。リアクションをとる。  そんな人が、人気ないわけがない。彼女はいつも教室の花だ。 「そりゃあいるけどね。全身でかわいくガッツポーズしてる牧ちゃん見たらさ、かわいがりたくなるよ~!」 「……スキンシップやめてって前から言ってる。かわいがるのも。わたしはさくらさんの妹とか、後輩とかじゃない」  そう言っても大きな手でなでてくるから、腕を軽くつかんで払いのける。太いけどやわらかくて、陸上選手とは思えないくらいに女の子の身体だ。散々見てきたウェア姿でわかっていたことだけど、実感するのは初めてかもしれない。触れたことなんてあんまりなかったから。  さくらさんは、ジャージのえり首をつまんでくすくす笑っている。 「そもそも、さくらさんと仲良くするつもりはない」  これだって、前から言ってる。  当たりが強いのは嫌いだからじゃない。嫉妬なんてもうしていない。仲良くなって、慣れ合って、お互いの足を引っ張るのがいやなだけ。  切磋琢磨できるならいい。だけど、わたしがひとたび心を許したら、きっとさくらさんの優しさに甘えてしまう。最悪、彼女を巻き込んで堕落する。練習でもレースでも、本気でぶつかれなくなってしまう。  そんなことで全国トップレベルの才能を潰すわけにはいかない。だから、距離を置いたほうがいいんだ。  きっとさくらさんもわかってくれている……と、思う。 「今なら他の席行けるよ?」  追い打ちした。バスはまだ、動いていない。      「だめ? たまにはいいと思うんだけど~」 「えー……」 「あたしは牧ちゃんとお話ししたいな?」  さくらさんがふわふわしたしゃべり方をやめた。こんな通る声も出せるんだ。  少しだけ身体を丸めて、背が低いわたしに視線の高さを合わせて。懐っこい顔でまっすぐ見つめてくるの、本当にずるいな。 「……いいけど」  自然と口が開いていた。 「やったぁ! 牧ちゃん大好き。最高」 「大げさだなあ」 「だって牧ちゃんがデレたんだよ? あの牧ちゃんが」 「あのって……否定はてきないけど」 「でしょ~。 たまにはお友達しようよ。力抜いてどうでもいい話するのも楽しいよ?」  根を詰めすぎなのは、自分でもよくわかってる。ひとりであれこれ考えて、勝手に距離をとってるのはわたし自身だ。  ――本当はさくらさんと仲良くしたい。心の奥でそう思っていることは、認めなきゃいけない。  だけど、なにを話せばいいんだろう。陸上の話しかできない気がする。女の子をしてこなかったこと、いまさら悔やんでも遅いかな。 「――大丈夫。話すことなんていくらでもあるよ。同級生なんだし。そうだ、今年もよろしくね」  虎屋高校は普通科と、スポーツ推薦組が大半な健康スポーツ科のふたつに分かれている。そして健スポ科は学年に1クラスだけ。  おはようからお疲れまで×3年間、わたしの近くに彼女がいる。それはとってもうれしくて、とっても苦しいことだった。  全部覚悟の上で入ったのに、考えるたびに心がぐらぐらする。――だけど、 「よろしくね。さくらさん」  今年こそは負けないよ。気持ちを込めて、返事した。 「うんっ。今の牧ちゃん、すっごくいい顔してるよ!」 「えっ?」 「ほんとほんと。やる気いっぱいって感じ。そんな表情はじめて見た。もっと見せてよ、そーゆーとこ!」 「やだ。むしろ見られたの恥ずかしい」 「だろうねー。でも、あたしたちがいつまで陸上続けるかなんてわからないじゃん。だから牧ちゃんのいろんな顔見てみたいな」 「まあそうだけどさ、ケガさえなかったら当分続ける……そうじゃない? さくらさんだって当然どこかの大学か実業団か、クラブチームとか行くでしょ。一緒に走る機会なんて、今後もたくさんある。……わたしさえ頑張れたら」 「あっ、そっかそっか。来年以降もよろしくだったかー。簡単には負けないからね!」  いろんな大学や、会社の実業団がさくらさんを欲しがってる。自分たち陸上部なら誰でも知ってることだ。  去年のインターハイが終わってすぐの練習なんて、毎回ひとりはスカウトさんが来ていた。その人たちが目で追っていたのは、ほとんどがさくらさん。わたしじゃなかった。  彼女と同じ舞台で走り続けるには、実業団に入ってプロアスリートになる以外ほとんど道がない。だけど、わたしの実績じゃ夢のまた夢だ。今年どれだけ結果を残せるかにすべてかかっている。 「……なにそれ。絶対負けない、くらい言えないの?」 「牧ちゃんは手厳しいねえ」  少し口をとがらせながら、困った感じの苦笑い。どうしたんだろう。さっきから、なんだか口調が後ろ向きだ。 「……うん。負けないよ。大会はもちろん、記録会とか練習とかもね!」 「それでこそ、きみだよ」  察されたのか、わたしの勘違いだったか。   大きな胸をポコンとたたいて、さくらさんはまぶしく笑った。  ――エンジン音。桜をかき分けてバスが出る。  負けられない、負けたくない1年が始まった。  「ところで牧ちゃんさ、気持ちがこもるとあたしのこと『きみ』って呼ぶよねえ。かーわいい♡」 「……!? あのさっ。まって、はずかしいからっ」
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