2021年・20年目のクリスマス

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2021年・20年目のクリスマス

いよいよ遠景に街並みが見えてきた。  高速バスの車窓からは、四方を山に囲まれた街並みが覗く。  東北の冬とはいえど雪の気配は感じられない。蘭はほっと息をついた。 ◇◇◇  蘭が卒業した県立高校の生徒達が演じる『くるみ割り人形』のミュージカルの公演に招待されたのは、収束には及ばないがコロナ禍が落ち着きかけた頃だ。  クリスマスの時期になると芸大への進学に特化した科を専攻する生徒による『くるみ割り人形』のミュージカルの公演が恒例となっていたが、コロナ禍の影響で前年度の公演が取り止めになった。  観客を募るのは二年ぶりとなる。  この度、在校生から「舞台の制作に携わった卒業生達にぜひ観に来てほしい」と招待状が届き『くるみ割り人形』の公演を観に故郷の福島まで赴いた。  高速バスで、二時間の道のり。 07f0b8c5-f5e1-4481-a05c-192102983a27 「ねえ、蘭ちゃん。福島の方は寒波ですごい雪が降るって話だけど、帰りどうする?」  現在の蘭が住んでいる新潟から福島までを結ぶ直通のバスはないものの、会津若松で一度乗り換えれば問題ない。  いずれにせよ予約の必要はないので当日にバスターミナルで乗車券を買えばよい。  それ以前に蘭と夫である一哉を出立の当日まで心配させたのは、寒波による積雪だった。 「蘭ちゃんも疲れてるだろうし、無理は禁物だからね。俺は仕事終わったら連れて福島まで迎えさ行こうか?」  蘭を気づかうあまり心配そうに眉をひそめた一哉の顔が苦笑いに変わったのは、蘭が自らホットミルクに入れている蜂蜜が桁違いに多いからだ。  更に、蘭は生姜の砂糖漬けも入れている。 「それもいいけど、クリスマスにママがいないのは可哀想だしなぁ」 「蘭ちゃんがいない俺も可哀想だよぉ」  夫の発する本音交じりの冗談に蘭はクスッと笑う。  二人の娘は自分が面倒を見るので無理をせずに実家に泊まってきたらよいと一哉から提案を受けるも、クリスマスに母親がいないのは可哀想だからと蘭は当初はトンボ返りでの帰宅を決めた。  12月の下半期から毎日チェックしている天気予報ではクリスマス寒波による大雪の予報は相変わらずで、出立の間際になると実家に泊まるという提案に従った方が無難だと結論を出すほかなかった。 ◇◇◇  貴賓(きひん)席として宛がわれた最前列の席で、蘭は自分より20歳近くも年若い少女達の演じる姿に感心しつつ、懐かしさに胸を震わせる。  懐かしい音楽に、懐かしい制服。  本格的なタータンチェックを起用したキルトスカートに揃いのネクタイを組み合わせる制服は、少女だった蘭のお気に入り。  BGMは元々はチャイコフスキーが手掛けたバレエ音楽を起用していたが、いつしか芸大進学コースで音楽を専攻する生徒が作曲を手掛けるようになる。  その始まりとなった生徒が、蘭だった。  公演後の花束贈呈では在学時の活躍を紹介された後に、現在までの音楽家としての実績を放送部の生徒が誇らしげに述べる。  かつて演奏家として活動していた蘭は国内を中心に各地を巡りつつ、故郷の高校からの依頼により生徒達の指導を受け持っていた時期があった。  現在は一線を退くも、スクールバンド向けの楽曲の作曲を中心に音楽活動を継続している。
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