時代が押し流してゆくもの

1/1
43人が本棚に入れています
本棚に追加
/33ページ

時代が押し流してゆくもの

 額の鉢金(はちがね)からこぼれた一筋は、赤い丸打ち(ひも)で引き結んだ総髪の黒髪。気配を探る動きに合わせ、着込みの鎖帷子(くさりかたびら)が微かな音をたてた。  硝煙の匂いの中、視線を追うように上がる細い(おとがい)の先を、風に吹かれた煙が渦を巻く。時代という名の(あらが)い難いものに押し流されてゆくのは、(かすみ)か雲か、それとも取るにも足らぬ塵芥(ちりあくた)か。  癒えたと思った左の(かかと)に負った刀傷に顔をしかめた中澤琴は、ふぅと肩で息を吐いた。腰紐(こしひも)で絞めた(はかま)仕立ての細いだん袋は草汁と土にまみれ、透き通るように白い頬に赤く滲むのは激戦の中で負った傷。  細身の腰に差すのは二尺五寸、一切の装飾を省いた肥後の剛刀・同田貫(どうだぬき)。このいで立ちが女であるとは、いったい誰が思うだろう。  絶え間なく耳を圧する四斤山砲(よんきんさんぽう)の砲撃音が、賊軍(ぞくぐん)の汚名を着せられた(べに)の陣羽織を(わら)うように胸を叩く。  右腰にスナイドル銃を携え、左手で同田貫の(さや)をつかんだ中澤琴は、江戸薩摩藩邸焼討ちで負傷した左足を(かば)いながら、起伏の激しい草の原を進んだ。
/33ページ

最初のコメントを投稿しよう!