幸福の在処

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 独りでに、手を伸ばす。  夜闇には幾重もの星が瞬いていた。 「気楽なものね」  夜闇に紛れ、東雲知紗(しののめちさ)はそう呟いた。  決して届くことない星々に、知紗は顔を歪める。まるで『幸』を求め続ける知紗を嘲笑っているようにも見えた。  その知紗は今、西洋館ホテルの外にいた。中からは光が零れ、西洋館ホテルを彩っている。  時は1872年(明治5年)。後の精養軒(せいようけん)と呼ばれるそのホテルは国内外の王侯貴族たちがこぞって集まる場として、まさに当時の日本を象徴する建物であった。  その西洋館ホテルに、知紗は父と兄と共に訪れていたのである。しかし少し風に当たりたいと、知紗はホテルを出て外観を少し離れた場所で眺めていた。 「皆が皆、こういった場所を好むものではないでしょうに」  知紗は無理矢理この場所に連れて来られていた。知紗は横濱の六浦(むつうら)の生まれである。東雲家はその周囲一帯を治めていた藩主に仕える藩士の家柄であった。決して大きな家ではなかったが、知紗の母である有凪(ありな)御三家(ごさんけ)出身であり、ある意味それが東雲家の誇りとして名を通していた。  しかし、そういったことも知紗には全く興味がなかった。 二十年近く生きて来て、知紗を満たすものに家族はないに等しかった。誰よりも『幸』を求めて生きて来たのにも関わらず、その『幸』を身近にいた家族は誰一人として理解しようとしなかったのだ。 『どうすれば満たされるの?私は、どうすれば……』  知紗は常に問うていた。その矛先を、母の有凪に向け問い続けた。最初こそ優しく聞いてはくれたものの、気が付くと母は隣にいなかった。目の届かないところに追いやられ、時折奇声が母から聞こえたのである。  そう、精神を病んで死んだのだ。  大好きだった母の死を、知紗はすぐに受け入れてしまった。呆気(あっけ)なく訪れた母の死。それが知紗には何物でもない日常として受け入れられてしまったのだ。 『お前が、お前が……有凪を、殺したんだ……!』  母が死んでから、父は知紗をそう(のの)しるようになった。仲睦まじかった夫婦。(はた)から見れば、知紗が殺したと言っても過言ではないかもしれない。  無論、知紗にはそのようなつもりはなく自覚もなかったのだが。  「何だろう……私って」  知紗は幾度となく呟いたその言葉を、空に投げた。答えなど帰って来ることはないが、そう呟くだけで心の内をさらけ出している気分になれたのだ。
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