二転び

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二転び

一生のお願いは乱発するもんじゃない。 大事な時に切り札が尽きるから。 人間ってへんなの、ギリギリ死にそうな時にどうでもいいこと思い出す。私の場合は小5の時に書いた作文。授業参観で読まされ、悪い意味で皆をあっと言わせた。 「てかドン引きだよね……」 無理もない。授業参観の日に発表する作文ときたら、大抵は親への感謝を綴ったものだ。毎日おいしいごはんを作ってくれてありがとうとか、休みの日にキャッチボールしてくれてありがとうとか。 世の中親の風上にもおけない手合いが多いけど、血の繋がった実の親父をあそこまで作文でこき下ろしたのは、ことによると私が初めてかもしれない。 そりゃどういう顔したらいいかリアクションに困るよね、とちょっぴり反省する。 でも私、覚えてる。 教室の後ろ、一様に微妙な表情でたたずむ保護者の中で、スーツのお母さんだけがこっそり親指を立ててくれた。ぐっじょぶ、娘。 当時は実に反骨精神旺盛な小学生だった。離婚したのちのお母さんの教育がよかったのか、今じゃ随分丸くなったものだ。 ああいけない、またどうでもいいこと考えてる。 しっかりしろ私、現実から目を背けるな。 「よし。イケる」 下は見ない。見てもろくなことがない。どうせ阿鼻叫喚の地獄絵図が広がってるだけ。 粘着質な咀嚼音とともに、頭からまるかじりにされる人間の断末魔がここまで聞こえてくる。 重心を落とし、クラウチングスタートの姿勢をとる。スタンディングスタートと異なり、推進力が大幅アップするのが利点だ。 「陸上部なめないでよね……」 恐怖心をクソ度胸で克服し、いざ駆け出す。へりで跳躍、空中へ体を運ぶ。 「っしゃ成功!」 スライディングした靴裏が屋上を削る。 ほぼ同じ高さの隣のビルに飛び移り、振り返りざまガッツポーズ。再び走り出し、どんどんビルからビルへ渡っていく。 「うわっ!?」 いけない! 駄目!スニーカーの爪先がへりにひっかかり、滑る。空中で必死にもがいてバランスを回復、できずに落下。咄嗟に伸ばした手が壁面の配管を掴む。 「はあ、はあ……マジ死ぬかと思った。スタントマンの気持ちがわかった」 今の自分が人目にどう映るのか、なんて気にしてる余裕ない。そもそも人が殆どいない。 いるのはゾンビだ。
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